学法グループを大切にし、師父の定めた修煉の道を正しく歩む
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2025年5月7日】私は同修Aさんと長年固定メンバーとして一緒に学法しており、もう15年になります。その間、性格の違いによる衝突や様々な摩擦も経験しましたが、それを通じてお互いの不足を認識し、少しずつ成熟することができました。

 Aさんは1996年に大法を修煉しはじめ、私たちの県の協調人でもあります。Aさんの話し方は穏やかで、その行動は、柔らかさの中に芯の強さが伺えます。ただ、少しばかり潔癖症なところがあります。具体的には、誰と接しても距離を保ち、淡白な関係を築きます。

 2000年代初頭、私たちは毎週7〜8人でグループ学法を行っていました。時間が経つにつれて、それぞれの不足している点が明らかになっていきました。Aさんの場合は、人からの指摘を受け入れにくいという点が浮き彫りになりましたから、私はとても気を遣ってAさんと接しました。しかし、生活の変化により私たちは次第に距離を縮めていきました。

 Aさんは私のことを少しずつ理解してくれるようになりました。(私ははっきりものを言うタイプで、遠回しな表現をしません)

 Aさんは修煉を始めて長いのですが、本当の意味で修煉を理解していなかったと気づいたそうです。

 当時、親族からもたらされた経済的な苦難も重なり、Aさんは逃げ場がないような困難な状況にいました。そこで「もっと学法しなければ」と思い、私と一緒に学びたいと考えたのです。実のところ、当時の私の修煉状態では、Aさんから学法に誘われて少しプレッシャーを感じました。Aさんの前での私は気後れして自由に話すことができなかったからです。

 Aさんは、夜に私の家に来て学法することを決めました。これは2010年のことだったと記憶しています。彼女は当時まだ退職しておらず、仕事帰りに毎晩バッグを持って携帯電話を携えて来ていました。私たちは夜7時ごろまで学法をしていたのですが、その時間になると、彼女の息子さん(遠方に住んでいる)から電話がかかってきました。特別な用はなく、日常的な安否確認のような電話です。私はもちろん理解していました。日中は仕事で忙しく、夕食後のひとときに、子どもが親を気づかって電話をよこすのは自然なことです。でも、彼女がすっかりその習慣に慣れているのが見て取れました。

 そこで私は遠慮せずにこう言いました。「Aさんは今、毎晩学法しているのだから、息子さんにもそう伝えれば、この時間には電話をかけてこなくなるんじゃないですか? 修煉の環境は自分で作り、自分で変えていくべきだと思いますよ」と。Aさんは何も言いませんでしたが、翌日の夜、学法に来ませんでした。私は、Aさんに何か用事ができて来ないわけではなく、心性の関を越えようとしているのだとすぐに分かりました。

 幸い、そのときの私は、自分を責める気持ちに陥ることなく、Aさんを信じる気持ちを持ち続けていました。「きっとまた来てくれる」と思っていました。そして、1日、2日と経ち、さらに4、5日と経ったある日、Aさんがついに来てくれました。

 私たちは前のように学法を続けましたが、どこか気まずさが残っていました。学法が終わったあと、私は率直に言いました。「私は元々こんなふうにしか話せないから、気にしないでね」

 するとAさんはこう言いました。「ここ数日、あなたの言ったことを何度も考えていたんだけど、内容としては間違ってないのよね。でも、なぜかすごく嫌だったの。あとになって気づいたの。これは『人から何かを言われたくない』という心が原因だったって」。私も自分の口調がきつかったのが悪かったと謝りました。お互いに思っていることを正直に話せたことで、それ以降、Aさんは摩擦から逃げることがなくなり、私たちは共に着実に修める状態へと進むことができたのです。

