古人はいかに婚約に対処したのか?
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文/余仁

 【明慧日本2012228日】婚約、それは人生における重大な承諾です。神の側から見ると、それは衆生の婚姻を主管する月下老人(縁結びの神様)によるもので、月下老人は男女の縁組を管理しました。人の側から見ると、両親の命令と媒酌人の口添えが男女二人の結婚の助力となっていました。天命が先にあり、人事は後に回ります。道理にかなっていれば、物事は順調に運びます。けれども、歴史の中で一部の人の結婚はドラマチックな変化に富んでいました。変化の結果、二人の間にはギャップが広がり、「不釣り合い」状態を産まれました。そしてこの時、立場の弱い方が婚約の解消を申し出てきます。相手が損をして困らないようにしますが、この事は「仁義の行動」と言うことができます。もちろん、これも厚徳な人だからこそ実行できる行為です。この思わぬ出来事に直面して、相手はどのように応えるのでしょうか? 結末はどうなるのでしょうか? 私たちが紹介する、いくつかの小話を通して古人のやり方を見ていただきたいと思います。

 2人の賢人目の見えない女性を嫁にもらった

 宋の時代、華陰県に呂という姓の読書人(知識人がおり、進士に合格しました。呂さんは婚約しましたが、婚約者病気で目が見えなくなりました。娘の目が見えなくなったので、呂さんが進士に合格して帰った後、花嫁側の実家は縁談をすぐに辞退しようとしました。しかし、呂さんはそれを断りました。そして、この目の見えない女性を嫁にもらいました。その女性は5人の息子を生み、みな進士に合格しました。

 よく似た事が他にもありました。密県人の郭達(字伯羽)さんは、明の萬暦の丙子の年に貢士に選ばれました。真定の同知でした。子供の時、家では呂さんに婚約させ、結納を納めました。花嫁の姚氏は偶然に両目を失明しました。郭さんが役人になったと聞き、花嫁側の実家は自ら郭家と婚約の解消について相談しました。郭達は天に誓いを立て、さらにこう言いました。「私が彼女を嫁にもらわなかったら、どこが彼女の落ち着き先になるのでしょうか?」そこで、彼はすぐ姚氏を嫁にもらいました。それだけでなく、夫婦の愛は仲睦まじく、6人の息子が生まれました。息子たちはみな非常に出世しました。世間の人々はみな「同知大人が目の見えない夫人を嫁にもらった」事を知っています。

 馬鳳志は子供のために婚約を解消した

 明代、馬鳳志という読書人がいました。馬鳳志の息子は、ある女性との婚約を決め双方が婚約を交わしました。しかし、婚約を交わしてから幾日後、馬鳳志の息子は突然四肢の運動麻痺にかかりました(四肢が軟弱で力が出ない疾病。病状が重い者は、手は物をつかむことができず、足は歩くことができません)。花嫁の家はこの婚姻に対してひどく恨み節で、どうしても婚約解消しようとしました。このような情況を聞いて、馬鳳志はすぐさま花嫁の家族に言いました。「病気持ちの息子に、あなたたちの家の娘さんの青春を無駄にさせることについて、私はどうしても自分の気持ちに逆らうことはできません」そして、婚約を解消することに賛成し、当初、花嫁に送った結納の金品も要求しませんでした。婚約を辞退すると、馬鳳志の息子の四肢の運動麻痺はすぐに良くなり、生気に満ち活力にあふれる若者に戻りました。

 秦簪園結婚させた

 江蘇省嘉定の秦簪園さんは挙人だった時、妻が病死したので、ある女性と再婚しました。新婚の夜、この女性は悲しげに泣いていました。そのわけを聞いてみると、この女性は言いました。「幼い頃、私は隣村の李さん息子さんの許嫁になりました。しかし、李さんの家は貧しいので、両親はご機嫌斜めでした。そこで、李さんに婚約を解消するよう強要し、私に結婚を迫ったのです。自分が両家に嫁ぐことは、女性として守るべき道に背いていると私は思い、ひどく悲しいのです」秦さんはそれを聞いて、恐れ怖がるように驚き、言いました。「どうして早く言わないのか? 大きな誤りをしでかしてしまうところだった」秦さんは新婚夫婦の部屋から退出し、召使を呼んで李さんの息子を探しに行かせました。李さんの息子が来た後、秦さんは状況を説明し、そして話しました。「今夜はうるわしい夜だ。二人とも、拙宅で結婚しなさい」そして、結婚に必要なお金を全、李さんの息子と女性与えました。二人は感激のあまり涙を流し、何と言ってよいのかわからず、ただ土下座してお礼を言いました。3日後、新婚夫婦は土下座して恩に感謝してから秦さんと別れました。乾隆281763年)、癸未の年、秦簪園さんは進士の試験に合格し、最終試験の時、トップの成績で状元に指名されました。

 婚姻の選択で、何事においても相手の損失と問題点を考え、艱難を自分に残しておきます。これこそが伝統文化の中の美徳です。現代の中国大陸に住む多くの人々にとって、彼らの選択は見たところ不思議なものですが、60数年前には絶対多数の中国人が自覚を持って自発的に行う行動規範でした。人々は知っていました。因果応報は自然の理であり、「情けは人のためならず」ということを。月下老人は、婚姻に対する態度と行為を公平に処理します。結末が良いか悪いか、幸か不幸は、結局、自らの選択によるものです。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/2/20/253271.html)     更新日:2012年2月29日
 
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