文/大法弟子
【明慧日本2023年1月6日】ある日の朝、早起きして第五式の座禅をしていました。始めてすぐに心が静まる前、突然師父の『洪吟三』の「痴」が頭に浮かびました。
この詩は2004年に発表されて以来、私は覚えています。通常、『洪吟三』を覚える際に、他の詩と一緒に覚えることがあり、特に特別な感じはありませんでした。しかし、今日は違います。各文字はまるで金石のようで、重くて貴重です。ゆっくりと脳裏に浮かんできました:『人生は短く来て宿に泊まる 来た時に立てた誓いを忘るべからず 路上の名、利、情、仇に躊躇して何時に悟って家に返るのか』(『洪吟三』の「痴」)。
詩の中の各文字がゆっくりと脳裏に浮かぶと同時に、私の心にドキドキと響きました。そして、まるで師父が左手で私を引き寄せ、右手で私の頭を撫でているように感じました。私は師父を見上げる勇気がありませんでした。ただ、師父が私の顔を慈悲深く厳かに見つめているのを感じ、同時に師父の慈悲と心配されているようすが透けて見えました。これは私が精進できていないことだと分かり、師父が私を心配し、この愚かな弟子を見捨てたくないという気持ちだと分かり、私は思わず涙がこぼれました。
私はこの出来事を、私と同じようにあまり精進していない同修たちを警告するために書きました。
広大な宇宙はいかばかりにも大きく、各次元の衆生が計り知れないほどに存在しています。しかし、師とともにこの世に来て、師が法を正す事を手伝い、衆生を救済できる大法弟子の数と、宇宙に存在する無数の生命と比較してみると、その数は非常にわずかです。しかし、そのわずかな数の大法弟子の中に、あなたや私、彼がいます。師は私たちを選び、私たちを連れて最も底辺に降りてきて人を救っています。これは何という幸運で、何という栄誉でしょう! 使命と責任はどれほど大きいのでしょうか? 私たちは喜んで師父に従ってきました。師父は毎日私たちを見守り、宇宙の大法の理を教え、生命を救う法を私たちに説き、大法弟子が人を救い、自らも救われるための法も教えてくださいました。私たちはよく聞き、理解しました。しかし、私たちはそれをどれだけ実践しているでしょうか?
もちろん、非常に多くの同修が素晴らしいことをしています。多くの同修は師父を喜ばせ、安心させています。私が言うのは、精進していない私たちのことを、師父はどう思われているでしょうか? 本当の天上の家で、私たちは師父に誓いを立て、誓約を交わしました。しかし、この世界に来て「旅館」に泊まるようになってから、私たちはどれだけ実践していますか? 私たちは師父を安心させているのでしょうか、それとも師父を心配させているのではないでしょうか? 師父は「人生は短く 来て宿に泊まる」(『洪吟三』〈痴〉)と説かれました。私たちは心の奥深くから、本当に「宿」に泊まっていると感じていますか? 本当に、ここが師父を手伝い、人を救う場所であると悟っていますか? この「場所」の中のすべての景物が、大法によって私たちの修煉のために用意された「道具」であることを悟りましたか?
私たちはいつも、すべての出来事や問題に対して、それが私たちのテストであることを考え、悟ることができますか? 私たちは「宇宙の深い所から呼びかけている声」や、本当の「天上の家」の衆生が、私たちのことを心配して待ち望んで、叫んでいる声を、時折微かに聞くことができますか?
同修たちよ! 私と同じような同修たちよ! 一緒に努力し、一緒に精進し、そして『来た時に立てた誓いを忘るべからず』(『洪吟三』「痴」)を思い出しましょう。私たちがかつて『神』の存在であり、使命と責任を担っていたことを忘れずに。
大法に同化し、本来の自己に戻り、無私無我で法に溶け込む。私たちは他の精進している同修たちと同様に、自分をよく修め、衆生を済度し、師父を安心させ、喜んで頂けるように頑張りましょう。