 私は平屋に住んでいて、日頃から資料を作成することも多いため、普段は門にしっかり施錠しています。ある日、まだ門を開けていないうちに、Aさんが学法に来ました。「ガンガン!」と勢いよく門を叩く音が聞こえたので、私は急いで鍵を探し、小走りで出ていきました。その間も同修はずっと門を叩いており、鉄の門なので音がとても大きく響きます。私は部屋のドアを開けながら、「今、行くよ〜!」と声をかけました。するとAさんはすかさず、「本当に来ているのかどうか分からないでしょ」と言い返してきました。その言葉に私は思わず固まり、「ああ、また彼女の気分を害してしまったかもしれない…」と思いました。

 後になって、私はこの出来事を振り返り、何度もその時の状況を思い返しました。Aさんは決して細かいことを気にするタイプではなく、普段はとても接しやすい人です。なのに、なぜ「今、行くよ〜!」の一言で怒らせてしまったのか? よく考えてみて、ようやく自分の問題に気づきました。それは、Aさんがドンドン門を叩く音に対して私が不快に感じていたからです。その気持ちが、言葉に出た時にはすでに不満や苛立ち、そしてちょっとした諦めのような感情を含んだ口調になっていたのです。つまり「もう叩かないでよ…」という気持ちが込められていたのです。

 この出来事を通して、私は初めて、自分の言葉の調子や口ぶり、さらには気性そのものにおいても、すっかり癖になって自然に相手に不快な言い方をしていたことに気づきました。自分の思い通りにならない場面では、どんな場所であっても、その焦りや苛立ちを遠慮なく表に出してしまっていたのです。以前から、私と親しくしている同修にも「言っていることはいいことだけど、言い方がきつい」と言われたことがあります。師父もたびたび「善を修めなさい」と教えてくださっています。

 私は、小さい頃から中国共産党の党文化の中で育ち、家庭でも愛情や温もりを感じられず、結婚後も夫とはうまくいかず、言葉を交わすことも少ない生活でした。夫は怒りっぽくすぐに感情を爆発させる性格で、私もその影響を受け、次第に「やられたらやり返す」ような気性になっていきました。

 そのような環境の中で、善良な本性はどんどん埋もれていき、いつしか「善とは何か」さえ分からなくなっていたのです。だから私は、「善をどこでどう修めればいいのか分からない」と長年苦しんできました。でも今回のことは、本当に心に深く突き刺さる体験となり、自分がこれまで半生をかけて培ってきた「普通ではない言葉の使い方」にようやく気づくことができたのです。

  私は心の中で師父に深く感謝しました。このような素晴らしい同修を通して、私の心に直接向き合う機会を与えて修煉を助けてくださったことに、感謝の気持ちでいっぱいでした。それ以来、私は自分の話し方や口調を、真剣に見直すようになりました。

 「気づいたら、すぐに実行するべき」とは言うものの、それを実際にやり通すのは本当に難しいものです。

 これは、私が修煉の道を歩む中で、長年もっとも苦しんできた大きな関門の一つです。少し気を緩めたり、感情に任せてしまったり、心性を守れなかったときには、また同修に嫌な思いをさせてしまいます。ときには、相手を怒らせてしまうことさえあります。そして後になってから、自分を責め、後悔し、自分自身が嫌になります。

 何年もの間、私は時おりAさんにとって「試練」を与える存在になってしまっていたのです。そして私は、それぞれのトラブルの原因が100%自分にあると分かっています。

 それにもかかわらず、Aさんは私を見捨てることなく、いつも共にいてくれました。私のこうした態度は、私たちが衆生を救うために協力することにも、学法にも、まったく影響しませんでした。そのおかげで、私は同修の心の広さを感じるようになりました。Aさんは、私のぶっきらぼうな言い方に気を取られることなく、受け入れてくれ、理解してくれました。

 私たちの修煉が深まるにつれて、私は「人の気持ちに何も配慮せずに相手を傷つけるような言葉を遣うこと」が徐々に減ってきたと感じています。ときにはまだ口を滑らせそうになることもありますが、そうした時には、言葉が出た瞬間に「あっ」と気づき、それをすぐに抑え、言葉が害になる前に止めることができるようになってきました。

