歴史が語る 忘れられない『4.25』
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文/中国の法輪功修煉者

  『4.25』(1999年4月25日のこと)はすべての人にとって忘れられない日である。当事者の一人として、私は自分が知っている当時の事実をそのまま書いて、歴史の証拠として、真実を世の中に伝える義務があると感じています。

 当時、私は中国農業大学で勉強中でした。我々は毎日のように朝は農大の正門前で煉功をして広く伝えていました。夜はキャンパス内の空地に集まり、皆で一緒に煉功をしました。人が多いときは150〜200人程度でした。しかし、煉
功場所にゴミ一つ残さずいつも綺麗に保っていました。大きい声を出さずいつも静かでとても平和でした。法の学習は3、4人で自宅かどこかにグループを作り、自主的に法を学習しました。

 『4.25』の前日、我々はいつも通りに夜は皆で煉功をしました。終わった時、一部の修煉者達は緊迫した様子で何かを喋っていました。その2、3日後まで私も天津の『青少年博覧』という雑誌が法輪功に対する真実と異なる報道をして、一部の修煉者がこの雑誌社に駆けつけて雑誌編集者に対して訂正を求めたことを知っていたので、おそらくこの関係で何かが起こったと不安になりました。私は近づいて一人から聞くと、天津で平和的に訴えた修煉者十数人を逮捕したと聞きました。事態の悪化を防ぐために、中央政府所在地の中南海に行って真相を訴えるべきであるという意見が出ていると、その一人が話してくれました。私は、あなたは行きますかと聞くと、彼はまだ考え中と言いながら、私に対して、自分で判断してくださいと言いました。

 その時私は、我々は善意を持って真相を訴えることは国のためになるし、国民のためにもなると考えました。1998年から我々修煉者たちに対する悪質な宣伝、事実と異なる報道や誹謗中傷が組織的に行われているように誰もが感じていました。その時、各地の修煉者たちは3、4人でその雑誌や新聞社の編集部を訪れて真相を訴えて、問題を解決しようとしました。雑誌や新聞社はお詫びを載せて訂正をしました。しかし、一方このような報道は絶えず、全国各地で起こっていました。内容は全く同じものであり、お互いにコピーしていました。誰かの指揮の下に行われているようでした。その中で何祚庥は北京や天津の地方のテレビや新聞で相次いで法輪功に対する誹謗中傷的文書を発表しました。中国科学院に在籍する修煉者は彼に真相を伝え、誹謗中傷的報道を止めるように説得しましたが、彼はそれを無視していました。彼の話を報道した北京テレビ局が報道は真実と異なっていたと訂正したにもかかわらず、彼は天津でまた事件を起こしました。天津の『青少年博覧』という雑誌に北京テレビ局で話した内容と全く同じ内容の誹謗中傷的文書が掲載されました。実は1998年から、中国公安部は何の根拠もなく、事実も調査せずレッテルを貼り、弾圧の準備をしていました。先に結論を付けて、結論に使う材料を全国公安システムに秘密文書を送り、「証拠」を集めていました。彼らの使った手段は中国共産党が今まで国民を弾圧に使っていた手段です。意図的、計画的、組織的に何らかの事件を起こして、それを弾圧の理由にするという手段です。しかし、今回違っていたのは法輪功の修煉者は何が起こっても非常に冷静にまず自分がどこを間違っているかを探し、その後、真実はどういうものであるかと判断する習慣とモラルを身に付けている人たちであり、何か起こっても善意を持って一つ一つ解決していたため、なかなか彼らの陰謀に巻き込まれませんでした。

 その意味では、天津の事件は彼らの計画と陰謀のステップアップでもありました。天津市政府の態度は、市政府はこの問題を解決できない、中央政府に行って訴えるようにという話であり、今までと異なったものでした。我々は仕方なく天津市政府が解決できないなら中央政府に行って訴えるしか他の道はありませんでした。我々は皆善意を持って国務院に行って中央政府に真相を知ってもらい、早く問題を解決したいという非常に単純な考えだけで行ったのです。

 私は当時、政府は我々に対して何かを仕掛けるとは全く思いませんでした。政府に対して平和的に訴える権利は国民一人一人が持っているからです。当時、私も中南海に行こうと思いました。宿舎に戻る道を一緒に歩いていた他の修煉者数人も行くと話していました。中南海はどこにあるかを知らない人もいたので皆朝の煉功が終わると自転車で一緒に行くと決めました。

 『4.25』の朝、我々は出発しました。3時間ぐらいかけてやっと中南海の近くに辿り着きました。中南海周辺で自転車がたくさん集まると交通に影響を及ぼすと考え、我々は20分先に行った所に自転車を置いて、そこから20分歩いて中南海に着きました。

 同行した人の中に女子大学生、博士もいました。みんな成績がとても優秀な子ばかりであり、中には大学院に選抜された人もいました。法輪功を修煉しているので、体も元気であり、顔色が良く赤みがさして輝く健康な人たちばかりでした。中南海に着いても興奮せず表情は変わりませんでした。誰もがとても冷静でした。

 およそ9時ごろ、我々は中南海の府右街付近に着きました。その時、道路の傍に大勢の修煉者が集まっていました。我々は知り合いがいるかを探しながら前へ歩きました。交差点付近で我々は足を止めました。我々は歩道で人が通行するときに邪魔にならないように気をつけながら、あいている場所に立ちました。道路の真ん中で女性警官一人が立っていました。彼女はまるで我々をとても知っているようで安心していました。誰もが自主的に秩序を守っていました。

