文/中国の大法弟子 清亮
【明慧日本2024年8月7日】ここ数年、私は病業に見舞われた多くの同修を見てきました。しっかりと関を乗り越えて向上してきた人もいれば、だらだらと未だ虚像の中にいる人もいて、病院に行くことで一時的に病業が消えた人もいれば、旧勢力に肉身を奪われたという生涯の悔いを残した人もいます。今日は、旧勢力に肉身を奪われた同修Bさんのお話を紹介したいと思います。
私はBさんと知り合って10年以上になります。中共に迫害されたため、彼女は連れ合いと一緒に私が住む都市に来て家を買い、落ち着きを取り戻しました。Bさんはとても精進していて三つのことを熱心に行い、特に迫害の実態を1日も欠かさず街に出て人々に伝え、彼女自身も充実感を覚えていたようでした。
2023年の夏、Bさんに白血病の症状が現れて、家族は彼女を病院に連れて行きました。彼女が帰宅した後、私は数日間彼女と接触し、短い交流を取ったことがあります。結局、彼女は旧勢力に肉身を奪われ、77歳でこの世を去りました。聞いた話によると、彼女は自分がしっかりと行うべきことを行ってきたのに、なぜ病業に遭い、しかも悪化したのかと、死ぬ直前まで悔しい思いをしていたそうです。
同修の皆さんがこの同修の経験から教訓を汲み取り、同じ過ちを繰り返さず、大法と自分自身に不必要な損失をもたらさず、法を正す師に手伝うという歴史的使命を着実に全うしてほしいという願いを込めて、以下において、私は自分が知った状況を書き出しておきます。
一、Bさんとの出会い
私は経済的に困窮していたため、身分証明が要らない非正規の仕事で生計を立てていました。2023年11月のある日、偶然にも私はBさんの妹である同修のAさんから、まもなく退院するBさんの看護をしてほしいと言われ、その足でAさんと一緒に病院に行き、Bさんと仕事の内容や給料を話し合って決め、「1週間後に来て、仕事を始めてほしい」とBさんに言われました。
家に帰ってから、私は用事を済ませながら、1週間後の出勤を待つことにしました。しかしその時、省都で働いている彼女の2人の息子がすでに省都の病院でベッドを確保し、彼女の転院手続きを行っていたのです。当時の私はまったく知りませんでした。
1週間後、私が彼女の家に行くと、彼女は「省都に行った翌日に帰ってきた」と言い、さらに私に「なぜもっと早く来なかったのか?」と文句を言ってきました。私は彼女の家で3日間仕事をしました。というのも、Bさんのご主人が買い物から帰ってきたとき、コミュニティの職員2人とばったり会い、「質問をしに訪問する予定だ」と言われたそうです。そこで、怖くなったBさんは「ひとまず回避した方がいい」と私に言い、私は荷物をまとめて家に帰りました。
再び彼女の家に行った時、Bさんは病状が悪化して半身不随になっており、水やご飯を摂るのも困難で、体中が痛み、身の回りのことはまったくできない状態になっていました。常人の家政婦さんが雇われているだけでなく、2人の息子も休暇を取って帰ってきており、彼女のそばに付き添っていました。
私は彼女の枕元に座り、師と法を信じれば乗り越えられない関門はないと励ましました。Bさんは話すのも大変な状態になっていましたが、それでも内に向けて探し続け、多くの執着心を見つけました。私が気づいた点を指摘してあげると、彼女も納得してくれました。
二、Bさんと交流した内容の要点
Bさんの生前の願いに応えるために、私はBさんとの交流内容の要点を以下の通り整理しました。
1、師父に不満を持っていました。長年修煉してきたのに、どうしてこんなこと(病業)が起こるのですか? どうしてこんなに大きな(魔)難に遭うのでしょうか?
2、法をしっかり勉強しておらず、怒りやすく、狡猾な人心、嫉妬心、虚栄心があり、同修の意見を受け入れません。また、自分の経済条件が良いと思い、他の同修の前で優越感を持っています。
3、ご主人を見下して常に怨みを心に抱き、彼には強気であれこれと指図したがり、顕示心と独りよがりの心があります。Bさんは病室でも家でも、ご主人の言動が気に入らなければすぐに大声で叱り、ご主人がしたがらないことも強制的にさせていました。Bさんはよく人前で、ご主人が農民出身で頭が悪く、何事もうまくできないと言っていましたが、実は、ご主人は大学の教授で、家では何でもしていて、何をするにしても彼女の意見を伺わなければならないのが実情でした。
4、生死を放下できておらず、心を正しく持っていませんでした。入院中、同じ病室の他の患者さんが亡くなったのを見て、Bさんは死への恐怖を覚えました。病室に白血病を患っている老人がいて、血尿が出ているというので、彼女はその老人の息子にあれこれと尋ねました。間もなく、彼女自身も膿と血が混じる尿が出始めました。帰宅後、Bさんは周囲の人に、自分と同じく白血病を患う老人がいなくなったので、自分もそうなりそうで、内臓が衰えていて、もう限界だと感じていると言いました。また、彼女は妹のA同修に、「私はもうじき世を去るのだ。これ以上苦痛を受けることがないよう、早めに去ることを師父が按排してくださればいい」とよく言っていました。Bさん自身も病気が治らないと思っているのだから、師父はどのようにして彼女を助けることができるのでしょうか?
