大法は、私に恨みを捨て他人のことを考えるようにさせた
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 文/中国内モンゴルの大法弟子

 【明慧日本2023年11月1日】法輪大法を修煉して、私がどのように恨みを捨て、義理の両親の世話をしたのか、そして大法修煉者として道徳心を高く持ち、他人のことを第一に考えることができたのかを共有させていただきます。

 一、義弟に対する恨み

 1980年代の頃、義理の両親は夫婦喧嘩をして、姑は親戚の家に住むようになり、舅は田舎の実家に戻りました。義理の両親には3人の息子と2人の娘がおり、数カ月後に姑を呼び戻しました。舅は私を一番信頼していたため、実家に戻る時給料の入った通帳を私に任せました。夫の兄弟姉妹は私に内緒で毎月通帳から姑にいくらかのお金を渡すようにしました。その頃の舅の給料は月400元未満でした。

 しかし何年か経って、姑と義姉、義弟は私が舅の給料を自分で使ったと疑い、何度も私の実家に行ってお金を請求しました。彼らは私をまるで敵のように扱いました。当時の舅の給料は600元未満まで上がりました。

 ある日、私が姑のところに行った時、義弟もいました。義弟は喧嘩を売ってきて、罵声を浴びせながら私を殴ろうとしましたが、それを止めようとした義姉に拳があたってしまい、義姉の肋骨が折れてしまいました。義弟は中学の時から大学に進学するまでずっと私の家に住み、その後、就職して結婚するまで、私はどんなに疲れていても彼に文句を言ったことはありませんでした。彼の成長に私は力を尽くしました。それなのに、なぜ彼は、私にこのような行為をするのだろうか、私はとても納得できないし、理解できませんでした。

 後で分かったことですが、義弟は私が舅の給料を自分のものにしたという噂を聞いて、3、4日夜眠れなかったそうです。それを知った私は、いつもつけている帳簿をコピーし、給料明細と毎年の収入、支出、残高を表にして一人ずつ渡し、全員を集めて説明しました。そこで、彼らは舅の給料の5分の3が姑に使われていることを知りました。

それ以来、私の心の中は姑と義姉が不和の種を蒔く人になり、義弟も自分の視線と心の中から永遠に消えてほしいと思うようになりました。

 二、大法は怨みを解いてくださる

 1998年、私は法輪大法の修煉を始めました。師父は私たちに宇宙の真・善・忍の法理に照らして修煉し、トラブルに遇った時には自分の内を探し、どんな時でも良い人、より良い人になるように教えてくださいました。そこで私は自分の考えを変え、善をもって周りのすべての人と接するようになりました。人々は皆師父の身内であり、私たちはいくつかの輪廻を経て、今の世の家族になったわけで、すべて縁によるものだと分かりました。

 私は自ら舅を世話することにしました。田舎で暮らしていた舅は屋根から落ち骨折してしまい、自力で100キロ余りの実家から戻ってきました。舅に付き添って病院で検査したところ、腰の脊椎骨が骨折したと診断されました。そこで私は自分の家にベッドを置いて、舅が安心して療養できるようにしました。そして、時々医者を家に呼んで診察してもらいました。

 ある夜、長年断交していた義弟夫婦が突然訪ねてきて、私は丁寧に挨拶しました。何も持って来なかった二人は、私が舅の足と髪を洗っているのを見て、「お父さん、明日は豚骨を買ってきて、栄養を補ってあげます」と言って、10分もしないうちに帰って行きましたが、それ以後、二度と来たことはありませんでした。

 病気の舅に対して、姑は無関心で、二人の義姉は商売のことだけを考えていて、そして二人の義弟も父親のことに構おうとしていませんでした。当時、夫も長期間外で働いていて、私は卒業クラスを担任していたので、忙しい日々でした。そんな中、私は文句を言わず、一人で舅の世話に力を尽くしていました。私は舅に「お父さん、師父は『轉法輪』の中で、このように説かれました。『苦しみを味わうことはほかでもない「業」を返すことなので、いかなる人といえども勝手にそれを変えるわけにはいきません。変えてしまうと借金を踏み倒してもよいということにもなります』。ですから、お父さん、業を消せば病気が治りますよ」と言いました。私はいつも舅に師父の説法録音を聞かせ、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」という心からの九文字を唱えるようにしました。通常、骨折すると100日はかかると言われていますが、舅は40日で回復し、歩くことや自分の身の回りのことができ、30分ぐらい坐禅をすることもできました。

 しかし、舅は高齢になるにつれ、入院が頻繁になり、そして小脳萎縮の症状が出始め、良し悪しも分からなくなり、私まで罵ったりするようになりました。

 ある時、私が台所で料理をしていると、ドアを開く音が聞こえました。実家から戻ってきた舅が、杖を持ったまま「今日はお前をぶっ殺してやる!」と叫びながら殴ってきました。私は急いでベランダに逃げ込み、ドアを閉め、妹に電話して助けを求めました。舅はずっと杖を持って興奮状態でした。仕方なく、私は親戚の家に泊まることにしました。翌日、舅が帰った後、私は舅のベッドの下から包丁を見つけました。それ以来、ドアを開ける音がすると、いつもびくびくしてしまいます。

