法の光が吉林大学を照らす(二)
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 文中国長春の大法弟子

(明慧日本)

  師父が再び自ら講座を開かれ、法を伝える

 1994429日から58日まで、師父は再び吉林大学の礼堂に来られて、長春第7期「法輪功学習講座」を開かれました。講座を開かれるという情報が出てわずか数日の間に1600枚のチケットが全部売り切れました。そして青海、内モンゴル、安徽、黒龍省、北京、山東など十数の省と市から法輪功を学びに来た700人余りの人と長春の法輪功を学ぼうとする1000人余りの人はチケットが買えませんでした。どうすればいいでしょうか? 担当の学習者はもっと大きい、30004000人を収容できる場所に替えようと思いました。しかし市の体育館に行って聞いてみると要求された金額があまりにも高かったのです。師父はどこに行って講座を開かれても、いつも最低レベルの料金を取るよう固持されました。師父はいつもおっしゃいました。「衆生を普く救い済度するかぎり、学習者達の負担を増やしてはいけません」学習者は師父に指示を仰ぎました。師父は吉林大学の礼堂で昼、晩に分けて2つの講座を開かれると表明なさいました。そのために、師父は午前中説法された後、夜また説法され、非常に苦労なさいました。その場の学習者達は深く感銘を受けました。

 ですから、長春第7期「法輪功学習講座」は昼、晩2つの講座があり、全部で3200人に達しました。このようにしても、やはりとても多くの人はチケットが買えず、多くの講座に参加したことがある古い学習者達が自分のチケットを自ら新しい学習者達に譲ってあげました。

 師父が説法される前に、接待を担当した学習者は常人のいつも通りのやり方で、礼堂での注意点、知っておくべきこと:例えば遅刻しない、早退しない、紙くずを勝手に捨てない等々を小さい紙にメモして師父に渡しました。師父はご覧になった後笑って、「これは要りません」とおっしゃいました。その時、吉林大学の礼堂でよく会議が開かれ、様々な気功も来て講座を開いていたので、毎回開催する人達にこのようなメモを渡していたのです。この学習者は法を得たばかりで、法輪功に対してまだ深く理解しておらず、一般的な気功と同じように思っていました。

 11つの出来事によって、学習者達は身をもって師父の高功大徳法輪功の奇跡と超常を感じるようになりました。学習者達は師父を非常に敬慕していました。師父が会場に来られた時、みな起立し、引き続き雷鳴のような拍手の音が鳴り止みませんでした。師父が何度もみんなに座るよう手で合図をなさってやっとは座りました。師父に水を差し出すとき、学習者は師父の前に1の紙が置かれているのを見ました。それはA5サイズで、上に書かれているのは全部わけのわからない字で、これがまさに師父の説法なさる原稿でした。師父は説法なさる時、とても多くのレベルが高く、深い物事に言及しました。科学者、教授、専門家などみな下で聞いており、その人達さえ知らない、聞いたことさえない物事を師父はいくつかの言葉でおっしゃいました。論理性がそのように高く、条理そのように明瞭透徹、明らかにおっしゃいました。本当にあまりにも素晴らしいです!

 毎日の講義に来た16001人も遅刻、早退せず、床はとてもきれいで、みんなお互いに礼儀を尽くし、譲り合いました。まさに師父がおっしゃった通りです。「これは要らないです。私達の基準はそれよりもずっと高いです」当初の挙動を思い出すと、学習者本人でさえ可笑しいと思うようになります。法輪功は素晴らしくて、本当の意味で人の心を変えることができ、人良く、さらに良くなるようにします。法輪功を学んだことがある人達はみな、法輪功はさすがに修煉の大法であり、起点がとても高く、とてもたくさん与えてくれることを体験しました。師父はとても多くの、窮極の真の宝を無償で功法を学ぶ人々に与えてくださいました。これは他の如何なる功派もできないことです。

 師父は『転法輪』の中で次のようにおっしゃいました。「法を伝えている中で、うまくいかなかった点もありますが、さまざまな方面からの妨害もかなり大きかったのです。主催者と各界の指導者の力強い後援とスタッフの皆さんの努力のおかげで、われわれの講習会は圓満に開催できました」師父のおっしゃった一言一言に全部深い内包が含まれています。第7期講座の時、次のようなことがありました。

