日本人学習者:私の修煉の道
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文/日本人学習者

 【明慧日本2024年8月8日】私は、2018年に法を得た日本人学習者ですが、2020年から真面目に法を学び始めました。今回は、私が修煉を始めてからどのようにして法を理解し、家族、母、特殊な家庭環境の困難を乗り越えてきたかについて、修煉の経験を共有したいと思います。

 私は三人姉妹の次女として生まれました。家族親族は、みな熱心に宗教を信仰しています。また主人の親族も同じで、主人は役職をもって活動をしています。両親は、私が生まれた時から活動に熱心で、私は小さい頃ずっと留守番をしていました。母は、私をお風呂に入れる余裕も、身の回りのことを整える余裕もないほど忙しく、今でいうネグレクトな状態でした。

 そんな私ですが、家族が信仰熱心でしたので、私もその環境の中で疑うことなく宗教を信じて活動をするようになりました。しかし、結婚して1997年に長男を出産した頃から、「私はこの道で本当にいいのだろうか?」と自問自答するようになりました。娘を出産した2000年以降、ますます信仰上の疑問がわき、娘が4歳ぐらいの時に、とうとう心がついていかなくなり、一切活動をやめました。両家の家族は、最初は「いつか戻ってくるだろう」と思っていたようですが、長い月日が経つと、徐々に「あなたは、旦那さんに甘えているだけだ」と見られるようになりました。

 それから法を得るまでに14年かかりました。初めて『轉法輪』を読んだ時、宗教に対する私の疑問が解消されました。「あった! これは私が探していたものだ」と、心に一筋の光が差し込んだのを覚えています。しかし、上述したような事情から、家族の中で私だけが宗教から離れてしまったことに罪悪感や遠慮があり、またフルタイムで仕事をしていたこともあって、「この法に出会えただけでよかった」という思いにとどまり、修煉の意味も全く理解していませんでした。

 2019年末、息子の持病が悪化したことで、仕事を辞めざるを得なくなりました。この事は、私に法を学び正式に修煉する機会を与えてくれました。『轉法輪』を落ち着いて読むようになると、仏教の中の仏法が無くなっていった理由が分かるようになりましたが、家族への情から宗教の実情を受け入れることが難しかったのです。しかし、学法煉功をきちんとするようになると、理性的に見れるようになっていきました。師父は私が拒絶しないよう、少しずつ時間をかけて、向き合えるようにしてくださいました。

 まだ法輪大法の修煉を始める前(常人の時)の話ですが、私は自分の子どもを生み育てる中で、自分の幼少期の辛かった出来事がフラッシュバックして、子どもに愛情を向けられず苦しい時期がありました。夫は仕事と宗教活動に忙しくてほとんど家におらず、子どもの成長と共に溝が深まっていました。ストレスを抱えた夫の辛辣な言葉は息子に向かい、娘は夫と私の間に入って蝶つがいの役をしてくれていました。私は「このままでは、子どもたちを犠牲にしてしまう。それだけは避けたい」と強く思うようになりました。

 私は、自分を認められず自己卑下が強かったのですが、愛をもって家族と向き合うには、自分を信じる心の基盤を自分自身で取り戻す作業が必要でした。常人なりに自分の心をみつめて、ノートに書き出しました。従順だった母との関係性を一変させるような反抗的な態度をとったり、小さい頃の辛かったことを手紙にして送りました。怖かった母に勇気を出して、言えなかった思いを伝える必要があったのです。それと同時に、真正面から家族と向き合いました。

 この過程で、私は家族との不和を乗り越えることができましたが、望んでいた母との心からの和解は実りませんでした。私は、母の心を傷つけ、恨む心を植え付けてしまいました。母は姉と妹に私のことを話していたようで、私が宗教から離れたことも相まって、すっかり親子、姉妹関係がおかしくなってしまっていました。

 師父は、私たちに良い人になるように教えてくださっています。私の最初に向き合うべき人は母でした。一番苦手で、一番振り向いてほしかった人です。私は母に強い態度を取ることが出来たことで、一層自我を強くさせてしまっていました。

