文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年1月4日】最近、邪党が悪い人やスパイを利用し、アメリカの司法制度を通じて訴訟を起こし、国境を越えて迫害を行っていることを知りました。この件について、個人的な考えを述べたいと思います。
中国の同修も共にその中にいる
師父には個人的な困難はなく、大法弟子を成就させ、衆生を救うために魔難を背負って下さっています。
大法弟子の主体は中国にいます。しかし、私自身を含め、どれだけの中国の同修が学法を重視せず、人心に引きずられ、常人の仕事や家庭の情に埋もれて抜け出せなくなっているでしょうか。神韻もまた、師父が大法弟子を助けて人を救うために創られたものです。それにもかかわらず、私たちは精進せず、執着によって時間を浪費してしまっています。その結果、精進しないために病業による迫害を招いてしまう人もいます。多くの中国の大法弟子が三つのことにおいて精進せず、気を緩め怠けて、修煉の形だけで正念が不足し、魔難の中で自分を守ることさえままならない場合、それが師父にさらなる負担をかけることになります。私たちは目を覚まし、一刻も早く精進すべきです!
常人の心を探し出し、真の慈悲を修める
師父の心には、すべての衆生が宿っています。旧勢力によって大法を迫害するよう仕組まれた江沢民でさえ、人身を持つ存在であったため、師父は当初その者に機会を与えられました。その後任に対してはなおさらです。私たち大法弟子は学法を十分に行わなければ、人心が多くなり、人の観念や好き嫌いが表に出やすくなります。それに気づかないことさえあります。特にメディア(セルフメディアを含む)で働いている場合、一言一行にそれが反映されることがあります。個人の好き嫌いが対立を生み、人の負の要素を刺激し、時には憎しみを引き起こすことさえあります。その影響が広がると、形成される物質や影響も大きくなります。こうした状況は、悪意を持つ少数の悪い人に利用されやすいのです。
中国では、邪党は声を上げる場を我々に与えません。しかし、海外に出た途端、「もう恐れるものはない。何を書いても、何を言っても、笑い、怒り、罵るのも好き勝手だ」と考える人もいます。ですが、その目的は何でしょうか? それは師父の教えに従い、修煉者の慈悲から人を救うためなのでしょうか? それとも個人的な執着や好みによる感情の発散なのでしょうか?
中国の一部の同修は、目にしたことを法に照らして判断できず、自分の好みに合う番組を追いかけて見たがる傾向があります(これがメディアに関わる同修の迅速な修正を妨げることもあります)。そのような番組を見て「爽快だ」と感じたり、邪党が早く崩壊すればそれで良いと思ったりしています。しかし、自分の立場を忘れ、この迫害が人から人への迫害ではないことを忘れ、そして現在の時間が師父の莫大な負担によってもたらされたものであることを忘れてしまっています。本来、この時間は自分を修め、より多くの衆生を救うために使うべきものです。考えてみてください。神は今日中にも邪党を滅ぼすことができますが、私たちはどの段階にいるべきでしょうか? 本当に基準に達しているでしょうか? 全力で人を救うという誓約を果たしているでしょうか?
師父はこうおっしゃいました。「実は共産邪霊を暴露することは人を指しているのではありません。『九評』は邪悪に毒害されたすべての衆生を救うためであり、中に中共悪党の党員と中共の最高指導機関の人、および一般の民衆が含まれています。その目的は、中共悪党の背後にある要素がどういうものなのかを各界の衆生にはっきりと認識してもらうためです」(『精進要旨三』「政治に参与しているのではない」)
邪党内部はもともと派閥争いで成り立ち、生死を賭けた争いの状態です。現党首が最初の任期に就いた直後、邪党内部ではその命を奪おうとする者がいたものの、成功しませんでした。そのため、虚偽の情報を捏造し、法輪功との対立を煽り、その党首を法輪功迫害に引き込もうとし、さらには法輪功問題を利用してその地位を引きずり下ろそうとしました。しかし、法輪功は修煉であり、政治ではありません。人間社会の状況が良いか悪いかは、その地域の衆生自身の業力による原因もあります。ただ、その人物が衆生の善への道を妨げたり、未来を選ぶ機会を奪ったりしない限り、師父は常にその者に機会を与えておられ、覚者の最大限の慈悲と広い胸懐で衆生を救おうとされています。しかし、後にその党首が心を見失い、邪悪を崇めて党を守る道を選び、共産邪霊に完全に縛られることになったのです。しかし、この過程で、私たち大法弟子自身が十分に行えていなかったために、邪悪な者に隙を突かれて利用されたのではないでしょうか?
失敗を補い、真相を伝え、正念で悪を取り除く
中国で法輪功に対する、中共邪党による臓器摘出を含む狂気じみた血なまぐさい迫害やメディア封鎖、さらには全世界の憎しみを煽るための嘘の宣伝がなければ、海外の大法弟子は快適な生活を捨てて多くの困難を乗り越え、メディアを運営して真相を伝えたり、大陸で迫害されている同修のために声を上げたりすることもなかったでしょう。中共による「真・善・忍」への狂気じみた迫害こそが、罪悪の源です。しかし、私たちは自分たちの道を正しく歩むべきです。
大法弟子は本来、師父の教えに従い「真・善・忍」を修めようとする生命です。ですから、私たちはより一層、心を広く持つべきです。もし本当に間違いを犯したなら、それを改めるべきです。改めること自体が向上なのです。
師父が心を砕いて神韻や飛天を運営されるのは、大法弟子がさらに多くの人々を救う助けになるためです。私たちは、師父がそのために余分な苦難を負われることがないようにしなければなりません。本来、人類の法律は悪を罰し、善を奨励するための補助手段であるべきで、中共によって善良な人々を攻撃する手段に成り下がるべきではありません。海外の大法弟子は、自身の条件に応じて、アメリカ政府、議会、司法省、さらには大統領などの政界関係者に対し、中共が法輪功を攻撃し、国境を越えて迫害を行っている真相を明確に伝えることができます。そして、この背後に潜む邪悪を必ず暴き、取り除かなければなりません。
中国と全世界の大法弟子は一体であり、私たちはさらに精進し、三つのことをしっかり行い、この事を通じて自分を振り返り、厳粛に自らを正し、師父への余計な負担を減らすべきです。
同時に、私たち全体として山をも断ち切るような強大な正念をもって、この背後にあるすべての邪悪な生命と要素を解体し、人々を操る背後の悪霊を浄化し、悪人に現世で報いを受けさせ、世人を目覚めさせなければなりません。
これは個人的な認識であり、不足している点があれば慈悲をもってご指摘ください。