文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年5月15日】私の実家は比較的裕福で、私は幼い頃から両親に可愛がられ、甘やかされて育ちました。そのため、苦労を嫌い、お金を浪費する習慣が身についてしまいました。ところが、私は運命のいたずらか、貧しい青年に恋をしてしまいました。両親の強い反対を押し切って、私は彼と共に貧しい田舎へ行き、ギリギリの生活を送るようになりました。時が経つにつれて、恋の熱も次第に冷め、生活の苦しさは果てしなく続きました。私は後悔するようになり、財布の紐も固くなりました。給料をもらうと、子供を育てるために少しでも貯金をしようと考え、美味しいものを買うのを我慢し、夫の生活に必要なものすらも考えなくなりました。夫は怒って「お金は誰のために貯めてるんだ?」と聞いてきました。私たちは日常の些細なことでよく口論しました。夫は私のケチぶりを責め、私は彼の無能さを責めました。重労働をしても稼ぎが少ないことに不満を感じていたのです。
その頃、私はよく母の言葉を思い出しては、つい母に手紙を書いて愚痴をこぼし、離婚したい気持ちを打ち明けました。そんな私に対して、母の態度はまるで180度変わったかのようでした。母は手紙でこう書いてきました。「娘よ、夫婦というのは縁であり、天が定めたものなのよ。『結婚前は目を大きく見開き、結婚したら半分閉じよ』という言葉があるように、簡単に離婚なんて考えないで。あなたたち2人とも帰ってきなさい。こちらで仕事を探しましょう……」
1999年の春、私たちは実家に戻りました。両親は夫を喜んで受け入れてくれました。実は両親はすでに法輪功を学んでいたのです。私も一緒に大法の修煉を始めました。毎日、同修が両親の家に集まってきて、煉功し、法を学び、修煉体験を語り合い、心身の変化や不思議な体験について話し合い、家中が和やかで喜びに満ちていました。私は夢中に『轉法輪』を学び、私たちはどこから来たのか、なぜ人として生まれてきたのか、修煉とは何かを理解しました。また修煉の要求は「殴られてもやり返さず、罵られても言い返さず、常に他人を先に考え、無私無我になること」だとわかりました。
振り返ってみると、夫との衝突の原因は、すべて私が彼の立場に立って考えなかったことでした。彼は小学校さえ卒業しておらず、幼い頃から父親と一緒に働いていたのです。今では、家の釘打ち、コンセントの取り付け、天井扇(天井に設置するタイプの換気扇)やドアロックの設置、木の切断や屋根の修理など、何でもできるのです。一方、高校まで出た私は何もできず、すべて彼に頼っていました。彼はどんな汚れ仕事や重労働でも文句を言わず、夜勤も続けて頑張っています。タバコも吸わず、酒も飲まず、賭け事もせず、女性関係の問題もまったくありません。師父が私にこんなに素晴らしい夫を与えてくださったのです!
それ以来、私は夫の苦労を気にかけるようになり、彼がお腹一杯になり、そして美味しく食べられるように気を配るようになりました(もうケチではなくなりました)。また、寒暖の具合を気遣い、家事は自分から率先してやるようになりました。夫も私の変化に気づき「この法輪功は本当に素晴らしいな。身体が健康になるだけじゃなく、人の品行まで変えてしまう。あなたは本当に変わったよ。俺は全力であなたが人を救うための真相伝えを応援する。誰かがあなたをいじめたら、俺がただじゃおかないからな」と言ってくれました。私が真相を伝えて帰りが遅くなっても、夫は自分で麺を茹でて食べ、決して文句を言いません。時には人を救うために少しお金を使うことがあっても、彼は一切惜しみません。温かい家庭を与えてくださった師父に感謝いたします。
師父は経文『目覚めなさい』の中で「誰に対しても慈悲深く、愛の心を持ち」とおっしゃっています。私も少しずつ、それを実践できるようになってきました。たとえば、夫の次兄が木を植えた時、境界を越えて私たちの田んぼに植えてしまったことがありました。夫はそれを「人をバカにしている」と怒って、木を引き抜こうとしました。私は「兄弟なのだから、小さなことで仲違いすべきではないよ。彼は私たちをいじめようなんて思っていないよ。いっそ、この土地を譲ってあげればいいんじゃない? そのほうがもっと良いと思わない?」と諭しました。夫も気持ちが静まり「さすが大法弟子だな。あなたの言うとおりにしよう」と言ってくれました。
私を変えてくれたのは大法です。私は人のために考えることを学びました。私は大法の素晴らしさを、もっと多くの人々に伝えていきたいと思います。