 何度も内省し執着心を捨てる中で、当時のことをまず謝罪することから始めるべきだと思いました。私は、意を決して母へ電話を掛けました。母はその前日、何かの書類を探すために、あちこちの引き出しを探していたらしく、不思議なことに10年前に送った私の手紙が出てきて読んでいたそうです。私が電話をして、「突然だけど、昔お母さんに手紙を書いて辛く当たったこと、本当に申し訳なく思っています」と切りだしたところ、すぐに母も「なんて偶然でしょう。昨日手紙が出てきて、あの頃のあなたの事を思い出していました。本当に可哀そうだった」と言いました。私は驚きました。こんな偶然があるでしょうか? 師父が按排してくださったのだと心から感謝しました。この時、長く疎遠になっていた母と久しぶりに気持ちが通じ合えたようで嬉しく、これが私の修煉の始まりでした。

 実家から遠く離れて、ほとんど連絡をすることもなかった母に謝罪したものの、事態はそう簡単ではありません。きっと過去の業や恩讐が関係していると思います。師父は家庭の中にいても修煉ができると教えてくださっています。私は社会復帰への執着を捨て、主婦としての日常生活の中で内に向けて探し、一つ一つ絡んだ情や執着心を放下していきました。

 私は、夫に「法輪功を学びたい。法輪功の内容に感動したので活動に参加したい」と話しました。しかし、夫は冷静に「君が活動すればいつか、誰かが君を見つけるだろう。僕は組織上(宗教)の立場があるから、いいかと聞かれれば、絶対いいとは言えない。だから僕に分からないようにしてください」と言いいました。幹部の妻が他の信仰をしていると地域の方が知れば、夫の立場が無くなります。でも夫としても心からの意思を否定することはできないので、このようにと言うしかなかったのでしょう。私の数少ない友達も同じなので、当然夫を知っていますから、友達に話すこともできません。

 私は、母と向き合いながら、自分の周りの環境がなぜこうなっているのか、師父の経文を読むうちに、ことの大事さを理解するようになりました。特に、『精進要旨』や新経文で宗教に触れている所は何度も読み、どう捉えたらいいのか理解したくて必死でした。この言語化できない境遇を誰かに相談したくても言えず、まして家族にこそ言えず、苦しかったのです。時間ができれば座禅して内省し、まるで修行僧のような世間から隔絶された単調な日々を送りました。これも師父が、物理的に社会から離れた現実の孤独の中で、内在する孤独と向き合う環境と時間を用意してくださったのだと理解しています。当時の心境は、暗くて厚い一面の壁に囲まれている感覚でした。

 今に至るまでに、古い同修の方々が、折々に言ってくれた言葉があります。当時の私の心に真っすぐに入り、修煉を軌道修正することができました。自信を持てない私に対して、「発正念は、神の一面をもって発します。旧勢力といえど神ですから、自分が人間だと思っていたら負けますよ」。寂しくて、誰にも理解されないことを嘆いた時「修煉者の心は常人には理解できないのに、常人に理解してもらえると思いますか?」また、「中国本土の同修が、発正念を毎日1時間1年続けたところ、理解のなかった奥様が修煉を始めたのです」「不思議でしょうが、この環境が、あなたの修煉環境なのです」「不二法門です。そして善い人になりましょう」

 私はついに、この環境が私の修煉環境なのだと心から納得しました。そして、私こそ頭に注ぎ込まれた宗教的観念を捨て尽くして、不二法門にならないといけません。師父は、「真・善・忍」に従って善い人になるよう教えてくださっています。理解してもらう道は、私が善い人になることだと心が定まりました。そして、正時の発正念以外に、家族親族に対してもたくさん正念を発するようになりました。

