文/中国黒竜江省の大法弟子 同修が整理
【明慧日本2025年4月19日】数年前、私は精進できず、仕事も忙しかったことから徐々に怠けるようになり、旧勢力に隙を突かれてしまいました。身体に大量出血の症状が現れたのです。出血が止まらず、普通の生理用ナプキンではまったく間に合いませんでした。十日以上もその状態が続き、次第に出血の量が増え、心も落ち着かなくなってきました。そのとき初めて真に警戒し、内に向かって自分を探し、師父にこう申し上げました。弟子は自分の間違いに気付きました。そして利他の観点に立って考えると、この状態を常人に見せてはいけない、大法に対して否定的な印象を持たせてはいけないということでした。そして、家族が皆修煉者である姉(同修)に連絡を取り、姉の家へ行くことにしました。
姉の家に着いてからの9日間の関門を乗り越える過程は、私にとって本当に生死の試練のようでした。今振り返ると、師父のご按排は本当に秩序立っていたと感じます。その数日間、姉と義兄(同修)はずっと協力し合いながら一緒に法を学び続けてくれました。姉は「毎日、師父がどの部分の法を学ぶべきかを啓示してくださる」と言っていました。私の状態も日に日に改善していきました。しかし、8日目の夜、ふと娘がもうすぐ帰ってくることを思い出すと(娘には私の身体の状態を伝えていませんでした)、ほんのわずかで微細な、気付きにくい「情」が湧き上がってきました。すると、それをきっかけに再び激しい出血が始まってしまいました。話す力もまったくなくなり、意識も薄れていき、ただ心の中で「師父! 師父! 師父!」と絶えず呼ぶことしかできませんでした。身体の血はほとんど流れ尽くし、眼球はほとんど真っ白になり、しかもその9日間、一睡もできず、寝ようとすると全身が電気ショックを受けたかのように感じました。全体での協力の中でも、気付きにくい人心が現れてきました。姉もまた、「もし姪が自分のお母さんがこんな状態だと知ったら、どう説明すればいいのか」と考えていました。
そのとき、私の身体はまさに限界に達したと感じていました。私は姉と義兄にこう伝えました。「常人の病気治療の道を私は歩きたくありません。私たちは大法弟子であり、大法を実証し、衆生を救い済度する使命を持ってます。この道は本当に厳しいです。もし自分がうまく修められず、それによって衆生が大法に対して否定的な印象を持ってしまうと、それは旧勢力の思うつぼではないか……」最終的に、私たち三人は正念をしっかりと固めました。修煉者として師父のご按排された道を歩まなければならない。すべてを放下しよう。生きるも死ぬも師父が決めてくださる。何もかも手放して、法を学ぼう。そして書籍を手に取って開いてみるとちょうど「心性を向上させる」という内容でした! その瞬間、まるで視界が一気に開けたような感覚を覚えました。「ああ、師父は最初からずっと明らかに私たちを見守ってくださっていたんだ。一歩一歩、何を修めるべきかを教えてくださっていたんだ。今こそ、心性をさらに向上させるべき時なんだ」と気づいたのです。そこで私たちは内に向かって探し、正念を発し、何時間も手を立てて発正念をし続けました。そしてずっと心の中で念じました。「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」何時間も、何度も念じる中で、全身の細胞が法のエネルギーで震えるように感じられました。師父の加持のおかげで、私はこの関門を突破できました! もはや、死にそうだった状態の虚像はなくなりました。
修煉しない家族には私の状態を知らせていなかったので、姉の家に来て9日間経ったとき、ちょうど旧正月を迎えた時期になったため、家に帰らなければなりませんでした。帰る直前に、私は近所に住むおば同修の家に寄って行きたいと思いました。というのも、おばの夫がちょうど修煉を始めたばかりだったのですが、私が姉の家にいる間、私の身体がこんな状態だったので、そのおじは私に会いに来るのをためらっていたからです。その時、私は一念を発しました。「師父、弟子が正念を持って正しく行えるよう加持してください。私はこのおじに会いに行きたいのです。彼は私のことをとても心配してくれていました。私は彼に大法は本当に超常的なものだということを見せたいのです! そして、私は身体の中のすべての力を振り絞り、立ち上がって外に出ました。歩くときは、一歩一歩が全力を使い果たすような感覚でした。私は心の中で何度も何度も叫びました。「師父がいらっしゃる、法がある、私にはできる!」おじの家にたどり着き、少し言葉を交わしてから、私は家に帰ることにしました。