 付近の住民や通りがかりの人たちは何が起こったか分からない様子で我々の方を見つめながら通っていきました。人が多くても交通は順調で、何の混雑も起こりませんでした。

 その時、人から人へと静かに情報が伝わってきました。朱鎔基首相が自ら修煉者の代表と会見をしているという情報を聞くと誰もが喜びました。問題が解決に向けて大きく進展したことに皆安心していました。

 昼食の後、我々は荷物を持ってゴミを拾って帰る準備をしました。一人の年配の修煉者は黒色のゴミ袋を持ってきて、ゴミが残っているかを探しながら歩いて一周していました。

 午後一時ごろ、天津で不法に逮捕された修煉者たちが釈放されたという情報も伝わってきました。首相と会見した修煉者の代表の要求は非常に簡単なものでした。我々が安心して煉功をする環境が欲しい、法輪功の書籍を公開出版できることを許可して欲しい、という当たり前の要求だけでした。

 もう少し待つことにしました。修煉者の中には座って煉功をしていた人もいました。ほとんどの人は手に『転法輪』の本を持って、立ちながら読んでいました。その時、中年の男性が近づいてきて何をしているのか、どこかの労働者たちが給料などの不満で集まっている人たちかと尋ねてきました。我々は違うと答えると、彼は自分が日本の朝日新聞の者であると言いました。それでも我々は何かを彼に訴えるというつもりはありませんでした。何の目的かと再三聞かれて、我々は彼に明日の新聞で明らかになるでだろうと言うと、彼は笑いながら去っていきました。

 午後、私は少し前へ移動したら自分が立っていたところは北海公園であったと分かりました。北海公園の渡り橋を越えると、立っている修煉者の数が少なくなっていました。当時、北海公園の白塔が目に入りました。私は密かに心の中で白塔に言いました。白塔、私はあなたと今日このような形で会いました、今日何が起こったかを覚えておいてね。

 私はそこで立っていると、通りかかった修煉者の中には、軍人、武装警察、背がとても高い綺麗な女性、中年の穏やかな女性、布の袋を持っていた農家の人、また私と同じような大学生もいました。私の傍に立っていたのはファッションモデルで、朝の飛行機に間に合わなかったので、遅れてここに立っていると話していました。一緒にいた二人の男性もとても立派であり、ブランド品の服を着て会社の社長にように見えました。私は今まで自分の周りの大学生修煉者しか会っていないので、こうした社会的地位の高い階層の人も私たちのように法輪功を修煉しているとは知りませんでした。彼らは我々と話す時に、とても普通で自分が偉い威張っていませんでした。今回の経験から、私は尊敬する師父が私に与えてくださった法輪大法は何よりも素晴らしいものであることを改めて感じました。

 夜9時になって、今回の要求は円満に解決されたという情報が伝わって来て、残りの問題は代表が引き続き話すから皆さん家に帰ってくださいという連絡が伝わってきました。我々はとても安心しました。身の周りのゴミを拾って、気持ちも晴れて、喜んで家(宿舎)に向かいました。後で駆けつけてきた人は私たちに、また来ますかと聞いてきました。私たちは笑って、問題が解決されたので来ないと答えました。後で考えるとその人は私服警察だったかもしれません。我々に次に計画があるかどうかを尋ねているようにも思いました。

 宿舎に着いたのが何時だったのかは覚えていません。問題が解決されたことにみんな喜んでいましたが、実はこれは一つの更なる大陰謀の始まりだとは、誰も知りませんでした。

 『4.25』で表された修煉者の態度、慈悲な心は周辺の人々を感動させたに違いありません。世間が法輪功の修煉者は素晴らしい人間であることを知ったと思います。『4.25』事件を通じて、法輪功は素晴らしい、美しいものであることを多くの国民が高く評価していました。

 しかし、続いて我々に対して更なる妨害とかく乱を仕掛けてきたのです。煉功場にスパイが入り込み、様々な情報を収集するようになりました。すぐにスパイだと見破りましたが、法輪功には隠すことや秘密などは何もないので、彼のことを暴くことはしませんでした。その後、土曜日と日曜日の法輪功の素晴らしさを宣伝するイベントに警察車両が来て、横断幕を出してはダメだとか、法を宣伝してはダメだとか言って妨害し始めたのです。その後、煉功場の指導員(先に習い始めた修煉者で、煉功動作を教える人のこと)が監視されるようになり、法の学習会や修煉経験を語る心得体験の交流会も阻止され、こうした騒ぎは『7.20』になって、世界を驚かせた邪悪な中国共産党による法輪功への迫害が始まったのです。

 今日、再び『4.25』のことを思い出すと、法輪功を修煉して昇華されてきた品格を感じました。大法弟子はこれほどまで高尚です。もし、中国の国民が皆法輪功の修煉者のように何が起きても冷静に、そして自分に過ちがあるかどうかを先に探して、その後、事実を基に真相を明らかにする性格を持つならば、中国の将来はきっと明るいものであり、中国は世界で最も平和的で尊敬される国になったことでしょう。

 
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/4/25/177179.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2008/5/1/96905.html)     更新日:2011年12月8日
 
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