中国法会|母の家で法輪大法を学ぶ介護者たち
■ 印刷版
 

 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2025年4月18日】私の母の家で起こった修煉の話と、私自身の最近の経験と認識のいくつかを皆さんに伝えたいと思います。

 母の家で大法に出会った介護者

 私の母は高齢で、近年は運動機能に問題を抱えています。私たちは母の​​世話をするために、次々と介護者を雇いました。

 数年前、母の視力がまだ良かった頃、母は『轉法輪』を手書きで書き写し、それが人生で最も幸せな時だったと言っていました。その後、視力が衰え始めると、母は『洪吟』の詩を暗唱し始めました。

 彼女は聴力も弱いのですが、師父の録音版の講義と煉功の音楽の録音を適切な音量で聞くことができました。長年、私の母の世話をしてきた介護者は皆、法輪大法の素晴らしさを知っており、そのうちの何人かは講義を聞いて大法の修煉者になりました。

 最初の2人の介護者は、法輪大法の素晴らしさや中国共産党の邪悪さを知った後、中国共産党を脱退しました。3人目の介護者・陳さん(仮名)は読み書きができませんが、私の両親に起こったいくつかの奇跡的な出来事を目の当たりにして、両親が少し体調が悪くなった時にはいつでも師父の講義を聞かせ、一緒に聞いていました。陳さんは功法も学び、それが簡単に学べることを喜んでいました。陳さんは、母が何度も転んだにもかかわらず、師父の保護のおかげで一度も骨折しなかったことに驚いていました。ある時、母は非常に高熱を出しましたが、病院で治療を受けることなく、師父の講義を聞いて回復しました。

 陳さんは毎朝私たちと一緒に煉功し、煉功が終わるといつも「師父、ありがとうございます!」と言っていました。彼女は朝の仕事を終えると、座って師父の講義を聞いていました。彼女は家庭の事情でその仕事を辞めなければなりませんでした。彼女が去る前に、私は彼女に師父の講義が入ったオーディオプレーヤーを渡しました。そうすれば、陳さんは家に帰ってからも法の講義を聞き続けることができるのです。

 陳さんは読み書きができないですが、悟りの質は非常に高く、何か疑問があれば私たちに尋ねてくれます。また、日常生活では真・善・忍の原則に従って行動しています。彼女を知る人は皆、彼女は今では10歳若返って見え、顔色はバラ色で、よく笑っていると言っています。

 4人目の介護者・王さん(仮名)が来たとき、父は亡くなったばかりで、母は体が弱って車椅子の生活を送っていましたが、それでも毎日師父の法を聞いていました。

 王さんは、私が最初に真相を伝えた時、少し抵抗を示しました。しかし、時が経つにつれ、王さんは特に法の講義を聞いて母がどんどん良くなっているのを見て、法輪功の煉功を学び、法の講義も聞きたいと言いました。

 王さんはすぐに功法を習得し、毎日講義を聞いて、いつも「大法は素晴らしい!」と言っていました。休暇で家に帰ったとき、彼女は近所の人に誇らしげに「私は今、法輪功を修煉しています。法輪功はとても素晴らしいです。テレビで言われていたのとは全く違います」と言いました。王さんが真相を知り、法を得たことを私は本当に嬉しく思いました。

 5人目の介護者はキリスト教徒である林さん(仮名)は、私の家族全員が法輪功を修煉していると聞いてとても喜んでくれて、法輪功は良いものだと分かっていると言ってくれました。林さんには家族全員が法輪功を修煉している親友がいます。林さんの親友は以前はかなり自己主張が強くて強引な性格でしたが、法輪功を学んでからは優しくて親切になりました。

 5人目の介護士である白さん(仮名)は法輪功が素晴らしいと知っていたにもかかわらず、中国共産党が流した誹謗中傷のせいで、まだ多くの疑問を抱いていました。私は辛抱強く彼女に真相を説明し、師父の最近の経文『なぜ人類が存在するのか』と『なぜ衆生を救い済度するのか』を見せました。白さんの態度は完全に変わりました。白さんは別の仕事に出かける時、喜んで『轉法輪』を持って行き、「この本をしっかり勉強します」と言いました。