5、師と法を信じず、死を求め、自殺したい念さえありました。83歳のご主人は高齢のため、将来骨壺を安置できる納骨堂を故郷で探したいと考えていました。それを聞いたBさんもそこで一緒に埋めたいと思い、その一念が生じて以来、彼女は自分がいつでも死にそうに感じていたそうです。
虚像の病業の症状がひどくなった時、彼女は息子に安楽死の針を買わせ、ご主人に内緒で自分の身分証明を使い、数回に分けて地域の保健サービスセンターから20錠の睡眠薬を購入し、苦痛に耐えきれなくなった時に飲み込もうとしていました。それを見つけた私は、すぐにAさんに睡眠薬を捨てるように言いましたが、Bさんはそれを許さず、末息子に保管してもらっていました。
Bさんはこれらの危険な考えを重視せず、正念で排斥または否定することができなかったため、結局旧勢力に隙を乗じられ、肉身まで奪われることになりました。Bさんはほぼ毎日、自分がじき死ぬのだと言い、すでに正念を完全に失っていました。発正念の手伝いに行った同修たちも、彼女のこうした正しくない念を止めることができず、事態の深刻さと難しさを感じていました。
聞いた話によると、Bさんはすでに2023年の年末に亡くなっていました。それを知った同修はただただ彼女を憐れみ、遺憾に思うしかありませんでした。
三、このことから私が悟った点
1、体に異常が現れたとき、ここ最近、またはもっと長い間、自分が法に符合しないことをしたかどうか、言うべきでない話をしたのではないかと、必ずすぐに内に向けて探すべきです。
2、マイナス思考を排斥すべきです。マイナス的な考えが現れたとき、それが真我の念ではないことをはっきり認識し、法をもってそれを正さなければなりません。正念を失ってはならないことは言うまでもなく、消極的に対処することは尚更してはいけません。師父は『法輪功』の中でこのようにおっしゃっています。「しかし一つだけ、とりわけ性命双修の功法では、あなたの生命が延長されたとき、もし心性に問題が起きれば、すぐに生命の危険が現れてきます。煉功のために延長された生命ですから、心性が間違った方向へ行くと、すぐに生命の危険が起きます」
自らの一思一念をよく修めることは極めて肝心で、重要なことです。
3、師と法を堅く信じるべきです。旧勢力が私たちの肉体を攻撃する時、それらはこの邪悪な手段を通じて、私たちの師父と大法に対する信念を失わせ、精神を打ち負かそうとしているのです。その時、「私のすべては師父が造って下さり、与えて下さったものであり、他の生命は誰も手を出す資格がない」と思い起こして下さい。
『大法修煉は厳粛である』の中で、師父はこのようにおっしゃっています。「ですから、師父は大法弟子の名前を三界から、人間界、地獄を含む冥界から全部、除外しました。その後、大法弟子の生命は大法の制約だけを受け、二度と輪廻しないのです。罪過があっても地獄の制約を受けなくなります」
師父の法を拠りどころにして、私たちは心に強い正念と正信を樹立すべきです。宇宙の法を正されている師父はすべてを手中に掌握されており、旧勢力も正される対象なので、誰にもこのことに関与する資格がありません。我々の師父にできないことはありません。正念さえ強く持てば、あなたの肉身を奪う旧勢力の陰謀が実現されず、あなたのいわゆる魔難も雲散霧消し、跡形もなく消え去るはずです。
また、魔難の中で、随時にこう考えましょう。「私は李洪志師父の弟子だ。法が人間社会を正すまで、必ず師父が按排して下さった修煉の全過程を歩み通さなければならない。いかなる生命にも、私に試練を与える資格がない。間違ったら大法に則て自分を正すので、どうか師父よ、私の後ろ盾になって下さい」。あなたがそう思えば、卑しい鬼らは怖くなり、あなたに近寄れなくなります。
4、命を惜しみ、自殺を選択してはいけません。修煉者は皆、人身の貴重さを知っています。肉身がなければ、どうして修煉できるというのでしょうか? 体が苦しくても、自暴自棄になってはいけません。大法弟子として、あなたは宇宙の神々に羨ましがられる生命なのです。私たちが受けた苦痛は、実はすべて自分自身の業力、またはしっかりした行いができなかったことによるもので、絶対に師父を怨んではいけません! 師父が構って下さらないのではなく、法を正す中でも原則があり、神佛も天理に従って事を行わなければなりません。師父もまた、魔難にいる弟子に正念があるかどうか、魔難にどう対応しているかも見ておられているのです。そうではありませんか?
『轉法輪』の中で、師父は「理も法もはっきり教えてあげましたが、それでも自分自身を向上させようとする意欲が湧いてこないのだとすると、誰を恨むことができますか? あなた自身が欲しがっているから、法輪もわたしの法身も干渉しません。これは絶対です」と仰っています。
上記のことから教訓を汲み取れれば望ましいと思います。何かの事を成すことは修煉の代わりにはなりません。正念を保って正しく行動し、法を学んで心を修め、師に手伝い衆生を救うことに励みましょう。切に期待されている師父を失望させてはならず、自分の天国のすべての衆生のためにも、私たちは絶対に失敗してはなりません。
わずかな認識に過ぎず、不足の部分があれば、同修からのご指摘をお願いします。