(明慧日本2011年12月28日)
私は都会生まれで、また一人娘でしたので、今まで苦しい生活を送ったことがありませんでした。唯一私が悲しく、残念に思っていることは、子供のころ両親がいつも言い争い、後になって離婚までしてしまったことです。その時子供心に、私は気性の激しい人とは絶対に結婚したくないと思っていましたが、ことは希望通りにはいきませんでした。
私は結婚する前、自分を理解してくれる理想的な人をずっと待っていました。結婚前、私のことを非常に優しくしてくれる男性がいましたが、やはり自分の理想とは距離があると思っていました。別れてから、今の夫(同修)と出会いました
夫の気性は激しく短気で、結婚後は数多くのトラブルがあり、何回も「離婚しよう」と考えたことがありました。内に向けて探しても、しばらくの間、探し出せず、内心は非常に苦しく、やりきれない気持ちでいっぱいでした。私は地方に嫁いだ後、ずっと忙しく立ち働き、また夫の失業のためにあちこち奔走しました。実家から遠く離れて、親族が傍にいない心細さで、しょっちゅう涙を流していました。このような結婚生活がいつまで続けられるのかと常に自問していました。
夫は私が馬鹿なことをやったと思った時、毎回厳しく、見下すような言い方で私を叱りつけました。私は夫の言い方に非常に反感を持ちました。はなはだしい時には、他の同修の前で私に説教し、私の人としての尊厳を全く尊重してくれず、夫が間違っていても頭を下げませんでした。初めのころ、育った環境、受けた教育が違い、個性の違いによってもたらされた行為だと思い、私は夫を変えようと思いました。これは党文化によるものであり、夫を直すべきで、彼を変えようといつも思っていました。夫の態度がどんなに善良でなかろうと、どんなに残忍で他人への配慮が欠けていようとも…。
今日もまた夫と大きなトラブルがありました。毎回のトラブルで私は非常に疲れて、無気力でした。なぜ初めての結婚が私の理想とこれほどまでにかけ離れているのでしょうか? 私は落ち着いて自分のことを考え、『転法輪』の韓信が股くぐりで辱められたその段落の法を思い出し、私は自分がどこで間違っていたのかやっと分かりました。
自分は根本的に忍の心がありませんでした。私は物心がついてから、非常に負けず嫌いで意地をはり、たとえ命を失っても、自分の名誉と尊厳を守ろうとするその強い心で、学業でも仕事でも第一位を狙い、他人に認めてもらいたがっていました。そのように自分の尊厳を守ろうとする心は、いつも私の行為を左右しました。この心を発見してから、私は自分んことを非常に恥ずかしく思うようになりました。私が大法のプロジェクトを行う目的も不純で、100%衆生を救い済度のために行っていたわけではありませんでした。自分の尊厳を守ろうとする心をなくして大法の仕事をすれば、同修間のトラブル、協調し難いという問題はないはずです。
「あなたに一つの真理をお教えしましょう。絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです。常人(じょうじん)の社会において、人々は奪い合ったり、騙(だま)し合ったり、個人のわずかな利益のために人を傷つけたりしますが、こういった心は全部捨てなければなりません」(『転法輪』)
私は和やかで幸せな結婚生活を求めていました。実はこれが私の根本的な執着でした。修煉を始めた当初を振り返ってみると、感情の問題、人の世の複雑さや生老病死などの絶え間ない移り変わり、人間はなすすべがないこと、人生の空しさなどが分かり、修煉を始めたのです。しかし、修煉して全てが素晴らしくなってからは、法の要求についていくことができなくなり、次第に自分の結婚に執着し、自分が感情の中で傷つくことを恐れ、自尊心のため自分の非を認めなくなりました。これは自分が当初修煉を始めた目的とは遠くかけ離れていました。修煉の道で、自分の根本的な執着を取り除かず改めなければ、無意識の中に自分の修煉の意志を弱めることになります。自分が常人の物を掴んで放そうとせず悟らなければ、関は尚更乗り越えがたいのです。私は自分の不足の部分をここに書いて、この問題を正視していただきたく、同修の皆さんとも交流したいと思っています。
不足の部分は、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。