法輪大法は私の身体に奇跡を現わした
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文/蔡 少玲

(明慧日本)大法に出遭った1997年7月22日を、私は永遠に忘れません。1年以上の修煉を振り返ってみるとき、私の身体と考えにともに大きな変化がありました。かつて暗かった私の人生は、今、輝きに満ちています。

 (一) 私が大法に出会った経過

 10年前、私は一流大学を卒業し、順調に大学院に進学するとき、突然「紅斑性狼瘡(こうはんせいろうそう)」という珍しい病気にかかりました。この病気は症状が複雑で、たいへん恐ろしい免疫性の病気の一種といわれています。私の腎臓はひどく損なわれ(尿から検出された 蛋白成分はプラス4に達し、24時間の尿蛋白量は10数グラムにも達しました)、その後、肺の感染症も重く、命も非常に危うくなりました。優れた医術をもつ医師の治療および医師である両親の細心の介護によって、私はかろうじて九死に一生を得ました。

 命は助かりましたが、それからの人生はたいへん辛いものでした。私は毎日大量の西洋薬も、また赤い粘土のような漢方薬も大きな茶碗いっぱい飲まなければなりませんでした。毎日自分で蛋白を測定し、症状の変化を観察しなければなりません。また定期的に病院に行き、化学検査およびその他の一般検査を受けなければなりませんでした。病状はだんだん安定してきましたが、いつの日か、また、何か新しい症状が発生するのではないかと恐れ、まるで薄氷の上を渡っているような生活を送っていました。

 1993年の秋になって、大量のホルモン剤を服用したため、ひどい骨粗しょう症を引き起こし、両足に「大腿骨頭壊死」の症状が出てきました。足の痛みがひどくて耐えられず、両足は硬直してしゃがむことができず、一旦しゃがむと今度は立ち上がれません。ひどい場合は、ベッドで寝返りをすることすら困難でした。歩くときはびっこを引くか、ときには歩くことすらできませんでした。こうして、いろんな病院を訪ねては治療を求めました。真夏でも私は両脚に大きな黒い膏薬を貼らなければなりません。大腿骨頭の陥没を防ぐために、私は1年以上車椅子の生活を余儀なくされました。当時、私は病気さえ治るなら、どんな苦労でも耐えられると思っていました。しかし、1997年5月下旬に再び病院でレントゲン検査を受けると、大腿骨頭の両側がすでに著しく凹んでいて、できるだけ動くのを避けなければならず、時期がきたら人工関節をつけるようにと医師に告げられました。医師の話を聞くと、これからどんな生活が私を待っているか明らかでした。

 なるべく足を使わずに、年をとったら手術を受けるようにと親切な友達は障害者用の電動車を私に勧めてくれました。私はもう誰の話も聞きたくありませんでした。自分はまだ30歳なのに、もし50〜60歳まで生きるとすれば、これからの20年、30年の人生は死ぬよりも辛いものに違いありません。しかもこのような私は両親、家族、夫の足手まといになりかねませんでした。現代医学は私にとって、もう頼りにならず、私を救うには何か超自然の力を捜さなければならないという強い思いが私の中に生まれました。

 私は生きていかなければなりませんでした。私はまだ若く、私がやるべきことはまだたくさんありました。そのとき、1年前(1996年の夏)に友人が、法輪功が非常に良いといって、私に薦めてくれたことを思い出しました。当時、私はまだ常人の医療手段にかすかな希望を抱いており、友人の話に耳を貸しませんでした。しかし、いま思い出すと法輪功とは一体どんなものなのか、急に知りたくなりました。すぐに私は『転法輪』という本を借りて、2日間午後の時間を使って全部通読しました。李先生が説かれている道理はとても 素晴らしいと思い、自然にこの気功を学びたい気持ちになりました。1997年7月22日、この記念すべき日に私は北京大学の煉功場に出かけて、修煉の道を歩み始めたのです。

