【応募作品】鉄パイプに打ちつけられても怪我がなかった人
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ーー師父が初期に長春で法を伝えられた思い出

文/長春市の大法弟子(本人口述、同修が整理記入)

明慧日本2010年5月16日)私は今年81歳になりました。師父が法を伝えられた第一期の修煉者で、『転法輪』の中の「一本の鉄パイプが上からまっすぐ頭めがけて落ちてきて」も怪我がなかった人は、私のことです。師父こんにちは、私はとても師父にお会いしたいです。私のこの体験を言うと、師父はきっとお分かりだと思います。私は師父が戻って来られることをお待しております。

 師父は1992年の春、長春勝利公園の猴山の近くで大法を伝え始めました。当時の師父は、灰色のセーターを着て、子供(美歌ちゃん)を連れて弁当を持っている様子でした。師父は本当に苦労されていました。

 最初、師父は猴山の南方面で5、6人と話しました。だいたいの内容は、「私には功法があるので、皆でやってみましょう」ということでした。そして、5、6人から数十人になり、その後、講習会を開かれました。

 長春第五中学校のある教師が教室を借りて、師父の第一期講習会が行われました。当時の入場券は10元でした。その時、私の父は亡くなったばかりで、三日後に私は聞きに行きました。師父に「私はお金を持っていません。数元しかありません」と言ったら、師父は「では、お金はいりません」とおっしゃいました。当時の受講料は全て、本を作るために使われました。

 師父が説法された時、子供(美歌ちゃん)が教室の外で遊んでいました。私も孫を連れて3人で一緒に遊んでいました。ある日、私は2本のアイスを買って孫と美歌ちゃんにあげようとしていました。しかし、美歌ちゃんはどうしても受け取りませんでした。私が何度も勧めるとアイスを食べました。食べ終わってから、美歌ちゃんは師父からお金をもらって、アイスを1本買って孫にあげました。本当にいい子です。美歌ちゃんは「師父には怖いことがありません。ただ衆生が苦しむことが耐えられません。衆生が苦すむ度に、師父は涙を流されます」と言いました。当時、40から50人が、師父が本を作られることを知り、自らお金を出しました。作ったのは『転法輪』です。当時は1冊8元でした。

 1992年春、大法を学ぶ人はまだ多くありませんでしたが、翌年になると人がいっぱいになりました。猴山の周りはほとんど修煉者で、新しい修煉者も多かったのです。師父は再び講習会を開かれました。私は航空クラブ、自動車工場での講習会に全部参加しました。その時、地方からの修煉者、通訳者を連れた外国人修煉者など、大勢の人が来ました。勝利公園近くの空軍宿泊所も満室になりました。遠くから来たあるお年寄りの夫婦がいました。おじいさんは孫の面倒を見なければいけないので、講習会に参加できず焦って泣きました。また、「木子」(師父の名字の「李」を示す)という師父が、長春で説法するという夢を見た人も来ました。

 ある日、輔導員が米国から20代の女性修煉者を連れて来ました。この修煉者は一回りして私をよく見てから合掌しました。当時、多くの人は私が鉄パイプに打ちつけられても怪我がなかったと知り、私を見に来ました。私は彼らに当時の状況と法輪がいかに私を守ってくれたかを教えました。

 私は当時、第四分局の近くに住んでいました。家の近くにビルの建築現場がありました。ある日、私はそこを通った時、突然一本の鉄パイプが上からまっすぐ頭めがけて落ちてきました。滑り落ちてそのまま地面に突き刺さって倒れませんでした。私の頭に小さいくぼみが現れましたが、血が出ず痛くもありませんでした。私は「誰だ、私を叩くのは?」と言いながら振り返ったところ、頭上に大きな白い法輪が回転しながら上がっているのが見えました。この大法は本当に素晴らしいです。私は心から信じています。

 それから、私は毎朝2、3時頃から掃除用具を持って歩いて勝利公園に行くようになりました。街も公園も真っ暗でしたが、私は怖いと感じず煉功していました。夜明けになったら、みんなと一緒に公園を掃除しました。当時、たくさんの修煉者がそうしていました。鉄北に住むお婆さんは、夜12時に家から歩いて勝利公園に来て煉功していました。また金銭堡(長春市の郊外)に住むお婆さんは朝3時から歩いて煉功に来ます。冬の大雪の時は、ダウンコートもないのですが、それにもかかわらず皆が煉功を堅持しました。当時、師父は猴山の階段で、私たちは南面で煉功していました。

 その後、師父は講習会の受講料を20元にしようと思いましたが、気功協会の人が来て「ほかの人の料金は50元ですが、なぜあなたは20元なのですか」と聞きました。師父は「私はその費用で本を作るだけですから」と答えられました。しかし、気功協会からの同意が得られず、最終的に30元にしました。当時、ほかの気功班がいくら料金を上げても、気功協会は何も言いませんでしたが、法輪功は料金が低いと気功協会に言われました。

 師父が説法された時の不思議なことはとても多いです。航空クラブの講習会で、ある男性が担架で運ばれて来ました。師父は「担架を前に持って来てください」と言いました。その後、師父があまり動かないうちに「起きなさい」と言われました。その男性は本当に起きられるようになりました。師父が「降りて歩いて見てください」とおっしゃると、彼は本当に歩けました。男性は大喜びでした。

 ある修煉者が煉功場で写真を撮りました。写真の中に、ある法輪功修煉者の頭の上に二匹の龍がいました。この修煉者の名前をまだ覚えています。また、あるお婆さんは若返って生理が来ました。私も煉功して元気を取り戻しました。息子の友達は私の様子を見て、自分の親に煉功させました。半年後、旧暦新年が来ました。旧正月には、みんなマージャンをやるので、お婆さんはがまんできず一緒にやりました。その後、修煉をやめました。しばらくして、お婆さんは胃癌を患い、亡くなりました。当時、家で死んでしまいました。4日後に出棺し帷子(死人が着る服)を着せる予定でしたが、3日目に、そのお婆さんは生き返りました。いつも通り少し食べてから、第二式の功法を煉功し始め、普通の人と何ら変わりませんでした。彼女は人々に「法輪功は本当に素晴らしいです。私が帰ってきたのは皆にこれを伝えるためです。私はよく修煉できず本当に間違いました」と言いました。それから3日後、お婆さんは本当に死んでしましました。お婆さんの夫・陳さんは人に会う度にこのことを話し、「法輪功は素晴らしいです。しっかり修煉してください」と伝えていました。また、天目が開いた同修は、煉功場の上空に赤い雲があって師父がその上に座っているのが見えました。当時、師父は自ら功法を教えておられました。

 この数年来、私は毎日学法、煉功し、何の病気もありません。息子たちも「僕らは母さんの身体に及ばない」と言っています。私は発正念で邪悪を滅し、迫害される同修が一日も早く釈放できるように頑張っています。また、紙幣に真相を書いています。私はただ師父と、美歌ちゃんに会いたいです。師父の事を思い出す度に涙が流れ出ます。私の身体は、当時の勝利公園の時と同じで、とても元気です。私は元気で師父を待っております。私は師父に証明します。師父がおっしゃったことは事実です。私が証人です。

 
(2010年明慧ネット「5.13世界法輪大法デー」応募作品)

 
(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/5/13/222876.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/5/14/116969.html)     更新日:2012年1月11日
 
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