文/中国遼寧省の法輪大法弟子
【明慧日本2024年6月16日】私は1994年3月27日と7月1日に、師父が直接講義をされた大連での法輪大法講習会に参加しました。あれから30年が経ちましたが、師父との貴重な時間を思い出すたびに、私はとても幸せでこの上なく輝かしい気持ちになります。師父は私を地獄から救い出し、浄化し、法輪大法修煉者にしてくださいました。師父は今日までずっと私を導いてくださり、守ってくださいました。世界法輪大法デーと師父の誕生日が近づくにつれ、師父がますます恋しくなり、師父への限りない感謝の気持ちを表すためにこの記事を書きました。
一、「チャンスは一度だけ」
1994年3月27日の夕方、師父は大連外国語学院の講堂で、法輪大法の第一回講習会を開催されました。仕事を終えた私は同僚数名と講堂に向かい、私たちは座って静かに師父を待ちました。
講堂は満員でした。突然、大きな拍手が起こり、皆が立ち上がりました。中には「師父が来られました。師父、こんばんは!」と叫ぶ人もいました。拍手と歓声の中で、師父の姿が見えました。師父は優しく慈悲深い微笑みで、私たちに手を振り、ステージに上がりました。「皆さん、こんにちは!」 師父の暖かさを運ぶ春風のような優しい挨拶に、再び拍手が起こりました。
それから師父は法を伝え始めました。それは午後6時から8時までの2時間で、この間、師父は水も飲まず、メモも見ず、休憩もされませんでした。師父は私たちに高次元の理を明かし、私たちの心と精神を浄化してくださいました。師は法輪大法が推進する平和、理性、無私、他者への思いやりという美しい境地へ、私たちを引き上げてくださいました。
師父が講義を終えても、学習者たちは立ち去ろうとしませんでした。彼らは師父をしっかりと取り囲み、中には握手をしたい人、サインをもらいたい人や、師父と一緒に写真を撮りたい人もいました。私は師父にもっと近づきたかったのですが、そうすべきではないと自分に言い聞かせて、少し離れたところに立っていました。師父は学習者たちに応えるために忙しく動き回られていました。これらの幸せな瞬間は学習者たちの記憶に永遠に残るでしょう。
その夜、学習者たちはもう少し師父と一緒にいたかったのですが、師父のご苦労を忘れていました。結局、スタッフは師父が講堂から出て行くための道を用意しなければなりませんでした。私は帰り道に、明日カメラを持って行き、これ以上師父の時間を無駄にしないように、師父と一緒に写真を撮る機会を見つけようと思いました。
翌朝、私はカメラを持参しました。休憩中に、私は師父が講堂から出て行かれるのを見ました。私は師父が必ず通られる所で師父を待ちました。師父の姿を見たとき、嬉しくて飛び上がりそうになりました。私は師父のところへ走って行き、「師父、おはようございます! 師父と写真を撮りたいのですが、よろしいですか?」と言いました。師父は私を見て、「いいですよ。でもチャンスは一度きりです」とおっしゃっいました。私は「はい、承知しました」と返事しました。師父は壁際に立ちました。
多くの学習者は師父が学習者と写真を撮ろうとしているのを見て、師父を取り囲みました。師父は背が高くて、優しい顔をしています。そんな師父と学習者を見て、思わずシャッターボタンを押しました。師父と学習者の写真を撮りましたが、私は写っていないことに気づきました。私は師父のそばに立っていなかったのです。他の学習者は師父と写真を撮りましたが、私は撮っていませんでした。どうしたらいいでしょうか? 我に返ったときには、師父はすでに遠くへ歩いて行かれていました。私は師父のところへ走って行き、「師父! 師父と写真を撮っていません」と叫びました。師父は振り返り、「チャンスは一度きりです。まず他人を優先して、自分のことは後に回します」とおっしゃいました。師父の2つの言葉、私はその時理解したように思えましたが、ただ後悔だけが残りました。
師父は1994年7月1日に、二度目の法を伝えるため大連に来られました。大連市体育館は満員で、人々は廊下や階段、床に座らなければなりませんでした。全国から新しい学習者や古い学習者が来ていました。私は講習会の受講許可証を受け取り、講習会の終了後、師父の印が押された第二期の法輪功講習会の修了証をもらいました。私はその受講許可証と証明書を大切に保管しています。私は師父の講習会に二度参加しましたが、師父と写真を撮りたいという私の願いは叶いませんでした。しかし幸いなことに、師父が私に残してくださった教えは常に私の心の中にあり、いつも耳の中で鳴り響いています。
時が経ち、法の勉強を重ねるにつれ、私は次第に師父の言葉を理解するようになりました。
師父はこうおっしゃいました。
「わたしが出山した主な目的は、高い次元へ人を導くこと、本当に高い次元へ人を導くことなのです」(『轉法輪』第一講)
「修煉は子供のたわむれ事ではなく、常人のいかなることよりも厳粛で、思うようにはならないものです。いったん機会を失ってしまえば、六道で輪廻して、いつ再び人身を得るのですか! 機縁は一度しかなく、放下できない夢幻が過ぎ去ってから、初めて何を失ったかを知るのです」(『精進要旨』「退職した後に修煉する」)
30年が経った今、師父が私たち弟子に何を期待し、なぜ私たちのために一生懸命働いてくださるのか、私は理解しています。師父は、修煉の最初から私たちの心性を正しい位置に押し上げてくださいました。師父は常に他人を第一に考える新宇宙の生命体になることを私たちに求めておられ、修煉の機会を大切にするよう私たちを促しています。私は師父と写真を撮ることはできませんでしたが、師父の法は計り知れないほど貴重で奥深いものです。師父は私たちを真の弟子とみなし、心から私たちを高いレベルへと導いてくださいます。
