文/黒竜江省の大法弟子 恒心
【明慧日本 2024年12月25日】私は今年35歳です。大法弟子の交流プラットフォームを通じて、同修の皆さんに私の修煉体験をお話しできることを嬉しく思います。
法を得て修煉を始めてから、もうすぐ30年になりますが、恥ずかしいことに、法を得たのは早かったものの、私は大法の門の前で3度出入りを繰り返しました。
幼稚園に入園する前、父は既に法を得て修煉していました。夜、父が煉功をしているのを見て面白そうだと思い、父の動作を真似て煉功していました。時々家で師父の説法の録音を聞くことがありました。当時は何も分かりませんでしたが、父が修煉している法輪功は素晴らしいということだけは分かっていました。幼なすぎたので、家族について聞いたり真似たりするのは、ただ好奇心からでした。新鮮さがなくなると、聞かなくなり、学ばなくなり、煉功もしなくなり、放棄してしまいました。
あっという間に10年が過ぎ、私はもはやあの純真な子どもではなく、自分の利益を守り、争い、嫉妬する中学生になっていました。この10年の間に、父の修煉状態も大きく変化し、自分を修めるだけでなく、より多くの時間を使って外に出て、真相を伝え、家族を含む人々を救おうとしていました。
そのとき、父は再び私に正式に修煉のことを持ち出しました。何年も修煉していませんでしたが、私は常に法輪大法は素晴らしいと信じていました。なぜなら、長年にわたって、父は内面から外面まで、性格から体まで、特別良くなっていたからです。そのため、父が修煉するように言ったとき、私はすぐに同意しました。
しかし、同意はしたものの、今は昔と違い、人々の道徳は大きく滑落し、様々な芸術作品の中の反面教材が次々と現れ、とても魅力的に写りました。当時の私は未成年でしたが、若ければ好奇心が強く、探求欲も強いものです。そのため「大法弟子」という名を掲げてはいましたが、実際には神と人間の両方と手を握っているような状態でした。揺るぎない心がなければ、最後まで歩めません。このようにして、修煉を始めて3年も経たないうちに、私は再び放棄してしまいました。
またたく間に10年が過ぎ、この間に私は妻と子どもを持ちました。私は別人のように変わってしまいました。タバコを吸い、お酒を飲むようになり、カラオケが大好きになりました。利己的で、虚偽で、好色で、嫉妬深くなり、人間社会の良くない習性や欠点を基本的にすべて持つようになりました。以前、法を読み、煉功をしていたため、これらがすべて醜悪なものだということは非常によく分かっていました。しかし、その中に迷い込んでいたため、これらの方が実益があり、触れることができ、目に見え、それらを持っていると気持ちが良いと感じていました。
この間、このままでは最後は行き止まりで、良くないと時々思うことがありました。修煉したいと思い、時には『轉法輪』を手に取ることもありましたが、当時の私は現実に頭が狂わされていて、毎回1か月も続かずに放棄してしまい、その後、大法から遠ざかり、地獄の門の前をさまよっていました……
生活が順調だと思っていたとき、運命は私に冷水を浴びせました。幼い頃から体が弱く病気がちで、仕事中に腰をケガをしたことがありましたが、当時は年が若かったので気にしていませんでした。2023年5月27日、仕事中に突然腰が動かなくなりました。当時はたいしたことではないと思い、しゃがんでいる時間が長くて疲れただけだと思い、家に帰って寝れば良くなると思い、早退して1日休むことにしました。
しかし、思いもよらず、その休みは数カ月に及び、何もできない状態になりました。家で落ち着いて座ることができず、歩くときは腰ベルトを巻かなければならず、寝るときは横向きでないと、腰が痛くて太もの神経まで麻痺しました。横向きで疲れて仰向けになりたいときは、腰の下に2本指の厚さのクッションを敷かなければならず、そうでないと痛くて眠れません。髪を洗うときでさえ、片手で洗面台を支え、もう片方の手で洗わなければなりませんでした。このような状態で、1カ月経っても良くなりませんでした。妻に病院に行くように促され、我慢せずに行くことにしました。病院でMRI検査を受けました。
結果を見て、私は驚愕しました! 尾椎、腰椎、胸椎のそれぞれに異なる突出があり、さらに腰筋の疲労があったのです。なんということでしょう! こんな若くしてどうしてこんなことになってしまったのでしょうか?