 2日目のお昼の講座で、師父が説法なさっている途中に、礼堂は突然停電し、礼堂全体の階上と階下は真っ暗になりました。担当の学習者達はとても焦慮しました。なぜならその日は日曜日で、あちこちで電気技術者を探してもおらず、焦りで頭に汗をいっぱいかきました。吉林大学の礼堂には、突然の停電時のために用意されていたロウソクがありました。学習者はすぐロウソクを取って来て、点火し、教壇の上に置きました。

 師父はまったく焦らず、録音担当の学習者におっしゃいました。「あなたに録音機があるのではありませんか? 幾つかの電池を買って、スピーカーを両側に置いたらいいです」学習者はそれを聞き、すぐ単1の電池10個を買って大きい録音機に入れました。そして師父のおっしゃったとおり、スピーカーを両側に置きました。このように録音機と2つのスピーカーを利用して、講座が終わる時まで、師父は続けて説法なさいました。礼堂の後ろに座っている学習者達も、みんな非常にはっきり聞くことができました。

 当時、小さいロウソク1本だけ説法をなさっている師父を照らしており、下の座席の方には光が全くありませんでした。しかし秩序は整然としており、みんな静かに説法を聞いていました。誰もしゃべらず、誰も動きませんでした。礼堂の職員さえ不思議に思い、讃嘆しました。「本当に素晴らしいです!あなた達法輪功は本当に素晴らしいです!吉林大学礼堂が停電した後、会議が続いたことは今までありませんでした。本当に不思議です!」


長春第7期「法輪功学習講座」

 今期の講座が開かれている期間、人を感動させることが多くあり、忘れ難いのです。56日お昼の講座が終わ、昼に近づく時、南湖煉功点の学習者達は礼堂の門前に来て師父と写真を撮るため待っていました。その中には60を超えた脳血栓にかかっている高級エンジニアがおり、杖をついて椅子に座っていました。師父は来られ、そのエンジニアに「杖を捨てて、椅子も撤去しなさい」とおっしゃいました。老人はそれを聞いて、ゆっくりと立ち上がり、椅子を撤去し、杖を捨てて、試しに脚を踏み出してみました。そして礼堂の門前で数回歩き回りました。老人は喜んで笑い、また感激して泣きました。その場にいる人達はこの不思議な出来事を目撃し、みな「奇跡です!」と驚嘆しました。老人は自分で階段を上り、礼堂に歩いて入り、講座を聞きました。それから杖なしに、自分で歩けるようになりました。老人の妻はその晩、師父に感謝の手紙を書き、全家族を代表して師父に感謝を申し上げ、法輪功の修煉を精進し師父の恩徳に報いるよう決心しました。このようなことはまたとてもとても多く、言い尽くしてもきりがありません。


老人が杖を捨て、数回歩き回る

 写真を撮ることを言い出すと、また忘れられないことがあります。講座に参加したすべての人がみな身をもって法輪功の奇跡と師父の恩徳を感じたので、みな師父と写真を撮って、この貴重で美しい思い出を残したがっていました。講座が終わってない時点で、既にとても多くの人がこの要求を提出し、師父に聞きました。師父は同意してくださいました。皆これを知った後、非常に喜びました。

 担当の学習者は嬉しさと共に心配が生じました。1つのクラスに1600もいますが、どう撮るといいのでしょうか? なぜならこんなに多い人数でまとめて写真を撮ったことがなかったので、「みんな順番に来てください」と言いました。みんなそれを聞いて、後ろへ下がり、自発的に地区別に立って、静かに待っていました。師父は踏み段の上に立っており、師父に最も近い学習者達から順番に来て師父と一緒に写真を撮りました。撮り終わった人は静かに離れ、秩序整然としており、誰かが来てまとめる必要などまったくありませんでした。地区ごとに撮り終えた後、また家族で、親友と一緒に、個人ごとに師父と一緒に写真を撮ろうとする人達がいましたが、師父はすべて同意してくださいました。1時間以上をかけてフィルムを6巻使いました。師父は始終踏み段の上に立っていらっしゃいました。

 師父の慈悲、威徳と法の力で人は内面から外面まですべてが徹底的に変わりました。しかもこのように短い数日の間で!1人1人に根本的な変化が表れました。人としての道理が分かり、人生の意義が分かりました。自発的に良い人になり、思いやりがあるようになり、自分厳しく要求するようになり、法輪功の環境が乱世の中の浄土となるようにしていました。

