文/中国湖北省の大法弟子
【明慧日本2025年5月10日】私は青年大法弟子です。ここ数年の修煉の過程で、何度も「望みがない」ように見える状況に直面しました。まるで前には道がないように感じられたのです。しかし、師父の教えに従って一歩を踏み出せば、たとえその一歩を踏み出す前に、ためらいや恐れがあったとしても、その小さな一歩を踏み出すだけで、新たな道が現れたのです。
一、見た目には「望みがない」
数年前、私は不当に家宅捜索され、連行され、拘留されましたが、健康上の問題で拘置所に入所せず、いわゆる「保釈」とされて帰宅しました。しかしその後、私は深い恐怖と途方に暮れる思いに陥りました。「保釈」とは案件の終了を意味するものではなく、警察が手続きを進め、検察庁や裁判所へと送致される可能性もあります。その時の私は、思考が落ち着かず、いくら努力して法を学んでも、何かに遮られているようで、法が頭の中に入ってこない状態でした。本を閉じると、たった今学んだ内容さえ思い出せなかったのです。さらに、身体も冷え切っていて、まるで一日中氷の部屋にいるような感覚で、目に見えない痛みに全身が包まれていました。
私はこの状態をどう突破すればいいのか分かりませんでした。法律を利用して迫害に反対しようとしても勇気が出ず、逃亡生活を選ぼうとしても不当に指名手配されるのが怖かったのです。最終的に派出所から電話がかかってきて、供述調書を取るために出頭するよう求められた時、私は家を離れる決断をしました。
同修の助けもあって、私はすぐに落ち着きを取り戻し、大量の時間を使って法を学び、正念を発することができました。しかし最初は、本当に絶望的な気持ちでした。かつて追い求めていた常人のものは一夜にして泡のように消え去り、今は学法も正念も心を静めて行うことができず、これからどう生きていけばよいのか分からなかったのです。
ある日、私は『各地での説法十一』を学んでいました。師父がこうおっしゃっていました。「望みがなければないほど、望みが目の前にある可能性が高いのです」(『各地での説法十一』「大法弟子とは何か」)
その瞬間、私は思わず涙を流しました。その時、まるで師父がすぐそばにいて、私の心の中をすべて分かってくださっているかのように感じたのです。
どうしても心が落ち着かない状況ではありましたが、それでも私は一日中座って法を学び、正念を発し続けました。今振り返っても、あの時期は本当に不思議な体験だったと思います。日中は法を学んでも集中できず、身体もとてもつらかったのですが、夜眠ると夢の中で層々とした法理が現れ、自分が上へ上へと昇っていくのです。目が覚めた後には、その法理が何だったのかは分からないのですが、心の底から湧き上がるような喜びと感動は、今でも決して忘れられません。やがて、法の学びを妨げていた落ち着かない感覚は消え去り、座禅するときの骨の髄まで染みるような痛みもすっかりなくなりました。まるでそれらが初めから存在していなかったかのように。そして、自分の心も広がりを取り戻し、あの「絶望感」は完全に遠ざかっていきました。あの時、進む道がないように見えたあの境地は、実はすべて虚像だったのだということを、私は心から理解することができたのです。
二、法律を利用して迫害に反対する
約1年後、私は家に戻りました。その時、「自分は家に帰るべきだ」と悟っており、今回の迫害はすでに終わっているだろう、一年も経てば派出所も事件を取り下げているはずだと思っていました。しかし、私を待っていたのは、自分が不当にネット上で指名手配されているという知らせでした。その時、私はとても困惑しました。法を学ぶ中で、私は何度も「帰るべきだ」と悟っていたのに、なぜ不当に指名手配されたのか理解できず、気持ちも落ち込みました。その後も警察による執拗な訪問や嫌がらせが続き、私は再び、一年前と同じ選択を迫られることになりました。すなわち、家を離れて逃げるか、それとも法律を用いて迫害に立ち向かうかという選択です。