 (二) 法輪大法は私の身体に奇跡を起こした

 煉功場に行った初日、ちょうど李洪志先生の大連での説法ビデオをみんなで見ているところで、私もそれを見ました。当時、自分の悟性がまだ低かったので、身体にあまり変化を感じませんでした。ただ毎日ビデオを見ているとき、とても眠くて、身体もとても疲れている感じで、むしょうに眠かったのです。後になって振り返ってみれば、実はそのとき李先生はすでに私の身体を浄化してくださっていたのです。動作を習ってから、私は毎日煉功場へ行き、みんなと一緒に動功を練習しました。家では座禅を練習しました。その時は自分の病気のことが頭から全然離れなかったので、2週間後 いつもの通り病院へ行き、化学検査および一般検査を受けました。検査結果が出てから、私は非常に驚きました。すべての指数が陰性で、すべてが正常になっていたのです! 10年近くの間、検査結果をもらいに行くたびに、いつもこわごわと、いつも喜んだり、悲しんだりしていました。大法修煉を始めて僅か2週間で、この重荷から解放されるとは思いもしなかったのです。私は初めて大法の不思議さを体験しました。その後まもなく、私はあらゆる薬の服用をやめました。私は一心不乱に修煉することを決意しました。97年8月19日の夜、修煉して1カ月になろうとしたとき、私の天目が開きました。私は他の空間の素晴らしい光景を見ました。これによって私はその真実性を一層信じ、修煉の信念を一層深めました。

 それからは、風が吹く日も雨の日も雪の降る日も、どんなに暑くても、どんなに寒くても、私は必ず毎日煉功場に行って、みんなと一緒に煉功しました。煉功が終わった後、両足が痛くて、すぐに歩くことができませんでした。煉功場にいた数十人の人がだんだん去ってから、私はやっと足を踏み出すことができました。しかし、私の心の中はなんとも言えない喜びに満ちていました。それは李先生が私を見守ってくださったからです。私はいつも、李先生の法身があちこちで忙しくしておられる姿を見ていました。ときどき法身の体の部分しか見えなかったのですが、法輪が私の足に、背中に、目の前にぐるぐる回っているのが見えました。これは先生が私の身体を浄めてくださっているのだと思いました。

 法輪功を修煉し始めて以来、私は元気にあふれて、仕事をしているとき疲れることがありませんでした。当時、私は北京のある大学で英語を教えていました。週に14時間の英文科の授業を担当し、そのうえ4時間の研修があり、また英語検定試験の受験勉強をしている大学院生たちに週4時間の強化訓練講義をしていました。以前の私の身体ではこれほどの仕事をするのはまったく不可能でした。今はこれらの仕事を楽々とこなせ、以前より良い結果を出しました。

 98年2月、私は日本に来て夫と一緒に生活し、そして上野の煉功点に通い始めました。私は普段自分で煉功し、大法を勉強し、週末には煉功点に行きみんなと一緒に煉功や法の勉強や体験交流をしています。8月中旬、私は夫に連れられ友達数人と一緒に、富士山を見物に行きました。元々私は富士山に登るつもりはなかったのですが、富士山の五合目(標高2305メートル)に来ると、私は「もう、ここに来たのに、なぜ試してみないの? 登れるところまで登ってみよう」と思いました。それで私は彼らと一緒に富士山に登り始めました。予想もしなかったことに、私は登れば登るほど、力が全身にあふれ、一気に8合目(標高3450メートル)まで登ってきました。私は少し息切れしそうになったので、これ以上はもう登れない、登っても他人の助けを借りなければならないと思って、そこで休憩することにしました。翌日、山を下りて、順調に帰りました。

 このことがあって、友達は私の強い意志を称えてくれました。しかし、それは本当に私の意志の強さによるものでしょうか? 障害の足をもった人が、溶岩や石でいっぱいの山道を1千メートル以上も登れるでしょうか? 例えどんなに意志の強い人でも、山に向かってため息をつくしかないでしょう。私は、これは大法の威力だとつくづく感じました。大法を修煉しているから今回の山登りができたのです。この数年間、夫はいつも私の病気を心配してきましたが、あとで彼に「私は大法に出会えて、病気がなくなったので、あなたもそんなに心配する必要はないよね」と聞くと、彼は「君が富士山に登ったあの日から、僕もほっとしたよ。富士山にまで登れたからには、君に病気があるはずがない」と言いました。本当ですね! 大法は私の身体に確かに奇跡を起こしました。

 (この文章は8年前に書かれました)

 (1999年日本法輪大法交流会体験発表原稿より)

 
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2001/4/18/10045.html)     更新日:2011年12月9日
 
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