現実に直面せざるを得なくなりました。そこで、あちこちの医者を訪ね歩き、治せると聞けばそこに行きました。その間、注射、鍼灸、電気療法、指圧、マッサージ、漢方薬、西洋薬、湿布、薬用酒など、手術以外のあらゆる方法を試しました。まさに病気になると医者を探し回るということです。お金は相当使いましたが、病気は少しも良くなりませんでした。3カ月が過ぎ、靴下を洗うのも片膝をついて洗わなければならない状態でした。
不幸は重なるものです! 精神的なストレスで眠れない状態のとき、動悸、手のしびれ、手の震えなどの症状も現れました。再び病院を訪れたときには、もう医者と顔なじみになっていました。医者は笑って言いました。「薬を出しておきましょう。大丈夫ですよ、心臓の血液供給が少し足りないだけです。薬を飲めば大丈夫になりますよ」
薬を手に持って家に帰り、その夜は一睡もできませんでした。そこで私は考えました。これはこの数年間の自分の業の結果ではないのか? 私はまだ若く、上には年老いた親がいて下には幼い子どもがいる。このままでは、残りの人生をどう歩んでいけばいいのだろうか? 精神的にほぼ崩壊しそうなとき、夜、妻が寝静まった後、私は一人で酒を飲んで憂さを晴らし、月明かりのぼんやりした窓の外を見ながらため息をつき、死ぬこともできず生きるのも辛い味を味わいました……
半年近く収入がなく、それでも毎日生活しなければなりません。病気の痛みに加えて気分も良くないので、顔色が悪くなるのは家族にも分かります。ある日、父が私に言いました。「お前の腰の病気は治すのが難しい。私たちの周りにも腰椎椎間板ヘルニアの人が何人かいるかを知っているだろう。誰が治ったか? それに、お前の場合はこんなに重症だ。今は何もできないのだから、この時間を使って家で法を学び、しっかり修煉した方が何よりも良いぞ!」
父の話を聞いて、家に帰って長い時間考えました。腰の治療のために、邪道な方法まで試しても治らなかった。おそらく師父だけが私を助けることができるのだろう。父が以前、交通事故に遭い、足首を粉砕骨折したのに、修煉後に良くなったことを思い出すと、私の腰椎椎間板ヘルニアなど大したことではないのかもしれない。
2023年9月20日——この人生で永遠に忘れられない日、私は非常に不純な心を持って再び大法修煉の門をくぐりました。
師父は慈悲深く、病気治療のために修煉するという理由で私を見放すことはありませんでした。わずか3日で座ったり立ったりしても痛くなくなり、1週間で少し重いものを持って階段を上ることができるようになり、2週間後には普通の人ができることはすべてできるようになりました!
このとき、私の気持ちは雨上がりの虹のようで、言葉では表現できないほどでした! 妻はとても不思議に思いました! 最初は本当だと信じられず、心理的な効果だと思い「無理しないで、気を付けて!」と言っていました。ある日、私が妻に「腰痛の湿布、腰ベルト、電気療法の器具などを全部人にあげよう!」と言うと「本当? 本当に大丈夫なの?」と聞きました。
妻に信じてもらうため、その後の日々、階段を上って物を取るときは率先して取りに行き、子どもと遊ぶときは、よく子どもを持ち上げて首に乗せて走り回りました。私の重い病気がどのように治ったのかを姑たちが知ったとき、みんな非常に驚きました! 私は本当に嬉しかったです。病気が治りました。大法の超常さと修煉の神奇さを実際に体験しました。このとき、妻や姑たちに大法の素晴らしさを伝えると、みんなとても理解を示してくれました。
今では、よく息子に『洪吟』を読んで聞かせています。
この数カ月、酸いも甘いも経験した後、法をたくさん学ぶことで、今では師父と大法を固く信じています。これは今までにない信念です。もう以前のように優柔不断ではなく、法を学ぶことの重要性を知り、正法時期の大法弟子として、個人の修煉だけでなく、より大きな責任を担っていることを理解しました!
今回戻ってきたばかりで、すぐには同修の皆さんに追いつけませんが、いつも自分に言い聞かせています。師父は私を救ってくださっただけでなく、私の家族も救ってくださいました。師父の期待を裏切ることはできません。必ず大法を堅実に修煉し、大法弟子がすべきことをしっかりと行います。
ここで、私と似たような修煉状態の大法弟子の皆さんにお伝えしたいことがあります。人生はわずか数10年ですが、私は20年も無駄にしてしまいました! これらの年月、私は人間社会に迷い込み、自分の家がどこにあるのかを忘れ、人間社会で最も汚れたものを宝物と勘違いし、自分の家がどこにあるのかを忘れ、帰る法船に乗り遅れそうになりました。
過去20年間を振り返ってみると、所謂あの楽しみは本当に私に楽しみをもたらしたのでしょうか? 私たちに修煉を放棄させた快楽は本当に私たちに快楽をもたらしたのでしょうか? 価値があったのでしょうか? 人間になるか、神になるかは人生の選択であり、この選択の機会は貴重なものです。
私のように幼い頃に法を得ながらも道を見失った友人の皆さん、あなたはどこにいますか? 私の教訓を受け入れてください。この万古の機縁を逃さないでください。早く大法修煉に戻ってきてください。慈悲深く偉大な師父について行き、本当の家に帰りましょう。これは私たちが何千万年も待ち望んでいたことなのです。
師父は、私たちを待っておられます!