しばらく考えた後、私は家族と相談して、もう逃げずに、家族の名義を使って、関係する警察官の違法行為に対する告発を始めることに決めました。そして、事件の取り下げと指名手配の撤回を求める申請も行いました。しかし、文書を郵送する前には、やはり多くの心配や恐れが頭をよぎりました。まるで別の空間の邪悪がそれを見抜いたかのように、文書を出そうとしたその前日の夜に警察が再びやって来て、私と家族に大きな精神的プレッシャーを与え、多くの恐れの物質を強く押しつけてきたのです。
この道を進み続けるべきか? この道は私たちに合っているのか? 家族は今後、繰り返し上級機関へ訴える中で生じる重圧に耐えられるのか? その夜、私はずっとこのことを考えていました。すると、頭の中にふと「感じない」という言葉が浮かびました。私は、「この押しつけられた恐怖感を感じる必要はない。自分が正しいと思うことをすればいいのだ」と悟ったのです。家族もこの道を歩むことに強い意志を示してくれ、その結果、無事に文書を郵送することができました。
文書が先方に届き、法的に回答があるべき期日が来ても、どの機関からも何の返答もありませんでした。そこで家族は、各機関に一つひとつ電話をかけて問い合わせました。この過程で、公安支局は再び下部機関に指示を出し、警官たちを派遣して嫌がらせを続けました。それに対して家族は、文書を持って嫌がらせに来た人に直接会い、真相を伝え、公安支局の警官による違法行為を暴露しました。しかし相手は「自分はただ形式的に動いているだけだ」と答えるばかりでした。
この一連の経験を経て、私たちの恐怖心は軽減しました。そして私たちはさらに一歩踏み出し、以前公安支局の警官が捜索令状もなく家宅捜索を行い、不当に拘禁・押収をし、家族に対して恐喝・脅迫・訪問・電話での嫌がらせを行ったことに対して、様々なプラットフォームで告発を行い、陳情、情報公開請求、行政訴訟を開始しました。その後、家に来た警官に対しては、必ず有効な証明書を提示するよう求めました。すると、警官たちはそれを聞いた途端に背を向けて立ち去り、それ以降、嫌がらせに来ることは一度もなくなりました。
約1年にわたる法律を用いた迫害への反対活動は、事件の取り下げという目的には至らなかったものの、多くの人心を削ぎ落とすことができました。そして、私はますますはっきりと分かるようになったのです。いわゆる「迫害」は、実はすでにその時点で解体されており、その後に現れたさまざまな出来事は、私たちがこの機会を活かして、法律を用いて迫害に反対することによって、公安局・検察院・裁判所の関係者に真相を理解させるためのものだったのだと。彼らの多くは欺かれていただけであり、真に違法行為をしていたのが自分たちであり、将来責任を問われることになると知ったとき、彼らはもはや「上からの命令だ」という口実で迫害に加担しようとはしなくなるのです。
三、小さな花(資料拠点)が再び咲く
今回の迫害によって、私は一年以上も屋内で法を学ぶことしかできず、直接人を救うような行動は取れませんでした。同修が外に出て真相を伝え、資料を配って人を救っている姿を見るたびに、私は心から羨ましく感じていました。その時になって初めて、迫害前のあの自由でゆったりとした時間がどれほど貴重だったかを思い知ったのです。師父の要求に従って真相を伝え、人を救うことが、どれほど幸せなことかと実感しました。私は、外に出て自分のやるべきことをやろうと思いました。同時に、地元ではもう長年、大規模な資料配布が行われておらず、資料拠点も少なくなっている状況を目にしました。中には資料を配りたいのに、どこで手に入れられるのか分からないという同修もいました。そこで、私は再び資料拠点を立ち上げたいという思いが芽生えました。しかし、まだ法律を用いた迫害反対する活動の真っ最中であり、このような行動が冷静的なのかどうか、少し迷いもありました。さらに、以前の迫害で私の設備は押収されたり、失われたりしていたため、必要な機器や消耗品をどうやって手に入れるかという問題もありました。その数日間、私はまるで釈迦牟尼の弟子が浴槽の掃除について何度も師に尋ねたように、心の中で師父に「この行動は正しいでしょうか」と何度も問いかけていたのです。
