文/中国の大法弟子
(明慧日本)師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!
私は1996年に修煉を始めた弟子です。よくできていない所はたくさんあります。2006年、邪悪のアジトから出たあと、以前働いていた仕事を失ったため、経済的にとても苦しい状態でした。大法のプロジェクトをするとき、交通費、途中の食事代など お金が必要な場合が多く、同修は資料を作るお金を寄付してくれましたが、私はそのお金を交通費に充てることに納得せず、自分で払うべきだと思いました。しかし、当時の収入は少なく、とても悩みました。自分で小さな商売をしている同修もいますが、収入は少なく、私を金銭的に助けてくれていますが、複雑な心境です。
当時、多くの同修は、私と同じ若い同修で、学歴もありましたが、みんなは簡単な仕事をして、多くの時間を修煉に使おうと考えていたので、みんな収入は少ないのです。なぜ自分の技術に頼って、生活をしていかないのでしょうか、収入は多いほうがよいのではないでしょうか? 多くの同修は常人の技術を習得するのに時間がかかると思っています。常人の次元の理にしたがって言うと、高い技術は高い給料をもらえます。正しい事をすれば、宇宙の理にしたがっています。ですから、どんな仕事を探しても、自分の得意とする技術に関する仕事に就くことができました。私が以前働いていた会社では、グラフィックデザインをしていました。
徐々に、自分で仕事をもらうことができるようになり、理想の収入に達することができて、自立しました。初めは収入も多くありませんでしたが、技術が向上するにつれて、収入も多くなりました。しかし、それはすぐに三つのことをすることに影響を及ぼしました。
情が重くなって、顧客の言いなりになり、出された金額も考慮せずにやるようになりました。最後に散々な目に遭いました。発正念をすると顧客から電話がかかってきて、落ち着いて学法できず、頭の中は商売のことばかり考えていました。どの仕事が儲けが多いか、設計したものが誰より優れているか、私よりたくさん儲けているかを考えるようなり、心はいつも不満ばかりでした。当時、北京に法を実証しに行くときと比べると、完全に別人のようでした。
商売を始めて最初の1年を振り返ると、お金は儲けましたが、肝心な衆生を救っていませんでした。本当につり合わないと反省しました。
2年目は、仕事をしっかやると同時に、三つのことをしっかり行うことに努めました。発正念をするときは電話に出ないで、発正念を終えてから、かけ直すことにしました。ある日、発正念が終わった途端、電話がかかってきました。さっき電話をしたが、通じませんでした、と相手が言いました。電話は私のそばにずっと置いてあり、電源を切っていませんでした。これは、正念が自分の周辺の一切を調整した結果だと分かりました。心は必ず正しくなければなりません。
落ち着いて学法できないので、内へ向かって探すと、世間の名、利、情に執着していることに気付きました。とても忙しくて衆生を救う時間がありませんでした。そこで、どの時間に仕事をし、どの時間に大法の事をするかを決めました。しかし、長くやっていると、駄目だと気付きました。顧客は時間を問わずに電話をかけてきますので、夜遅く電話がかかってきた時もありました。収入は少し減りますが、仕事の一部を他人に任せることにし、その分、三つのことをやる時間が多くなりました。
3年目に、自分がしたことを振り返ると、三つのことに心を尽くしていませんでした。どうすればよいでしょうか? 常人の商売を捨てればいいのでしょうか? それはいけません。師父の説法を読むとき、何度も「法を正す中で、皆自分の道を歩んでおり」(『北米での巡回説法』)とあります。私の道はどこにあるのか? と自分に質問しました。学法を通じて、自分の仕事と生活の環境の中で真相を伝えることが自分の道だと悟りました。しっかりできた日は、朝から真相資料を持って、顧客の家に置き、住宅街に置き、午後は家に帰って、携帯電話で真相を伝えました。そして、積極的に学法をし、発正念をして一日が終わったとき、充実していると感じました。
今は、仕事がどんなに忙しくても、毎日、三つの事をやったか? やっていないのは何が原因か? 苦しみに耐えたくないのか、早く起きないからかと、自分に問います。三つの事を考えれば、いつも修めなければならない所が出てきます。
三つのことを重視してから、商売が徐々にうまくいくようになりました。仕事で起こったトラブルは私の所に来ると小さくなるか、消えます。修煉者はこの点についてはっきりと分かっています、私たちは衆生を救い済度していますので、世間で得た一切のことは、衆生を救い済度することに有利です。私たちはそれを大切にすべきです。持っている特技や、大きな商売をしているとか、官僚であるとかは、すべて修煉に役立ちます。あなたは自分の環境で修めなければならず、さらにその環境は衆生を救うことに有利です。
お金を稼いで三つのことをしないのは、得るものより失うものの方が多いのです。三つのことをして生活の事を考えないのは、心がはやっても力が及びません。ですから、すべてしっかりとやるべきだと思います。師父は説法の中でおっしゃいました。「この道は非常に狭く、非常に正しく行なわなければならないほど狭いのであって、そうしてはじめて、人を救うことができます。非常に正しく歩んではじめて、問題が起こらなくなるのです」(『大法弟子とは何か』)私たちが自分の道をしっかりと歩むには、いろいろな方面でしっかりとやるべきだと思います。
今回の法会に参加できることをとても嬉しく思います。間違っている所があれば、ご指摘をお願いします。
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)