二、師父が私の天目を開いてくださった
私は師父の講義に二回出席した後、私の天目が開きました。私は師父と他の空間の佛、道、神を見ることができました。師父は私たちと一緒に、いつも私たちのそばにいてくださいます。
(一)初めて集団煉功に参加した時、天目で見たもの
ある春の日、私は初めて労働公園の蓮池の近くの煉功場に行きました。最初の法輪功の第五式の功法を煉ると、美しい音楽と師父の澄んだ声が響き渡り、とても心地よく感じました。それは魔法のようで神聖なものでした。私は静けさに入り、すぐに座禅できました。以前、私は自宅で座禅するのはせいぜい10分で、足をなかなか組むことができませんでした。
私は目を閉じると、とても心地よく美しい気分になりました。天目では輝く空が見え、明るい光が学習者たちを照らしていました。師父が空の蓮の花の上に座って私たちに手を振っておられるのが見えました。何千もの光が師父を取り囲んでいました。無数の佛、道、神が光とともに舞い降りてきました。天の神々は、私たちと一緒に煉功するためにこの煉功場に降りてきたのだろうかと思いました。私は、音楽が終わるまで、これらの素晴らしい光景を究極の喜びとともに見ていました。私は魔法のような景色をずっと見ていたかったのですが、音楽が止まるとそれも止まってしまいました。
師父の強力なエネルギーが私を強くし、1時間完全な蓮華座で瞑想することができたことを実感しました。他の学習者も煉功場で巨大なエネルギーを感じました。巨大なエネルギー場の力によって、私は師父と多くの神々が私たちの下へ降りてくるのを見たり、他の不思議な光景も見ました。
(二)師父が子供弟子を祝福し、皆を煉功に導く
全国各地で師父の講習会が行われた後、法輪大法は私たちの地域に広く広まりました。学習者は多くの煉功場を組織し、私は毎日グループ煉功と法の学習に参加しました。各煉功場は高齢者から幼児まで人でいっぱいで、煉功場の規模は大きかったのです。
私たちの地域の煉功場では、毎日午後6時から8時まで法を学び、午後8時から9時まで煉功を行いました。学習者は日中は仕事に行き、仕事から直接煉功場に来ました。全員が時間通りに来ました。協調人が最初に学習者を率いて法を学び、その後グループで話し合い、心を修めた修煉体験を共有しました。
1998年10月のある秋の夕方、協調人はテープレコーダーを持って煉功場に行きましたが、再生ボタンを押しても、テープレコーダーは再生されず、何度も試してみてもテープレコーダーはまったく機能しませんでした。その時、5、6歳の小さな学習者が、同じく学習者である両親と祖母と一緒にやって来ました。彼はまだ幼稚園児でした。
彼は協調人のところに来て、「おばさん、煉功を先導してください」と言いました。協調人はその小さな弟子が、年配の学習者が足を組むのを手伝ったり、一緒に法を学んでいることを知っていました。協調人は彼を見て、何も考えずに「福宝(仮名)、あなたがグループの煉功を先導してください」と言いました。彼は同意しました。
彼は列の前に立ち、同修に向かって「同修の皆さん、これから煉功をします」と言いました。彼が言い終わるとすぐに、学習者は整列しました。福宝は師父の真似をして力強い声で唱えはじめました。
「第一套功法、佛展千手(第一式の功法を始めましょう)」
身神合一 (Shenshen Heyi)(体と心が一つになり)
動静随機 (Dongjing Suiji)(動と静は機に随い)
頂天独尊 (Dingtian Duzun)(天を頂き独り尊く)
千手佛立 (Qianshou Foli)(千手佛が立つ)
子供弟子は訣を暗唱し、それは純粋な心と力強い声で、一文一文、彼の声は録音された声とまったく同じで、驚きました。
晩秋の夜は、風が強く、落ち葉が舞っていました。私たちの服や髪も風に吹かれて舞っていました。小さな弟子は寒かったに違いありません。
その時、私の天目で、師父が袈裟を着てやってくるのが見えました。師父は小さな弟子の前にしゃがみ、片手で優しく抱き上げ、もう片方の手で父親のように彼に袈裟を着せました。そこで師父は再び立ち上り、身に着けていた大きな袈裟を空中に放り投げました。袈裟は大きなテントになり、学習者全員を覆いました。その後、風の音は聞こえなくなり、私の髪や服も風に吹かれることもなく、とても暖かく感じました。
また、師父が空から数え切れないほどの老若男女の色鮮やかな古代の服を着た神々を連れて、私たちの列の先頭に飛んでくるのが見えました。そのうちの一人は、白髪と白い口ひげを生やし、白い古代のガウンを着た元始天尊(げんしてんそん)でした。彼の横には白い服を着た小さな童子が立っていました。師父は彼にこう言いました。「私の小さな弟子を見てください。あなたの童子と比べてどうですか?」。元始天尊は手でひげを撫で、微笑んでうなずきました。そして童子の手を握り、師父の小さな弟子のところへ行きました。そしてしばらく注意深く見つめた後、微笑みながら言いました。「素晴らしい! 素晴らしい!」。 師父は神々を率いて、学習者たちが煉功するのをしばらく見守った後、飛び去っていきました。
私は30年間法輪大法を修煉してきました。当時の情景は今でもありありと目の前に浮かび、まるで昨日のことのようです。師父の慈悲と救いに心から感謝します。