文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年2月11日】長年、私は基本的にインターネットをスムーズに利用できていました。いわゆる敏感な期間でも通常はアクセスでき、時折アクセスできないことがあってもすぐに解決できました。しかし、昨年の11月、突然アクセスできなくなり、半月以上もアクセスできない状態が続きました。これはかつて経験したことがない状況でした。どんな方法を試してもアクセスできず、時にはアクセスできてもページが開かなくなることもありました。
師父はこのように説かれました「明慧ネットは今まで一度も封鎖されたことはありません!」(『二〇〇三年元宵節での説法』)なぜ、私のところだけが封鎖されてしまったのでしょうか? 師父はネット封鎖の解除の質問に答える中でこのように説かれました。「私たちがこの封鎖を破ったら、即ち旧勢力の按排を否定し、この迫害と封鎖を認めないことになります」(『二〇〇三年元宵節での説法』)。では、私が長い間ネット封鎖されたのは、旧勢力の按排を否定しておらず、旧勢力の迫害を認めていたことではないでしょうか? いくら認めたくないと思っても、実際には、すくなくともネット封鎖されたこの期間中はそうだったと思います。
ネット封鎖を突破するため、私は様々な方法を考え、自分の足りないところと人心について探しましたが、問題を解決することができませんでした。時折、「これは邪悪の最後の狂気だ。気にせずにいれば、すぐに過ぎ去るだろう」と考えることがありました。
ある夜、1時間ほど法を勉強した後、他のことをする準備をしていたとき、突然「大切にする」という言葉が脳裏に浮かびました。何を大切にすべきか? この言葉に従って考えてみると、閃いたことがありました。「大切にしていない!」自分は明慧ネットを大切にしていないし、同修との交流も大切にしていませんでした。自分は頻繁に明慧ネットにアクセスして、毎日の記事をダウンロードして見ましたが、実際には流し読みしているだけで、時には記事のタイトルだけを見てスルーしてしまうこともあり、『明慧週刊』さえ真剣に読んでいませんでした。「大切にしない」これは大きな欠落だったのです! このことに気づき、自分を変えようと決意したとき、再びインターネットにアクセスすると、簡単に封鎖を突破できました。振り返ってみると、やはり人心が、邪悪なものに突かれたのでした!
その後、またアクセスできなくなることがあり、内に向けて探すと、思い通りならなくてイライラする心と焦る心を見つけました。これらの二つの人心を見つけた後、再びインターネットにアクセスすると、焦りがなくなりました。ネットの検閲や封鎖を突破する「自由門」を開き、通常通りにインタネットにアクセスすることができ、一度アクセスした後は、ネットが非常に安定しており、速度もとても速かったです。この期間中、『再び神になる』、『四億人の目覚め』、『沈黙の声』の三つの映画や他のビデオを連続してダウンロードし、効果は非常に良かったです。
個人的な経験から言えるのは、この期間の一般的なネット封鎖も一種の状況の変化であり、私たちがネットを利用する際の要求が高まり、法輪功の弟子の修煉に対する要求も高まっているということです。例えば「内に向けて探す」というのは師父が弟子たちに授けられた法宝で、私たちはそれを使いこなさなければなりません。ただ単に探して、様々な執着心を列挙するだけでは、現在最も自分を妨げる心を見つけ、それを取り除くことができるとは限りません。そうなると、真に向上するのは難しく、封鎖の問題も簡単に解決できないかもしれません。もちろん、師父はいつも私たちを保護し導いてくださっていますが、私たちは正しく悟る必要があります。
これは個人の悟った一端であり、足りない点があれば、同修の方々のご指摘をお願いいたします。