【応募作品】師父が石家荘で法を伝えられた時の思い出
■ 印刷版
 

明慧日本2010年5月21日)私は1994年3月から石家荘で法輪功の修煉を始めました。当時、私は53歳。仕事のためストレスが溜まり、心臓病で苦しんでいました。後に貨物ステーションに転勤し、列車が来るたびに、ゲートを開けるなどの仕事をやりました。両親と兄弟、そして妻も身体があまり丈夫ではなかったので、数種類の気功を学んでみましたが、全く効果がありませんでした。

  1994年3月1日、隣人から法輪功の創始者が石家荘にいらっしゃったことを聞きました。3月3日から棉二礼堂で師父の講義を受講することになりました。第二講の時、師父は「学びたい人は今からでも間に合いますので、早く来てください」とおっしゃいました。私はすぐ妻を呼び、第三講から学べるようにしました。妻は2日間の講義を聞いた後、体が軽くなり、自転車に乗っても誰かが後ろから押してくれるような軽快さを感じました。

  3月11日、講義が終わると師父は皆と記念撮影を撮られました。主催者側は専門の写真家に任せるつもりだったのですが、1人20元もかかるので、師父は「誰か写真を撮れる人はいないですか」と聞かれました。技術を持った修煉者がいたので1人3元で済みました。

  数百人の修煉者がいたので、師父は20人を一組に忍耐強く写真を撮ってくださいました。私は師父の慈悲なる温かさを感じました。1000人あまりの人が講義に参加していたため、後ろに座った私は師父の顔がよく見えませんでしたが、写真を撮った時、ハンサムで身長180センチの師父をはっきり見ることができました。

  講義に参加した翌日から私は39度の高熱を出し、もうろうとした状態に陥りました。当時は、師父が私の業力を消してくださっているとは分からず、妻といっしょに病院に行き点滴をしました。それから数日後、私は自分の心臓病が治ったことに気づきました。師父のご恩は決して忘れません。

  師父の講義が終わった後、数十人の修煉者たちは体育広場で集団煉功を始めました。修煉する人がますます増えて、他の気功を学んでいた人たちも法輪功を学びに来ました。年数の長い修煉者たちは師父の要求どおり、無料で煉功動作を教えました。

  清明節に、故郷に帰って先祖供養をした時、たくさんの人が病に苦しんでいるのを目の当たりにしました。しかし、貧乏な彼らはお金を払って病を治すこともできません。私は彼らに法輪功を教えました。最初に教えた親戚は煉功した後、すぐ病気が治り、村の人たちは法輪功のすばらしさに目覚め、みんな学び始めました。

  大法のすばらしさはますます広く伝えられ、しばらくすると農村でいくつかの煉功場が立ち上がり、良い効果を収めました。たくさんの新しい修煉者たちは煉功と学法を通じて健康になり、道徳も向上し、みんな師父のご恩に感謝しました。

  例えば、私の従弟の妻は、お腹に大きさの異なる八つのこぶがありましたが、お金がなくて治療できませんでした。しかし煉功してから半年後、残ったのは一つのこぶだけで、そのこぶも続けて煉功した結果、消えてしまいました。従弟も肝炎に苦しんでいましたが、煉功してから1年後には完全に治りました。

  他にも肌が硬くなる病気にかかっていたある修煉者は、煉功してからすぐ治りました。大法のすばらしさを目にした村の人々は、みんなその修煉者の家を訪ねて煉功を学び、彼の家が煉功場になりました。

  半身不随のある患者は杖をついていましたが、法輪功を修煉してから自転車に乗って買い物に行くこともできるようになりました。高血圧、心臓病、腰痛などに苦しんでいた常人も、真に修煉さえすれば病気が治りました。

  私は、われわれの煉功場の修煉者たちを代表して師父にご挨拶を申し上げ、師父の慈悲なる済度に感謝いたします。

 (2010年明慧ネット「5.13法輪大法デー」応募作品)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/5/19/223936.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/5/25/117371.html)     更新日:2012年1月11日
 
関連文章