 このようなことはまだたくさんありました。いきなり殴り出したり、ご飯が口に合わなければ床やベッドに吐き出したりしました。しかし、私は依然として舅に優しく接するよう心掛けていました。舅が亡くなった時、3人の息子は誰も家にいませんでした。地元では、人が臨終の時に道を導くという風習があり、私が舅の息子たちの代わりにやってあげました。今まで私が舅の世話をしてきましたが、葬儀の費用は兄弟3人で均等に分けて払いました。私は何も言いませんでした。私は大法修煉者で、師父の弟子だからです。

 その後、義弟はずっと見てきて、2人の姉に「あの時、私は本当に義姉と喧嘩すべきではありませんでした。実際は、義姉こそ最も素晴らしい人で、私たちの家の中で一番貢献した人です」と言ったそうです。親族たちも私のやってきたことを見て、皆感心しました。

 私に心性を向上させ、そして長年の怨みを解く機会を与えてくださった師父に感謝します!

 三、大法は人を善に導く

 二番目の義姉夫婦は30年余り、姑の所で一緒に住んでおります。これは舅がその家に戻りたくない原因でもあります。

 舅がなくなった後、姑は月に数百元の遺族年金を受け取ることになりました。その後、あるきっかけで、月2000元余りの退職者年金をもらえるチャンスを得ることができました。条件は、その先に27000元の保険金を支払う必要がありました。二番目の義姉はその多くなった分を自分のものにしたかったので、はっきり説明することもなく、自分のお金で保険金を支払いました。

 それから1カ月後、20000元ぐらいの保険金が戻ってきて、残りの部分は翌月に返還されました。その後、義姉は私たちに「私が母の代わりに保険金を支払ったおかげで、母は退職者年金をもらえるわけなので、遺族年金より多くなった分は私がもらいます」と明かしました。さらに、義姉は舅と姑名義の不動産を手に入れようと、母に遺言を書かせましたが、必要書類として近所の証明書が必要でしたが、もらえませんでした。そこで、彼女は舅の法事で叔父を説得し、長男である私の夫に不動産を譲る同意書にサインするようにしました。夫がサインしないと言うと、叔父は酒の勢いで夫の顔面を二発殴りました。

 その後、姑は直腸がんの手術を受け、兄弟3人で治療費を出しました。私は2人の義姉の前ですべての費用を清算し、帳簿は二番目の義姉の家に置きました。

 しかし、しばらくすると、二番目の義姉は姑の治療代として5000元余を返して貰っていないと主張しました。姑は私の前で「この金は命を救う金だ。返さないわけにはいかない」と言いました。私は「すでに清算したじゃありませんか? 帳簿を見ればよく分かるはずです」と言うと、姑は「見つからない」と言いました。当時、二番目の義姉は息子の家を買う資金が不足していたと聞きました。舅が生前兄弟たちに残した10本余りの大きな木がありましたが、二番目の義姉は他の兄弟に内緒で、下の義弟に木を売らせて利益を得ていました。

 現在、二番目の義姉は孫娘を見ながら姑の世話をしています。姑の年金は3000元余りまで上がり、彼女が管理しています。ここ数年、彼女は足を2回骨折し、腰の損傷が多く、歩くのが難しいこともあり、本当にかわいそうです。

 私と夫は、利益のために手段を選ばない彼女と争うことなく、逆にできるだけ助けてあげるようにしていました。私たちの家と彼女の家が近いので、私はいつも夫と行って手伝いました。姑が病気になると、私たちは真っ先に行って世話をしました。また、義姉が体調を崩した時も、私は家事を手伝いに行き、自分が大法を修煉して心身ともに健康になり、20年以上薬を飲んだことも、職場の健康診断を受けたこともないなどの体験を聞かせました。私は彼女に「以前、お父さんを私たちの家で世話をした時、誰も無関心でしたが、お父さんの年金をめぐって、お母さんも兄弟姉妹も私を敵のように見ていました。今はお母さんの年金を管理していますが、どう思いますか? 私たちはどうしてあんなに悔しい思いをしていながら争ったりしなかったのでしょうか? それは、私には偉大で慈悲深い師父がおられ、利益に執着せず、「失と得」の法理を教えてくださったからです。金も財産も、生まれた時は持って来られず、死ぬ時も持って行かれないのです」と話しました。

 今、義姉は頭の中に腫瘍ができ、私は姑と2人の義姉に常に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」という心からの九文字を唱えるように伝えました。おかげで、コロナの大流行の中で、誰も感染しませんでした。二番目の義姉は今だいぶ元気になりました。この前、彼女は肉まんを買い、帰る途中で10個も多く渡されたことに気づき、すぐに戻って返したそうです。

 彼女が私にそのことを言った時、私は思わず涙が出ました。彼女のような欲深い人でさえ、ここまで変えることができ、これは師父の慈悲であり、大法の偉大さです。そして、大法はこの大家族をも救いました。

 現在、私たちの仲はますます良くなりました。姑と義姉たち、義弟たちは、毎日心からの九文字を唱えるようになり、そして、誰もができるだけ他人のことを考えるようになりました。

 結びの言葉

 すべてのトラブルは心を修める階段であり、すべてあなたを前進させる礎です。トラブルの相手は、全力であなたを神になる道に早く進ませているのです。彼らに感謝します!

  修煉の道は大変ですが、心の中には師父がおられ、大法があれば、いかなる条件を付けなくても、あなたは精進して進むことができます。

 (責任編集者:李明)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/10/26/467467.html)
 
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