 6人目の介護者・章さん(仮名)もクリスチャンです。私は彼女に真相を伝え、章さんが中国共産党を脱会するのを手伝いました。章さん自身の健康状態はあまり良くなかったのです。しかし、車椅子に乗ったまま精一杯煉功し、師父の話を聞くだけで母がどんどん良くなっていき、特に90歳近くになった私の母の髪の毛が再び黒くなり始めたのを見て、章さんはとても感銘を受け、自分も煉功を学び、法を聞くようになり、休暇で帰省してもやめませんでした。

 7 人目の介護者・金さん(仮名)はさらに素晴らしく、母の家に到着した最初の日に、煉功を学びたいと言いました。私は彼女に真相を伝え、煉功を教えました。毎日、煉功を終えると、金さんは「この煉功は素晴らしいです。とても気持ちがいいです。法輪大法は素晴らしい。真善忍は素晴らしい。師父、ありがとうございます」と言いました。

 金さんは小学校しか学んでいませんが、悟りの質は良く、毎日講義を聞いていて、いつも元気です。数日前、突然私にこう言いました。「ああ、言い忘れていましたが、今は私の両親と姉もこの法輪功を修煉しています!」

 師父がこれらすべての人々を私の母の家に招き、法を得させてくださったことを私は心の中で知っています。すべては師父のなさったことです。私は年老いた母の世話をしながら、師父が法を正し、人々を救うことに協力する機会を与えてくださったことに、心から感謝しています。

 他に半日だけ手伝いに来た介護士が2人いました。私はその機会を利用して彼らに真相を伝え、「法輪大法は素晴らしい。真善忍は素晴らしい」ということを心に留めて、明るい未来が来るようにと伝えました。

 私は常に自分が大法修煉者であることを思い出し、自分の行動を通じて法を実証するよう努めています。

 人間の観念を変え、心性を高める

 私は家族の中で末っ子で、幼い頃から母に可愛がられてきましたが、それでも母の叩きからは逃れられませんでした。私たちの間の深い絆は、修煉において多くの苦難と試練をもたらしました。特に私が両親の世話をしていた過去数年間はそうでした。私は多くの浮き沈み、苦難、心性の試練を乗り越えて、今日に至りました。

 その過程で、私は恨み、嫉妬、不満、批判を嫌う心など、自分の執着心の多くを発見しました。私はそれらを手放そうとしましたが、うまくできませんでした。それはまるでタマネギの皮をむくように、一皮むくとまた別の皮が出てくるのです。もっと良くしようと決心し、心性を保つとすぐに、新たな葛藤が現れました。

 痛みに耐えられなくなると、魔性が優勢になり、兄や姉に文句を言いに行ったり、常人の心や人間の観念や感情でその葛藤を処理し、言葉の修煉を完全に忘れてしまいました。そのたびに、後で深く後悔しました。今回、私は同じ葛藤を経験し、師父が座禅中にヒントを与えてくださったとき、初めて私の考え方は完全に変わりました。

 私の兄と姉は私より数歳年上で、姉の健康状態はあまり良くありません。私は大法修煉者で、自分の両親の世話はもちろんのこと、すべての面でうまくやらなければなりません。ですから、私が両親の世話の責任を担うのはむしろ自然なことのように思えました。実家には介護者がいますが、母は私にとても頼り、大小のあらゆることで相談します。また、母が話したい人、同僚、親戚、友人など全員に連絡を取らなければなりません。

 私の母は、何でも自分が決めるという強い性格で、よく私に「あなたたちを育てるのは大変だった」と言います。時には、私が父の世話ばかりしていたからと、母に責められることもありましたが、そんな時私は「昔から親不孝は非難されてきたのに、親孝行を批判する人がいるでしょうか?」と反論しました。

 母は昔から父に対して恨みを持っており、私が父に少しでも気を配ると、嫉妬して大騒ぎしました。私がどれだけ優しくしても、母は満足せず文句を言いました。何度か、真夜中に電話をかけてきて私を罵倒したこともありました。私はとても機嫌が斜め、いつもこの問題を常人の理屈で扱いました。

 一方、父は私が何かをしてあげるたびに、いつも私を慰めてくれました。「本当に大変だね。ありがとう。君は末っ子なのに、こんなにたくさんのことを背負っているんだね」。この言葉を聞くと、私はいつも心が温かくなりました。実は、それは褒め言葉を好む私の執着の表れでした。しかし、母は私の欠点を映す鏡のようで、実は私の修煉を助けてくれていることに、私は全く気づいていませんでした。

