心に残る師父との思い出
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文/中国の大法弟子 軽舟

明慧日本2010年09月22日)真の修煉は、もし師父が守って下さらなければ根本的に修煉することができません。現在、修煉していない常人は法輪大法の師父に対していくらかの誤解を抱いていますが、ここで私が目にした、心に残っている師父についてお話しします。

 まだ十数年前のことですが、幸運にも師父の功法講習会に参加しました。当時、現地の気功科学研究会および人体科学研究会の招待に応じて、師父は法輪大法講習会を開かれました。参加者は現地の人が多かったのですが、師父の以前の講習会にも参加した事のある他地区の人もたくさんいて、計2000人いました。もともと10日間の講習会ですが、他地区の人が多く、旅費が足りなくなる恐れがあるため師父は8日半まで短縮されました。こうして、講習会の効果を保ちながら学習者のために費用を節約してくださいました。

 日曜日の午後ずっと説法でしたが、他の日はすべて夜に行いました。毎回2時間ほど、説法してから功法の動作を教えておられました。毎回師父は予定の時間より早く会場に来られて、説法を開始し、ポケットの中から一枚の紙を取り出して、何を書いているのかは分かりませんが、説法の途中であまりその紙を見ていませんでした。私は以前、他の病気治療の気功を習ったことがあるため、いつも気功講習会に参加した時に目を閉じて聞く癖がありました。突然師父は、目を閉じて聞く人はみな目を開けて聞くようにとおっしゃいました。当時、この言葉の意味があまり分かりませんでしたが、師父は並大抵の方ではないと感じました。それから『転法輪』を勉強した時にやっと分かりました。それは、歴代の修煉はみな副元神の修煉になり、法輪大法は初めて人の主元神を修煉をし、はっきりした中で修めて、自ら功を得られるとのことです。

 講習会の最後の時に、学習者は皆、師父と記念撮影を撮りたくて、師父の同意を得ました。しかし、どうすればよいでしょうか? 一メートルの大きな写真を撮ろうとしましたが、皆が写るにはお金がけっこうかかり、皆に一枚ずつ現像するのも高いです。これを師父は同意されませんでした。それから、分けて撮ることを提案して、一枚あたり数元しかならないため、師父は同意されました。写真を撮ったのはある日の午後のことで、体育館の西側にある階段を利用して、ちょうど良かったのです。両サイドの階段は50メートルくらいにわたり、十数人の学習者が事前に並んで師父を待っていました。とても熱い日でしたが、師父は両サイドの間に行って見て、ある人の家族が師父と一緒に記念撮影をしたいと言うと師父は同意されて、数時間も続きました。師父はいつまでも微笑んでおられて、疲れを皆に見せません。最後に個別の学習者にサインをされました。師父が白い車に乗って離れた光景が未だに鮮明に思い出されます。

 修煉者は皆、師父はいつも学習者のために考えてくださり、やさしいと感じています。自分が苦労しても学習者のためにお金を節約してくださいます。講習会の間に奇跡的に病気が治った学習者が師父の前にひざまずいて感謝すると、師父はすぐに両手で立ち上がるようにされます。師父の声はとても綺麗で、大きな声で言わないのですが、静かな渓流のように学習者の心に流れてきます。人間の言葉では師父のことを賛美することができません。師父は修煉者、世人、衆生のためにすべてを尽くされました。

 世間のすべての人が法輪功の真相を知り、法輪大法に救い済度されることを願っています。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/9/1/229092.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/9/17/120048.html)     更新日:2012年1月11日
 
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