 私は、天目は見えませんが、師父はある光景を見せてくださいました。ある時、母の背後の邪悪な要素に向かって正念を発していると、目の前一面に真っ黒な壁が現れました。私がこれまで感じていた壁でした。「何だ、これは?」と思いながら発正念を続けていると、その壁が突然崩れ始め、黒いよく分からない生き物や神のようなものが一斉に飛び出してきました。その時、「これが、私が感じていた恐怖の正体だ。旧勢力は私に数々の絡んだ因縁、情、執着を按排して、乗り越えられないようしていたんだ」と悟りました。

 また、母や義母とちょっとした会話をしただけで、劣等感、孤独、求める心に苛まれてしまい、もうここから抜け出せないかもしれないと思った時、発正念していると、自分の目の前はまだ薄暗い草原なのですが、透明なベールの向こう側に、瑞々しくて美しい地球を見せてくださり、師父は悟らない私に希望を与えてくださいました。私は、「ああ、あれが新しい地球だ!」と、心からその存在を実感しました。この体験で、師父の温かな慈悲を感じて涙があふれました。「旧勢力に縛られつづけた状態から、もう抜け出すことができる。ただ私がそれを信じるかどうかなんだ」と気づくことができ、旧勢力に囚われた観念を一層一層破りました。

 そして昨年の3月末、実家へ帰省し、4年振りに母と会うことが出来ました。母は一昨年に左手首を骨折し、昨年右手首を骨折しました。私が「見舞いに行きたい」と母に言うと、母はいつも断りました。年老いた身体で人を招くのは負担だったのだとも思いますが、母との溝は深かったのです。私は断られるたび、「大丈夫。急がず自然に任せよう。師父の按排が必ずある」と思い、心配はしていませんでした。母は、右手首の手術をするまで気丈に振る舞っていましたが、退院後、まだ左手も完治していない状態で両手が使えず、起き上がることもできず、とうとう悲鳴をあげ、私が帰ることを母は承諾しました。家族も家を空けることに快諾してくれ、実家の負担を減らすためにホテルに泊まり、母の身の回りのことをすることができました。

 実家に到着してすぐ、4年振りに会った母を抱きしめました。ただただ感謝でした。母も涙を流して帰宅を喜んでくれました。ようやく、いろんなことが瓦解し始めていると感じました。

 このような時を迎えた昨年の7月に、ある大法を実証するプロジェクトのお話を頂きました。私は師父が法を正すお手伝いをすることができ、正式なプロジェクトの一員になれたことが本当に嬉しかったのです。しかし、多くの人心があったため、妨害が入り、息子の持病が悪化してしまいました。私は内に向けて探しました。私は、これまでの孤独感から、プロジェクトに入れたことで、自分の居場所を見つけた気持ちになり安堵していました。そして、「早くこの小さな家庭から外へ飛び出したい、家族のしがらみから解放されたい」という気持ちでした。つまり、家族から解放されて活動したい、孤独な環境から逃れたいという気持ちがあったのです。

 私は、落胆しました。改めて、この家庭環境の中で修煉のあらゆる段階をしっかりと行う必要があることを認識しました。そして、いろいろなことがありましたが1年が経ち、今年3月に両家の両親と再会しました。思いがけず、義母が「子どもたちをいい子に育ててくれて、ありがとう」と言葉をかけてくれて、一段と心の通い合うひと時を過ごすことが出来ました。まだ課題はありますが、ようやくひと山越えられた気がします。

 今年から、家族の協力を得て、4年間の主婦生活に終止符を打ちパートで働き始め、私の修煉環境は少し変化しました。環境が変わっても、放下すべき執着心や観念はあらゆる角度からやってくるんだと日々痛感しています。しかし、ようやく私の視界は広がり、大法弟子としての修煉のスタートラインに立てていると感じています。また最近、母や夫のことで考えて直していたら、以前より見え方が変わりました。法を実証するうえで、今後は正念正行が必要です。

 師父、いつも根気強くご教示くださりありがとうございます。師父が按排してくださる修煉の道は厳しくもとても温かく、みんなが調和に満ちた幸福の道だと感じています。御恩に感謝いたします。これからも精進していきます。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/7/31/480312.html)
 
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