 師父はこう説かれました。

 「修煉は、魔難の中でこそしなければなりません。七情六欲を放棄することができるかどうか、それらに対して淡々としていられるかどうかが問題です。どうしてもそれらのものに執着するのであれば、修煉を成就することはできません……」(『轉法輪』「第四講」)

 師父の教えはとても明確で、私はすべて暗記することができますが、実際の問題になると、人としての執着や感情を捨て去るのは難しいと感じます。それは私が実際に法をよく学んで法を得ておらず、自分自身を真に修めることができなかったためだと今は気づきました。

 最近、私はまた母と衝突しました。私は母に優しくしているつもりで、自分の考えを押し付けようとしました。衝突が爆発寸前になったとき、私は自分が大法修煉者であることを思い出しました。私は以前うまくできませんでしたが、今は師父が私を見て、私がこの状況にどう対処するかを見ています。

 初めて私はこう思いました。「これは私が過去に負っていた借りなのかもしれない。旧勢力が修煉を妨害するために仕組んだ策略なのかもしれない。師父が私に対して試練を与えたのかもしれない。私の語性はこんなにも低かったのだ! 私の過去の行いは真善忍の普遍的道理に深く反している。私は親切でもなければ忍ぶこともなかった! 私は大法の法理で自分を測るのではなく、常人の基準で自分を測ってしまった。私は他人より少し良いから自分が良い人だと思っている」(訳注:「他人より少しばかり良いから自分が良い人だと思っています。実はあなたはすでにだめになったこの基準で自分を量っているので、良くない中で他人より少し良いだけです」『シドニー法会での説法』)

 私は冷静になって自分の内面を見つめ始めました。昔、私はいつも母が嫉妬や恨みを抱きすぎていると愚痴を言っていたことに気が付きました。でも、私も両親の世話をするためにどれだけのことをしてきたかと愚痴を言い、心の中でイライラしていたのではなかったでしょうか。私も嫉妬や恨みを抱いていたのではないのでしょうか。母はただ私にそれを見せることで、私が自分自身を振り返ることができるようにしていたのです。自分の執着に気づいた後、私は自分の過ちを母に心から謝罪しました。

 私は大法の修煉を30年近く続けているにもかかわらず、いつも常人の心境といわゆる寛容さで衝突に対処し、修煉があまりにも下手で、法の要求から遠く離れていることを本当に恥ずかしく思いました。

 法を学ぶことで、母が長年私を修煉させてくれたことが分かりました。母は毎日私の愚痴を言っています。真の修煉者にとって、これは素晴らしいことではないでしょうか? 私は母に感謝すべきではないでしょうか?!」

 母はもうすぐ90歳になりますが、これまでの人生で大変な思いをしてきたと思います。私は今、心から母に感謝しています。もちろん、何よりも師父の心遣いに心から感謝しています。90歳の母がいつも私と一緒に毎日煉功に行きたいと願ってくれていること、病業に遭うといつも師父を思い浮かべていること、そして今でも毎日『洪吟』を詠んでいることを考えると、私は心から母に尊敬と感謝の気持ちを感じます。

 翌日、母の家に行ったとき、私は心の底から母に言いました。「お母さんは私にとても優しくしてくれたのに、私はあなたにひどい仕打ちをしてしまいました。本当に申し訳なく思っています。ごめんなさい、お母さん!」

 母は私にこう言いました。「心配しないで。それはすべて修煉の一部よ。こうした葛藤はすべて、私たちが執着を手放して向上するためのもの。私たちは師父に感謝し、師父の教えに耳を傾けるべきよ。」

 私は師父に深く感謝しています。私は以前、あまり良い行いをしていませんでしたが、師父の法によって、母と私は情に縛られた母娘の絆を超越することができました。私たちは恨み、嫉妬、見下し、自分の良いところを聞くことへの執着を手放し、互いに対する人情を捨て、慈悲の心を育むことができました。

 残りの修煉の道において、私は乱れた世間に惑わされることなく、すべての人々への慈悲と善を育むことを決意しています。利己心、執着、観念、感情を捨て、すべての思考と行動を大法の法理に導きます。法をよく学び、内に向かって探すことに徹して三つのことをしっかりと行い、師父の慈悲深い救いにふさわしく、師父のもとへ帰れるよう努めます。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/11/18/484444.html
 
関連文章