 私たちは、共に学法を続けて15年になります。この15年間、何度となくトラブルが生じましたが、その都度、私たちは自分自身の不足している点に真剣に向き合い、互いに交流して切磋琢磨してきました。

 逃げることも隠すこともせず、心から自分を見つめ合う時間を大切にしてきたのです。

 こうした交流の中で、まるで師父の慈悲に包まれ、大法に洗われているような清々しさを感じる瞬間が何度もありました。

 また、毎日欠かさず明慧ネットで他の同修の交流文章を読むことで、「内に向けて探す」という修煉の核心をさらに明確にすることができました。

 ある同修が冗談めかして二度こう言ったことを覚えています。「あなたたち2人の性格で、よくもこんなに長く安定して一緒にやってこれたね、すごいよ」。本当にその通りです。もし師父のご加護と大法の導きがなければ、私たちは1日だって一緒にいられなかったかもしれません。

 今では、私たちは修煉の中で共に向上できる話題が日々あり、師父が残してくださったこの修煉の環境をより一層大切に感じています。私はAさんの修煉の成熟を目の当たりにし、それが私の精進への大きな励みになっています。

 Aさんは「三つのこと」においても、真剣に取り組んでいます。決して表面的に済ませたりしません。三退を勧める際も、人数の多さにこだわらず、話す相手ひとりひとりと誠実に向き合っています。特別な用がない限り、毎日必ず外に出て三退や真相を伝える活動を行っており、三退した人の名前のほとんど(98%以上)は実名です。これは相手が三退を本当に受け入れていることの証です。一日に三退する人数は多くないかもしれませんが、Aさんは毎日変わらず、その行動を続けています。

 師父が『法難』と『目覚めなさい』の二つの経文を発表なさって以来、なぜか心がずっと落ち着かず、胸が締めつけられるような思いが続いていました。師父の説法を思い出すたびに自然と涙があふれ、その状態から抜け出すまでに5、6日ほどかかりました。師父の苦心からにじみ出るお言葉、一度また一度と繰り返される懇切丁寧なご教導に、20年以上修煉してきた古い弟子でありながら、自分がとても恥ずかしく、情けなく感じました。

 日常生活の中で私にもっとも欠けていたのは「善意と愛の心」だったのです。そのことに気づき、自分の修煉の状態を顧みて涙が出ました。師父がはっきりと説いてくださったこの法は、まさに、精進できていなかったこの私に、もう一度修煉の機会を与えてくださったのだと深く感じました。

 この交流文章を書き上げる前に、遠方にいる子どもが帰省しました。子どもも同修です。実は、これまで子どもが帰ってくるたびに、言葉の行き違いでよく衝突していました。私はそれを、観念を改め人心を取り除くための絶好の機会だと理解していました。

 しかし今回はいつもと違い、子どもが私に対して容赦なく、常にあらゆる場面で私の話し方を正してきました。「はっきり答えていない」「言い方に感情が入っている」「話し方がまるでお父さんとそっくり」など、厳しく指摘されたのです。

 子どもの言うことに、私は心から納得しました。すべて本当のことです。私は無意識のうちに、話し方が長年のうちに夫に似てしまっていました。言葉の使い方が適正でなく、常に少しひねくれた表現になっていたのです。

 私はいつも夫の言葉遣いがきついと感じ、それに対して反発や仕返しの気持ちを抱いていました。しかし、自分自身の問題にはまったく気づけなかったのです。

 実のところ、子どもや夫の前で私がなかなか変われなかったのは、「面子を気にする心」が原因でした。この心こそが、私が表面まで完全に大法に同化できなかった障害だったのです。今回、子どもが帰ってきたことは、私にとって非常に大きな助けとなりました。

 師父の偉大で深い慈悲が、あらゆる形で私に修煉のチャンスを何度も与えてくださっていることに、心から感謝せずにはいられません。弟子として、これからは一層心を磨き、師父の慈悲とご苦労に報いることができるよう努力していきます。

 最後に、これまで私の言葉で傷つけてしまったすべての同修の皆さんに、心からお詫びを申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/4/30/493082.html
 
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