善を修め 他人のために考える人になる
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文/台北の大法弟子

 【明慧日本2022年1月25日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は10歳の時から母について修煉を始めました。その時、母と早起きして煉功し、とても精進していました。中学校に入ってから修煉を緩めました。大学の時、同修は私に新聞の板面レイアウトを学ぶ意欲があるかと尋ね、学びたいなら彼女が教えると言われました。私の専門はデザイン学科なので、そこから、大紀元新聞の美術デザインの仕事に携わり始めました。大学を卒業した後も、新唐人テレビ局で動画制作に関わり続けました。専門技術を高める努力をずっとしていたのですが、修煉の基礎がしっかりできていないため大法弟子が運営するメディア会社に対してマイナス思考を多く持ち、人心が強くて、自分が行っている仕事と同修たちの困難を修煉者の正念を以て対応し理解することができませんでした。動画事業の運営が予想に及ばなかったことをきっかけに、私は新唐人テレビ局を離れました。

 1、常人の職場環境で、以前気づかなかった執着心が浮上

 長年大法弟子が運営しているプロジェクトに携わってきた私は、常人の会社への好奇心と渇望が湧き、自分の能力を検証したいと思いました。動画制作の仕事を探してみたら、意外にも順調に待遇の良い仕事を見つけました。社長はグルメチャンネルを創立したばかりで、私は映像と音声の企画の仕事に就きました。経験が少ないため、入社した最初の3カ月は、毎日夜中の12時まで仕事をしていました。

 社長は私をとても気に入り、私は出世意欲、名利心が強くなって、以前は自分にはないと思っていた執着心が、たくさん浮かんできました。「若者が自分を制御するのは、なおさら難しいことです。日頃はなかなか良い人で、常人社会で大した能力を持たない時は、名利心にも淡泊でした。一旦まわりから抜きん出ると、名利に惑わされやすいのです。彼は、人生のこれからの道のりが長いから、何らかの常人の目標に達するためにまだ頑張らないといけないと考えています」[1]と説かれている通りです。

 極度に良い番組を作りたいという野望に燃えて、すべての時間を仕事にかけました。今考えると、当時の力ずくで猛突進した状態は、一歩で天に登ろうとしているもので、欲望に燃えた不純な心理状態でした。学法も煉功もあまりしなくなり、ほとんど自分が大法弟子であることも忘れ、とうとう体に不具合な状態が現れました。ある日曜日の夜、右手の3本の指が突然こわばり、完全に動かなくなり、いわゆる軽度な脳卒中の症状でした。私はとても慌てて、すぐに発正念をして、約1時間後に手が正常になりました。

 仕事に命をかけて、名利心に駆使され仕事の成果を達成するために、他のことは何も顧みなくなっていました。もっと恐ろしいのは、修煉しようとする意識も弱くなっているので、体に起きた不具合は私に警鐘を鳴らしました。

 常人の環境の中で仕事をしていると、たくさんの複雑な人心、混乱した男女関係を見て苦痛ですが、十分な正念を持って環境を変えることもできず、無力を感じました。当時、私は同修とアパートをシェアしていたので、彼女からよく注意を受けました。そうでなければ、主意識が非常に弱い私は、自分の道徳観念が常人の影響を受けて知らないうちに滑り落ちて、修煉からますます遠ざかっていることに気づくことさえできませんでした。熟考した結果、仕事を辞めて、一刻も早く修煉の道に戻ることを決意しました。

 2、再び大法のプロジェクトに参加、今度こそマイナス思考を変える

 2019年12月、私は新唐人テレビ局アジア太平洋チャンネルに入社しました。大法のプロジェクトの中で仕事をして、毎日グループ学法・煉功・交流の環境があるため、修煉状態はすぐに向上できると思ったのですが、どんな環境に行っても、修煉者は自分の修煉のために責任を取らなければならず、環境に依存してはならず、受身的でなく、能動的に修煉しなければならないと後で分かりました。

 2020年7月、担当している中国医学チャンネル以外に、旅行チャンネルの運営と2人の新人の教育も任されて、毎日大きなストレスを感じました。実際、1人目の新人の教育をした時、ソフトウェアの使用を教えながら映像の完成も手伝って、同時に中国医学チャンネルの収益にも配慮しなければならず、すでに精一杯ですが、またもう1人の新人を加え……数日無理をしながら新人教育をした後、勇気を出して上司のAさんに1人の教育しか担当できないと切り出しました。Aさんは、もうすぐ30歳になる私のキャパシティーを拡大しグループリーダーの役を引き受けるべきだといい、2人目の新人の教育を引き受けるように要求しました。

 その会話の後、Aさんに対してとても不満に思いました。限界になっていたからこそ2人目の新人の教育を断りたいという私の苦境を察してくれなくて、私の現在の仕事量と能力の限界も考えてくれず、また仕事を増やそうとしている、と不満に思いました。心の中でAさんに対する不満が固まり、その時、それは強い恨みと心のバランスが取れない怒りだと、気づきませんでした。

