法輪功を修煉して、軟骨病が治り若い女性に戻った
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明慧日本)私は中国東北地方の農村生まれで、生まれてからたくさんの病気を患っていました。先天的な心臓病および気管喘息のため、しょっちゅう入院していましたが、治療しても一向に治らず、両親は私のために病院のみならず、お寺などにも行き、考えられるすべての方法を尽くしました。しかし、病気はますます重くなり、歩くことも困難になり、365日冷たい水に触れることができず、6歳のときに軟骨病が重くなり、学校に行くこともできませんでした。16歳の年に法輪功と出会うまで、私の人生は暗闇のどん底まで落ちていました。

 私は生まれたときから絶望的でした。両親も、私は前世に作った借りだと思い、ますます私を嫌うようになり、それ以来、私は孤独と絶望の日々を送っていました。7歳のとき、私は何度も危篤に陥り、入院したため、家には治療のためのお金どころか、借金がかなりふくらんでいました。ある日病院は、私の父に対して、もはや治療する術がないため、死後の準備をしておくようにとの通知を出しました。父は私を背負って家に帰る途中、ある橋を渡るときに、「どうせ死ぬならこの川の中に落とそう」と一言いった後、「どうせ自分の子供だから家で死なせよう」と考えを変えました。しかし、家に帰ってから私は奇跡的に死の淵から蘇りました。

 1992年10月、私が9歳のとき、病気がさらに重くなり、両親は私に対して「自分から死ねば皆の負担も減るし、自分も苦しまずにすむ。この年でこれほどひどい病気だから、後になればなるほどさらにひどくなる」と言いました。私はもはや、この世に生きている理由はないと思い、泣きながら井戸に飛び降りました。しかし、飛び降りてから、なぜか水に浮き、いくら蹴っても下に沈みませんでした。その後、私は人に救い上げられ、私が両親に向かって泣きながら、「どうか生かしてください、他の人が100年生きても私は40年で十分です」と言いました。両親も悲しくなり、何も言わなくなりました。

 1999年6月1日、私が16歳のとき、両親に連れられて、ある有名な医者のところに行きましたが、都市にやって来て突然、法輪功の三文字を聞いて突然全身が震えました。ある種のいまだかつてない巨大な感動と喜びが私の中を駆け巡りました。両親は、私はいつ死んでもおかしくないので修煉してはならないと言いましたが、私はどうせもうすぐ死ぬのだから、死ぬ前に必ず法輪功をやってみたいと言いました。

 その後、修煉する過程で、知らないうちに私の顔色が良くなり、文字が読めるようになり、『転法輪』も通読することができるようになりました。知らないうちに、私の背がまっすぐになり、すべての病気が消え、私は若くてきれな女性になったと言われるようになりました。私を知っているすべての人が、私の変化を見て驚き、法輪功のすばらしさを知るようになりました。

 法輪功に対して誤解を抱いているすべての人たちよ、あなた達が法輪功のすばらしさを知らずに江沢民政権の虚言を信じてしまったことに対して、非常に残念に思わずにいられません。そして、法輪功修煉者に対して憎しみを抱き、迫害に加担している全ての人々よ、私は自分の生命をもってあなた達に伝えたい。決して、法輪功と私の師父を貶してはいけません。私の師父が私のような絶望の魂をどれほど救ったことでしょう。そして、どれほど多くの人々に新生の機会を与えてくださったことでしょう。私は命をかけて法輪功の修煉を放棄せず、最後まで真相を伝えていきます。

 
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2002/7/30/34055.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2002/8/9/25051.html)     更新日:2011年12月9日
 
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