法を学ぶ中で、私は「やるべきだ」と悟りました。しかし、設備や消耗品の調達はどうやって解決するのか? 家族は賛成してくれるのか? という問題がありました。ところが意外にも、同修がすぐにこれらの問題を手伝って解決してくれ、家族である同修も強く賛成してくれました。私が資料拠点を再建しようと思ってから、実際に稼働し始めるまでに、わずか1週間ほどしかかかりませんでした。同修からは「午後に機材を届けてくれる」と約束があったのですが、なんとその日の午前中、地域の行政機関の職員が突然家に来て、「煉功したいなら家の中でやって、ビラ配りはしないように」と言ってきました。
理屈で言えば、地域の行政機関は私たちがこれから何をするのかを知るはずがありませんでした。安全面に配慮し、機材を届ける同修以外には誰にも話しておらず、携帯電話のセキュリティにも常に注意していたからです。その時、私は少し心が揺らぎました。家族の同修に「少し様子を見ようか? 同修には一旦機材を返品してもらって、また改めて考えようか?」と相談しました。すると家族の同修はとてもはっきりと「もう買ったんだから、返品はしない」と言いました。私はまず、他空間の邪悪な要素を取り除くべきだと悟り、自分のやるべきことをしっかりやろうと決心しました。その後、私は「これは他空間の邪悪が、私の恐れる心を見て、それを利用して虚像を作り、私を怖がらせようとしているのだ」と悟りました。
その後、プリンターは無事に稼働を始めましたが、それでも心の中には恐怖の物質が時折顔を出しました。完成した資料を家に置いておくことが怖くて、使い終えた機材はすぐに隠していました。しかし、徐々にその恐怖の物質は少なくなっていき、安全のために機材を整理整頓することは変わらず行っていたものの、心の状態は以前とは大きく異なり、ますます落ち着いていきました。資料拠点はその後もずっと順調に稼働し、嫌がらせも一切なくなりました。
以前受けた迫害の経験から、何かを行う時には必ず法の学習と正念を緩めてはならないと深く理解しました。また、安全面への配慮も不可欠です。資料を配る過程では、正念を保つことに加え、防犯カメラを避けるなどの有効な方法も取り入れて、より安定的にやるべきことを行うようにしています。
四、「望みがない状態」を越え、「つまらない状態」から抜け出す
ここ数年、私はほとんどの時間を一部屋の中で一人で過ごしてきました。時には半月も誰とも一言も話さないこともありました。最初に迫害を受けて家に閉じ込められていた頃、外に出られない苦しさは、言葉では言い表せないほどでした。その後、時間があれば『轉法輪』を暗唱し、一遍また一遍と繰り返しているうちに、このような状態にもだんだんと慣れていきました。後には、プリンターのそばに座って、印刷、製本、袋詰めという作業を繰り返す日々になりました。やるべきことは毎日同じ作業の繰り返しです。ある日、突然、何もしたくなくなりました。何をするにもやる気が出ず、自分の状態が正しくないと分かっていても、まったく動きたくなくなったのです。煉功すらしたくなくなり、一日、二日間消沈したまま過ごしました。そういう状態が断続的に続きました。
そのとき次の師父の説法を学びました。「望みがなければないほど、望みが目の前にある可能性が高いのです。つまらないと思えば思うほど、あなたの威徳を築いているかもしれません。」(『各地での説法十一』「大法弟子とは何か」)これまでは前半ばかり意識が向いていましたが、今回はじめて師父が言及された「つまらない」という感覚に注意が向いたのです。そうです、私はもう望みがないと思っていません。かつて迫害によって失ったすべてのことを、今ではすでに手放せているように思います。しかし、ではこの「つまらない」という感覚をどう乗り越えましょうか。修煉当初の状態をどう保ち続け、師父の要求にどう到達するか、これが今の私が向き合い、実行しなければならないことです。
ここ数年の修煉の道を振り返ると、私が最も深く感じたのは修煉者の道はすべて師父がすでに手配してくださっているということです。たとえ当時どれほど苦しく、どれほど望みがないように思えたとしても、それはすべて虚像だったのです。
師父、ありがとうございます!
同修の皆さん、ありがとうございます!