本当に自分を修煉者として自覚する
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文/中国遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2025年5月15日】私は今年76歳になります。風雨を伴った23年間の修煉の年月は、師父のご加護のもとで今日まで歩んでくることができました。

 師父は『轉法輪』の中で、私たちが修煉の過程で遭遇するさまざまな関門や困難、そして大法弟子が人間から神へと修煉していく法理を詳しく説いてくださいました。心を静めて法を学び、より多くの法を学び、しっかりと法を学び、正念を持って正しく行動し、大法の教えに従って行い、何か問題に直面した時には内に向かって自分を探し、その心に力を入れていけば、乗り越えられない関門はありません。

 私は毎朝3時に煉功を始め、6時に正念を発します。正念を発した後『轉法輪』を一講通読します。その後、朝食を摂り、午前9時には外に出て真相を伝え、人々を救います。正午に戻って再び正念を発し、午後1時半からは法を暗唱します。夜6時に正念を発し、毎晩7時、8時、9時には地元で決めた発正念の時間なので正念を発します。その後、各地での説法を学び『明慧週刊』も学びます。時間はびっしりと計画されています。

 『轉法輪』を通読する中で、師父が繰り返し「本当に」という言葉を用いられているのに気づきました。これは私にとって大きな刺激となり、師父が修煉者に対して非常に厳しい要求をしておられることがわかりました。私は自省しました。この何年もの修煉の中で、果たして本当に師と法を信じてきたのだろうか? 本当に師と法を敬ってきたのだろうか? 法を学ぶ時に本当に心を静めていたのだろうか? 問題や関門に直面した時、本当に内に向かって探していたのだろうか? 正念を発する時、本当に心を静かにしていただろうか? 人々を救う中で、本当に常に慈悲の心を持っていたのだろうか? 私は一つ一つ、自分自身を探っていきました。すると、まだまだ師父がおっしゃる「本当に」の要求に達していない部分がたくさんあることに気づいたのです。

 (一)私は自分に対して「本当に」師を信じ、法を信じること「本当に」師を敬い、法を敬うことを求めています。法を学ぶときには、本当に心の中に入るようにし、師父がおっしゃる一言一句を真剣に学ぶよう努めています。心性の関門に直面したり、執着心が現れた時には、その心に力を入れ本当に修め、内に向かって探さなければならず、決して外に原因を求めてはいけません。

 (二)真相を伝えて人々を救うなか、毎日天候に関係なく、同修と一緒に出かけています。毎朝9時にきっちり出発します。外出する前にまず師父に香を供え、加持をお願いし、縁ある人々を弟子の前に導いてくださるように、より多くの衆生を救わせていただけるようにお願いします。その後、電動バイクに乗って出発します。私に人を救いたいという心があるのを見て、師父は縁ある人を弟子の前に導いてくださり、毎週40~50人ほどに真相を伝え、三退を勧めることができています。

 (三)正念を発する際には、自分の空間場を本当にきれいにすることができています。自分に対して厳しく求めているおかげで、今では基本的に心を静めることができ、掌を立てて邪悪を取り除く時には、身体全体が強大なエネルギーに包まれているのを感じます。それはまさに天を支えて大地に立つような感覚です。一度、正念を発している最中、自分の右手が真っ白になり、いくつかの指先は透き通って見えました。これは巨大なエネルギーの現れです。

 師父に叩頭し、お礼を申し上げます。師父の救い済度の恩に感謝申し上げます。私たちは本当に修煉者の基準に従って自分に要求し、師父を助けて法を正し、さらに多くの衆生を救わなければなりません。以上はあくまで個人の体験に過ぎません。知識レベルが低く、次元にも限りがありますので、不適切な点があれば、同修の皆様に慈悲をもってご指摘いただければ幸いです。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/5/12/492667.html
 
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