 7期の講座で師父はとても高いレベルの説法をなさいました。講座が終わった後、師父は今期の説法の録音を筆録するよう、必ず1文字も漏らさずに筆録するよう要求しました。吉林大学の学習者数人がこの仕事を承り、とても短い時間内に録音を筆録し、それを積み重ねて置くととても高くなりました。当時はまだ分かりませんでした。これがまさに師父が次のとおりおっしゃった至宝の書籍『転法輪』です。「もう一つはっきり言っておきますが、この本の内容は数回の講習会で説法したものを合わせたもので、すべてわたしが話したことです。一つ一つの言葉はいずれもわたしが話したもので、それを一文字一文字テープから起こして、弟子たち、学習者たちが手伝って録音に基づいて書き写してくれたものを、わたしが何回も何回も書き直したのです。すべてがわたしの法で、わたしが説いているのはこの法だけです」


199453日、師父は長春法輪大法第7期伝授講座で学習者達のために法輪図形について解説しておられる

 講座が終わるその日、11枚の錦旗、11つの感謝状が次々と教壇に送られ、捧げられました。学習者は皆自ら受益し、11人が感動の涙に満ちており、言い切れない真心からの言葉がありました。みんな先を争って師父と握手し、別れの挨拶をしました。ある学習者が師父に聞きました。「師父よ、あなたが行ってしまい、今後長春にいらっしゃらなければ、私達はどうしたらいいでしょうか? あなたは私達に続けて気を配ってくださるのでしょうか?」師父は「あなたが月に行ったとしても私はあなたの面倒を見ます」とおっしゃいました。

 17年来、長春の大法弟子達は様々な試煉を経ましたが、始終堅い意志を持って大法修煉の道を歩んでいます。私達は心で分かっていますが、そして時々刻々師父が私達の身近で私達を見守っておられることも感じていますが、しかしそれでも師父を懐かしんでおり、非常に師父を懐かしんでいます。師父が故郷に帰るその一刻を待ち望んでおり、師父と再び会えるその一刻を待ち望んでいます。私達は次のように言いたいです。「師父、こんにちは! 今年師父は60歳をお迎えになります。私達は師父へのお祝いを申し上げます!」

師父が自ら吉林大学に来られ、長春の補導員達のために説法される

 1994918日、師父は再び吉林大学に来られました。吉林大学の「理化学棟」の7階の礼堂で長春の法輪大法指導員達のために説法なさいました。その時、師父が説法された内容が、まさに『法輪大法義解』に書かれている第1部「長春法輪大法指導員のために法を解く」であります。


師父が長春の法輪大法指導員達のために説法される

 師父はこの説法の中で次のようにおっしゃいました。「その実は一つの問題を把握し、心性からのみ捜すなら、どんな問題でも解決できるのです」

 「我々はあなたに全く一人の超常人で、全く個人の利益を放棄し、全く他人のためになるようにと要求します。その大覚者、彼は何のためでしょうか? 彼は全く他人のためであるのです。ですから、私が学員に対する要求もかなり高く、学員が向上するのもとても速いのです」(『法輪大法義解』「長春法輪大法指導員のために法を解く」)

 師父はまた長春の法輪功学習者達に対して1つのアドバイスを提出なさいました。「その上私はまだわれわれの何人かの責任者にこの事を言ってはいませんでしたが、つまり我々は私の故郷で率先して、組織してみるのはどうでしょうか?われわれはただ団体で煉功するだけではいけず、我々は特定の時間を探してみんなで学法すればどうでしょうか。11つ順を追って、皆で読み、討論するのはどうでしょうか。学法する時間も集団煉功のように固定して按配すれば、もっとメリットがあり、的中しており、こうすれば我々が将来、実際の問題に遭遇するにあたり根拠となる法があると私は思っています。われわれは先ず口火を切り、全国各地の指導站においてとても良い率先の役割を果たしましょう。それから全国各地がそれを模範とし、これは我々が認識を高めることに対してとてもメリットがあるのです。このような提案をします」(『法輪大法義解』「長春法輪大法指導員のために法を解く」)

 師父の説法の後、長春の法輪功学習者達は学法と心性を修めることを重視しはじめ、そしてとても速い内に全国に広めました。1995年、至宝の書籍『転法輪』が出版された後、は本を手放しませんでした。学習者達は近くに学法のグループを作り、大きいグループと小さいグループがあり、自発的に集まって学法をしました。とても多くの人はみな仕事帰りに直接学法のグループに行って学法をし、毎日これを続け、堅実な個人修煉の基礎を築いておきました。

