李洪志師父が湖南省チン州で法を伝えられた日々
■ 印刷版
 

文/湖南省チン州の大法弟子

明慧日本2010年7月10日)1994年7月15日から18日まで、師父は湖南省チン州に来られて説法されました。これは万古に会えるかどうかの機会で、佛の慈悲です。

 1993年、チン州の4人は師父の説法を聞いたことがありました。とても素晴らしかったので、師父にチン州にぜひ来ていただき、より多くの善良な人が恩恵を受けることを期待していました。1994年1月6日、彼らはチン州気功協会の紹介状を受け取り、広州の学習班に参加しました。師父にチン州に法を広めることをお願いしました。何度も要求した結果、師父はチン州に法を伝えることを同意されました。

 数日後、私は壁に、1994年度に師父が全国で説法される日程を貼りました。年初から年末までスケジュールで埋め尽くされています。一日も空いている日もありませんでした。チン州は7月7日から12日に按配されていました。その前は鄭州、済南で、チン州の後は広州、ハルビンでした。この日程表を見て、師父がどれだけ苦労されているかを感じました。衆生のために受けられた大きな苦労は、常人には理解することができません。

 チン州の状況は、交通が不便で人が多く、仕事や生活にも影響を及ぼします。師父は鄭州の学習班で、責任者に「チン州に多くの人が行ってはなりません。家に帰る時間に影響を及ぼし、仕事を遅らせることになります」と言われました。ですから、チン州には900人しか来ませんでした。何年も経ってから私たちは、師父が社会に責任を持ち、人に責任を持ち、すべての衆生を常に考えておられる大きな慈悲と、果てしない法力を感じ取りました。

 チン州で法輪功講習班を開く前に、済南で講習班を開いたとき、意外なことが起きました。一つの班を計画していたとき、来た人は1万人にもなりました。師父は法を得に来た人を1人も落とさないように、ただちに2班を同時に行われました。

 チン州での法輪功講習班は数日遅らせることになりました。済南班が終わると、休憩時間もなく、師父は飛行機に乗って長沙に向かわれました。チン州の弟子は車で師父を迎えました。チン州の弟子は待ち望んでいたのです。

 1994年7月15日、師父は微笑みながら、元気ハツラツとした様子でチン州班の演壇へと歩かれ、チン州に法を広め始め、佛光がチン州を照らしました。

 師父のチン州での日々は私たちにとって忘れがたい日々でした。師父は4日間、昼も夜も連続して九つの講座を行われました。1日目は、師父の説法の声が小さかったと思うと、師父はただちに「どうしました? 声が小さいですか、聞こえづらいかな」と言われました。スピーカーの音はすぐに大きくなりました。当時、私はとても不思議で、師父は何でも知っておられると思いました。

 師父はチン州におられた日々、何人かが本来は生活と洗濯などのお世話をするはずでしたが、師父は誰にも仕事をさせられませんでした。毎回、「服を洗いましょうか」と聞くと、いつも「洗濯は終わりました」と答えられました。「ご飯を食べられますか」と聞くと「食べました」と答えられました。弟子が贈ったものはそのままにしておられました。ホテルのサービス係が「世界でこんなにいい人は初めだ」と言いました。師父はいつでもどこでも他人の事を先に考え、部屋は綺麗にして、布団はきちんと整えられました。

 講習料は最も安いものでした。初めは50元でしたが、師父は責任者に何度も相談してお金を返却すると言われました。結局25元にしました。私はかつて他の気功を習っていました。他の気功師たちが講座を開くとき、講習料は集めるだけ集め、お礼が少ないと許しません。食事を饗応(ごちそうして人をもてなすこと)するなどしなければなりませんでした。

 師父は手ぶらでチン州に来られて、去る時も手ぶらでした。集まった講習料は場所代と気功協会へお金を払って、残りの数千元は、チン州の指導場所ができたばかりなので、師父はそのお金をチン州の指導場所の責任者に渡され、師父には一銭も残りませんでした。

 1999年7.20、中共は法輪功を迫害し始め、師父が蓄財をしていると報道しました。チン州からいくらか持っていき、市民をだましたというのです。

 私たちは手ぶらで師父を送りに行きました。師父は喜ばれ、スイカを買い、手で割って1人に1個を渡されました。多くも少なくもありませんでした。不思議なことに、師父は私たちが何人で来たか分かっておられました。

 列車に乗ってチン州を離れる夜、師父はまだ弟子の動作を指導しておられ、手で弟子の動作を直されました。この4日間、師父はできるだけ弟子が提案した要求に応えられ、写真を撮ることに応じられました。小数グループに分けて、師父と一緒に写真を撮りました。小さな懇談会のとき、ある弟子が新しいカメラを買って、師父を撮りました。2枚撮り、師父はもう撮らないでくださいと言われましたが、その弟子は気にせずに撮り続けました。撮った写真は1枚も映っていませんでした。その後、私たちは歓喜心が生じてはならないと悟りました。弟子が師父と一緒に食事をしたいというと、師父はそれに応じられました。ある弟子が「ご飯が少ないのでは」と言って、店員を呼んで、麺をたくさん持って来させました。師父は「迷惑をかけます」と申し訳なさそうにしておられました。

 師父は列車に乗られても、立ったままで、席を他の人に譲られました。学習班を開いた後、チン州では法輪功を学ぶ人が急増しました。1999年の初めのころ、市内の煉功場所は42カ所になり、それぞれ毎日、100〜200人が煉功していました。多い時は300人に上りました。チン州全体では3万人近い人が煉功していました。人々は争って善良な人を目指し、健康な体を手に入れ、社会全体の道徳が向上しました。

 
(中国語:http://big5.minghui.org/mh/articles/2010/7/5/226487.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/7/9/118446.html)     更新日:2012年1月11日
 
関連文章