病院で神韻チケットを販売する中での体得
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   文/トロントの大法弟子

 明慧日本2011年12月27日)同修の努力のおかげで、市の中心地にあるスーパーに神韻チケットの販売拠点を設置することができ、木曜日に私はそこで一日営業を担当するようにと協調人から通知を受けました。しかし水曜日にまたメールが来て、翌日私にある病院に設置した販売拠点に行くようにと予定が変更されました。病院の地図を調べると、それは8年前に私が出産した病院だと分かりました。こうして見れば、協調人が私をその病院に行かせるの偶然ではないかもしれないと思いました。

 翌日、病院向かって運転している時、「縁のある衆生よ、神韻が来たのでくれぐれも見逃さないでください!」と私は敬虔な気持ちで心から呼びかけました。私の車は高速道路を高速で走行していましたが、はっきり感じたのは、他の空間の縁ある衆生が蘇って真相を探していました。

 病院に着くと、私達の販売拠点は医者、看護師、患者、家族が共同で使用するエレベーターのそばに設置されていました。車椅子に座る患者、患者を支える家族の姿が私の目に映りましたが、私の視線は彼らをこえて、名札をつけている医者と看護師(私が思う高収入の主流社会の人たち)を探していました。病院では医者と看護師以外の人は私に「神韻を紹介する価値のある対象」から除外されたようでした。

 面白いことが起きました。医者でも看護師でもない女性が私たちのテーブルの前に来ました。聞くと彼女は患者の家族でした。テーブル前まで来たので、さっそく神韻を紹介しました。紹介を聞くと彼女はチケットの金額を尋ね、2枚買いたいが主人の行ける日を確認しないといけないと言いました。彼女は夫に電話をかけましたが、夫は行ける日を決められないようでした。私と同修はそばで静かに発正念をしました。最後に、彼女は100ドルのチケットを2枚購入して、自分と夫が行けなくても娘と娘婿にプレゼントすることもできる、と言ってくれました。

 このように2のチケットを売ったら、私の「価値のある対象を選ぶ」観念も除去されました。私は自分の観念で相手を分別して人為的に選んでいました。『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』ので、師父は人を救う時に選択肢はないという法理を明確に我々に教えられました。「私はほかでもなく人を救いにきたのであって(弟子の皆さんが拍手) 誰もが私は衆生のために耐えていると知っており、目的は人が救われるようにするためです。私はいかなる個人的な求めもなく、私は何でも放棄することができ、私に人間の執着もありません。私は人を救いに来た以上、私に選択肢はありません。私は全世界の人を救っており、在席のすべての人も含まれています」(『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』)

 病院にいた時、上記の説法を丸暗記できていなかったのですが、ワシントンDC法会で直接師父から聞いたので印象は深かったのです。師父の説法に照らし合わせると、神韻宣伝において自分の観念が働いた悪い結果も分かりました。

 こうして再び車椅子に座る患者彼らを看病して疲れきった家族を見てみると、憐憫の気持ちが心の底から湧いてきました。人間に生まれた以上生・老・病・死から抜け出せません。古今を通して真に六道輪廻の苦から抜け出した人がいるでしょうか。幸運に法輪大法に出会っていなかったら、私もいずれ彼らと同じ結末になったのではありませんか。

 このように思うと、師父と大法に対する敬虔な気持ちが心身に満ちて、神韻のチケット販売に参加できること感謝しました。また、「明慧第八回ネット法会」発表された、私心を一掃して無私無我になるように修めるテーマの交流文章をたくさん思い出しました。その時、「衆生を救うために自分のすべてを捨てることができますか」という一つの声がはっきり私の脳裏に響いたので、私は頷き、心の中で大きな声で「師父、衆生を救うめに私はすべてを捨てても構いません!」と答えました。この一念を出したあと涙が溢れました。他の空間にいる自分の体はきらきらと金色に輝いて無限の光芒を放ち、この空間にいる自分の体は空っぽになり、すべてを捨てても惜しまないという一念だけが存在しているのを私は見ました。数秒経って現実に戻った私は涙を拭いて、「自分のすべてを捨てても構いません!」と叫ばないように、一生懸命抑えました。

 この時、ある平凡な老婦人が来ました。観念を持って相手を分別しないと悟ったばかりの私は、今回は少しでも疎かな態度になってはいけないと自分に注意して、熱心に神韻を紹介しました。112日~15日にソニーセンターで5回上演すると聞くと、老婦人は「あら、111日は私の誕生日ですよ。自分にどんなお祝いをすれば良いか、私はずっと探していました」と言いました。私は熱心に「それでは、世界一流の神韻公演を見に行くのが、最も良い誕生祝いではありませんか」と勧めました。老婦人は頷いて、180ドルのチケットを4枚買いたいと言いました。支払う時、彼女は「5分待って、VISAカードを持ってくるから」と言いました。

 詳しく聞くと、彼女は長くこの病院に入院している患者で、安全のためVISAカードを病院の小型金庫に保管しているという事情が分かりました。5分後、彼女はカードを持って降り、支払いの手続きを終えてから、「隣の2枚のチケットも仮押さえをしてください。私は追加で購入するかもしれません」と私に頼みました。

 長期入院の人は比較的業力が大きいのです。しかし彼女は本心から神韻を見たいのです。いったん劇場に入ると、師父はきっと彼女の業力を消去してくださいます……師父が衆生のために耐えられたものを、これ以上次元の低い自分の思想で想像したくありません……私は自然と流れて、心の中は敬虔と感謝の気持ちでいっぱいでした。師父が見守ってくださるこの販売拠点の空間場で、自分の心身が浄化されていくのを感じました。

 エレベーター付近は人の出入りが多くて、私は謙虚と感謝の心を持って多くの人に神韻を紹介しました。私の目の中ではもう医者、看護師、家族、患者の区別はなく、すべては師父が救いたい貴い衆生です。足を止めて私の紹介を聞きさえすれば、私はすべての観念を捨てて、どんな分別もせず、心を込めて相手に神韻の福音を伝えました。

 午後、胸元に名札を付けたある女性スタッフAさんは、私の紹介を聞いてから、とても興味津々に80ドルのチケットを3購入しました。私はチケット販売コールセンターに電話してAさんのために3枚を予約し、Aさんに3枚綴りの伝票記入してもらいました。彼女は現金を持っていなかったため、事務所に戻ってカードを取ってきて支払うことになりました。

 彼女がカードを取ってきたので、「先ほどの3枚は確定しました」と伝えるため私はコールセンターに電話をしました。すると前と違う人が電話に出て、コンピュータ上にある仮予約のチケット3枚が私の分であるかどうか判断できないため、最初に私の電話に出た人を探すと言いました。Aさんに待ってもらう間この事情を少し説明するとAさんは焦った様子で心配そうに「これは私の分だよ、他の人に売ったらだめよ」と言いました。

 電話の向こうで確認ができて、Aさんはカードで支払い、「2週間以内にチケットは自宅まで郵送されます」と教えると、満足そうに帰りました。

 神韻は衆生の千年万年の期待です! 「神韻のチケット販売に参加しているのに、私はまだ何を待っているのですか」と、私は自分に問いかけました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/28/249936.html)     更新日:2011年12月27日
 
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