 その時、よく全国各地から学習者達が長春に来て交流をし、台湾と国外の学習者達、西洋人学習者達さえも含めてよく休みの時期を利用して長春に来て、長春の学習者達と一緒に学法し、煉功しました。これらの学習者達も長春に着くと必ず吉林大学に行き、師父が法を伝えられた当時のその道を再び追憶しました。学習者達から師父が法を伝えられる時の艱難辛苦と神の奇跡を聞き、いっそう親しさを感じ、さらに励まされました。


煉功が終わるとすぐ学法のグループに行って学法する修煉者たち

 「佛光が普あまねく照らせば、礼儀が圓明えんめいとなる」17年来、吉林大学は合併、南への移転を経ましたが、師父が当時法を伝えられた場所は依然としていつものように荘厳、厳かで、静かで落ち着いています。1995年初めから1999年「7.20」まで、『転法輪』の中で吉林大学が言及されたが故に、とても多くの高校生、大学生、大学院生達が吉林大学を目指して受験を申し込みました。新入生が「学生処」に行って入学登録を済ませてからすぐ煉功点、学法のグループに来て届け出を出しました。みなとても賢い学生達で、清華大学、北京大学に行けるレベルでした。ある学生は『転法輪』を丸ごと暗唱することができ、学法の時は1文字も間違えず暗唱しました。その学生達が吉林大学に来たのは、まさにここの学法、修煉環境を感受するためでした。

 また次のような出来事がありました。多分1995年だと思います。甘粛省蘭州在住のある人が、書店で『転法輪』を見つけました。その人は本を開いてみてから、これは普通の本ではないと感じ、家に『転法輪』をお迎えして読みました。その人は本を読んで、学びたい気持になりましたが、どう煉功すればよいか、動作はどうかなど知りませんでした。その人は本の中で「この前吉林大学で講習会を開いた時も」と言う部分を読み、吉林大学の責任者宛てに手紙を書きました。学校には法輪功を修める人がとても多く、修煉者達は心性が高いので、法輪功を修める人達はみなとても有名でした。その手紙はある学習者に転送され、この学習者は師父の煉功動作を教えるビデオをその人に郵送してあげました。その後もお互いに連絡を取り合い、1999年「7.20」まで続きました。

 このような物語はまだとてもたくさんあります。湖南、そしてその他地区の人達もみな『転法輪』を読んで、師父が吉林大学で講座を開かれことを知り、手紙を書いて尋ねて来ました。学習者はひとつひとつ全部助けてあげました。

 当時、師父は吉林大学の大法弟子達に非常に関心を寄せて下さいました。早期、師父とよく接した学習者達はみな師父が自ら書かれた揮毫(きごう)を頂きました。「真修」、「忍」、「悠悠万事、修煉為大世の中の万事の中、修煉こそ一番である」などがあります。これ師父の書いて下さった揮毫を、師父が法を伝えられてから5周年を記念する長春第2期法輪大法美術展で全部展示したことがあります。これも吉林大学の大法弟子達が特別に頂いたものであり、あまりにも大きい栄光であります。

 師父が吉林大学で法を伝えられた日々を回想し、何度も涙が止まらなかった時がありました。師父よ、貴方は私達にあまりにも多く、あまりにも良いものを下さいました……ある学習者は師父に会うと、涙ばかり流し、初めから最後まで涙を流しました。その学習者は「今までこれほど多く、涙を流したことがありません」と言いました。なぜなら、それは私達11人が一生の中で最も幸せで最も嬉しい時であり、私達生命の中の貴重な財宝であるからです。それは師父の慈悲なる恩賜であり、師父の威徳の顕れであります。その方(師父)は私達個人個人に属しません。それは広々とした佛陀の恩であり、それは宇宙の大法の顕れであり、大法を源とし、大法へ回帰するのです。

 師父は苦心惨憺を経て、私達善に向かわせようとする心があるだけで、このように良い法を伝えて私達を救い済度して下さいました。19年間のさまざまな世の辛酸、試煉を経て私達は成熟し、師父から頂いたこのすべてを更に大切にするようになりました。今日、師父が60を迎えるこの日に、師父が法を伝えてから19周年になるにあたり、吉林大学の大法弟子達は師父の御生誕をお祝い致します! 師父にご挨拶申し上げます! 大法の輝きが照らす中、私達は必ず師父の慈悲に背かず、大法弟子が行うべきことを頑張ってよく行い、精進し、さらに精進いたします!

(完)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/5/10/240152.html)     更新日:2011年12月6日
 
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