家に帰ってからは、さらに困難を極めました。身体は依然として出血が続いていて、一度トイレに座っていたら、まるで血が噴き出すように一気に流れ出し、便器の中は真っ赤に染まりました。その光景を見て、常人の心が動かされそうになりましたが、すぐに思い直しました。苦を舐めることは業力を消すことであり、それはこの上なく良いことだ、と。私は出発点を正しました。衆生のために考えよう、彼らに大法の素晴らしさを見せよう。大法の修煉は素晴らしいことで、殊勝であることを見せよう。大法弟子が苦しんでいる姿や迫害されている姿だけを見せてはいけないと考え、このように行うのは本当に容易ではありませんでした。一歩動くごとに、何かをしようとするたびに、ものすごく大変で、しかも修煉していない家族に、私の異変に気付かれないようにしなければなりませんでした。一つ一つの動作をするにも、師父の法を暗唱しながら、自分にどうやれば意力を出して動けれるかを導いてもらうしかありませんでした。食事をしようと思っても、まったく食べられず、一口食べるごとに吐き気がして、人前では我慢し、トイレに行って吐いてから戻ってきて、また食べ続けました。一晩中出血が止まらず、翌朝、煉功をしようと思ってもまったく力がなく、立つことも、腕を上げることもできませんでした。仕方なく、横になるしかありませんでした。そのとき娘が家にいたので、私はこう言いました。「パンを取ってきてくれない?」私はパンを4つ食べました。そして心の中で自分にこう言い聞かせました。「師父は、食べたものはすべてエネルギーだ、とおっしゃった。法輪がエネルギーを演化して、身体の各部分が必要とするエネルギーに変えてくれるんだ」
当時の私は、何をするにも師父の法の導きがなければ、まったく実践できませんでした。年越しには家族のために食事を作らなければなりませんでした。テーブルいっぱいの料理を用意するのは、普通の人でも大変なことですから、私にはなおさら厳しいことでした。ときには心の試練もありました。人心が動き、私があなたたちにご飯を作ってもらいたい、もう本当にできない、と思ってしまうこともありました。しかし、夫も娘も料理ができません。利他の心に立ち返って考えると、私がやらなければと思い直し、再び全身の力を振り絞って、心の中で繰り返しました。私にはできる、私にはやれる。私は人のためになる生命になりたい。師父がそばにいらっしゃる。料理をする過程でも、一歩一歩すべてが師父の加持によるもので、私一人の力ではとてもできませんでした。外に出て、少し離れた場所に宅配便を取りに行くときなどは、なおさら非常に勇気が必要でした。家を出る前、私は師父の写真の前に香を立て、師父にこう願いました。「師父、弟子はこれから外に出て宅配便を取りに行きます。弟子が正念を持って、正しく行動できるよう加持してください。私にはきっとできます! 師父が私を大法弟子に選んでくださったのだから、私はやり遂げます!」日常生活のすべてのことを行うのに、常に自分の正念を強めなければなりませんでした。 師父がそばにいてくださる。師がいらっしゃる、法がある。怖がることはない!
関を乗り越える過程では、恐怖心が出てきたこともありました。常人に理解されないのではないか、常人があれこれと批判的に見るのではないかという恐れでした。さらに人間の執着心もあって、心が不安定になると、旧勢力の要素が一気に押し寄せてくるように感じられ、正念も大きく影響され、身体の苦しみもさらにひどくなりました。しかし最終的には、完全に師と法を信じ、どんな試練の中でも揺らぐことなく、常に心性を向上し続け、旧勢力の妨害を否定したことで、やっと一歩一歩乗り越えて来られました。
その後、身体には別の反応も現れ、何かが身体にできましたが、それを私は虚像だと見なしました。しかし、表面的にはその物質が確かに存在していました。この過程は口で言っているだけではなく、実際に法の中で本当に昇華していく必要がありました。私はこの不正な状態をすべて幻想だと見なし、これは何物でもない、すべては偽物だ、と考え、それを重く見ないようにしました。こうして法に基づいて正していくうちに、しばらくすると、その物は完全に気にならなくなり、徐々に小さくなり、最終的には完全に消えていきました。
関を乗り越える過程で、私は師父の法を頼りに、少しずつ真の自分(法理に則った考え)と偽の自分(法理に則ってない考え)を区別していきました。私は心の中で師父にこう申し上げました。この考えは偽の自分のものです、それはいりません。私は真の自分を選びます。すべてのことを法理に基づいて測り、法理に則ったものを選んで行動しなければ、乗り越えられません。私は常に心の中でこのように考えました。「師父が私のそばにいらっしゃる。師がいて、法がある。」または、「無条件で内に向かって探し、内に向かって探すことが宝ものだ。私は個人修煉における私利私欲を捨てなければならない。新しい宇宙に入るためには、無私無我、他人を先に、自分を後に考える正法正覚の基準に到達しなければならない」
この出来事から何年も経ちました。この体験は、私の心性にとって大きな飛躍になりました。