 3、文句の背後にある悪念は、修煉の大きな障害

 ある日、ルームメイト(同修)に「Aさんのやったことが気に食わない」と言うと、ルームメイトは「また文句言っているね。もう止めて」と言われ、私はとてもショックを受けました。ただ今日の出来事の経緯を説明して、自分の考えていることを如実に表しているだけという認識でしたが、どうしてルームメイトに「愚痴っている」ように聞こえたのでしょうか。

 内に向けて探すと、自分は子供の頃から家族と話す時は、文句を言う形が多かったことを思い出しました。学校や社会に出てから、周りの同級生や同僚が話す時もほとんど不満を言う形です。私はそれに慣れてしまって、大法の法理で測っていないため、愚痴ることは悪い行為だと感じなくなっていました。

 またある日、ルームメイトに上司の悪口を言った時、私の愚痴の背後には恨みが隠れていると言われました。びっくりして、上司に恨みを持っていると言われたことは受け止めにくいですが、もしかしてこれは師父がルームメイトの口を借りて私に注意を促して下さっているのかもしれません。

 「人間の佛性とは善であり、慈悲として現れ、何かをするときにまず人に配慮し、苦痛に耐えられることとして現れるものです。人の魔性とは悪であり、殺生、盗み、利己、邪念、悪事をそそのかすこと、デマの煽動、嫉妬、悪らつなこと、発狂、怠惰、乱倫等々として現れるのです」[2]

 愚痴を言うのはとても悪い心です。旧勢力は私が小さい時から両親にその思考を詰め込ませたと思います。両親は文句を言う時にそれが「愚痴」だと意識さえしていません。私もその成長環境から影響を受けて、10歳の時から修煉しているにもかかわらず、心性を着実に修めていないため、事あるごとによく外に向けて見て、文句を言い、傲慢な態度で相手を叱ります。もちろん、目に見えたのは相手の悪いところばかりで、相手の良いところは見えなくて、善意と慈悲の心で相手を理解することもできませんでした。その背後には相手を軽蔑する心、嫉妬心が存在しています。

 ある晩、浴室でシャワーを浴びていたところ、蛇口の水流が急に細くなって、私は思わず「誰、誰が私と同時にお風呂に入っているのか、どうして私とお湯を奪い合うのか、私が先に来たのよ」と思いました。愚痴る習慣は私の空間場に存在しており、気に入らない人やことに対してだけではなく、私の意にそわないことが起きたら、すぐに文句を言いたくなるのです。それが相手の問題ではない場合でも、私の心のキャパシティーが小さすぎて、受け入れられないことがあまりにも多いため、些細なことにもすぐ爆発します。

 愚痴ることは、トラブルを起こしたり、デマを煽ったりすることにもつながります。愚痴る人は不満や否定的な心で物事を見るので、マイナスのエネルギーに満ちた言葉を口にしたら、聞く側も物事に否定的な印象を持ちがちです。それでは、愚痴る人は無意識のうちにデマを煽ることになるのではありませんか。不平不満の後の連鎖反応はこんなに大きくて、自分の修煉だけでなく、他の人にも悪い影響を与えています。一方、不平不満や恨みという悪い物質は30年も私についてきました。

 2021年5月に疫病が流行し、私の部門はほとんど在宅勤務になりました。住まいが会社に近いため、私はいつもの通りに会社に出勤しました。この数カ月わりと静かな時間を利用して、自分の恨む心についてまた内に向けて探しました。Aさんに不満を持つのは私だけのようで、他の同僚はそんなに不満や恨みはないようです。私はいつもどのように仕事を完成するかではなく、どれほど仕事がまた増やされたかに目を凝らしていたのです。これは私の未熟、利己的、わがままの性格を暴いています。

 少し仕事を増やされたら、とても苦痛に思って抵抗するのは悪念で利己的で、大法弟子の基準に達していません。大法の仕事をやるだけで衆生を救えるとは限らず、もし心が不純であれば、それはただ一人の常人が大法の仕事をしているに過ぎません。これから、善意で人を思い、たとえ彼の行為が今納得できなくても、善意を持って対応し、文句を言いたくなる時にそれを排斥し否定し、事を良い方向へ考えて、文句をプラス思考に転換してみよう。恨む心にコントロールされないようにしよう、と自分に言い聞かせました。そのように数カ月経って、頭と心に恨むという物質が少なくなったと感じて、善意で人を思うことができるようになりました。長い間の体の疲れ、心の抑圧も解消して、全体的にだいぶ楽になりました。

 4、良いことも悪いことも、すべて良いことである

 1年を経て、以前の新人は今、中国医学チャンネルの多くの仕事を手伝っています。彼の助けのおかげで、私はチャンネルのほかの業務の最適化を考えることができ、彼も部門の多くの仕事に協力しています。当初、困難だと思ったことが1年経って、かえって贈り物のようになり、良いことになりました。「修煉の中で、皆さんは良いことに出会っても、良くないことに遭っても、すべて良いことです。なぜならば、それらは皆さんが修煉しているからこそ、現れたことだからです」[3]と説かれた通りです。今回は身を以て師父の言葉を理解できました。師父の按排に感謝します! 私の能力を信じて重要な任務を任せてくれたAさんに感謝します!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父著作:『精進要旨』「仏性と魔性」
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「シカゴ法会」

 (2021年台湾法輪大法修煉体験交流会の発表原稿)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/12/22/435169.html)
 
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