文/去執
【明慧日本2012年3月5日】師父は「ですから、あなたが何を行なってもあなたの修煉状態は反映されます。お互いの協力において、不満に思ったり、激昂して怒ったりしているとき、なかなか自分を考えたり、自分がどういう状態なのか、出発点がどういう人心なのかを考えることができません。その多くは自分の意見が採用されず、またはほかの人を見下しており、この二種類の心は最も強く現れています」(『二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法』)と仰いました。このような他人を見下す心は、深く隠れていて見つけることが難しく、しかもその影響はとても大きいのです。よくあるのは、なんとなく原因不明で人と争ったりしてしまうことです。よく考えてからやっと、これは人を見下す心が引き起こしたと分かります。このような心があって、いつも強引に人に何かをさせるのです。
いつも人を見下しているため、人がよくなかったりどこかが上手くできなかったりすると、私はいつもその人を変えようとします。実際は自己を実証しようとし、人を説得するのです。最初は多少なりとも態度が柔らかくて、人のために思うことができますが、相手が受け入れてくれないと次第に争ったり、口論したり、共産党の闘争文化に影響されたよくない心が湧いてきます。こうして、下手をすると怨念が生じて不平に思い、やり返すことすらしてしまいます。旧勢力がまさにこのようで、自分が正しいと思うことを強引に押し付けるのです。
「人は自分の考え方が間違って、心が歪んでいるから、厄介なことを招いたのです」(『転法輪』)現在では、何かの心があれば旧勢力が必ず利用して迫害を行います。たとえば、人を何かを強引にさせようとする癖があると、必ずこのようなことに出遭わされて、自分が上司から、何かを強引にさせられるなどのことが発生します。自分によくないものがあるからこそ、厄介なことを招いたのです。ここまで理解してから、私は自ら内に向けて探し、この心を無くしました。すると周りの環境もだいぶ変わりました。もし強引に人に何かをさせる心をなくせば、周りの全てに対して慈悲と善良をもって対処することができ、旧勢力のコントロールも効かなくなります。
「旧勢力の要素があえて大法弟子の中でこの作用を働いているのは、あなたにこのような人心があるから、こういう人の出現が必要だからです」(『二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法』)と師父は啓示されました。この説法に対して、私は次のことを悟りました。もし皆が師父の話を聞き入れて自分を修め、大法の要求に従えば、私たちは自分で自分を保護することができ、自分の空間場のすべてを主導することができます。本当に法理に基づいて発した一念だけで周りの環境、人をも動かせるのです。それは神の念です。自分をよく修めれば旧勢力が隙に乗じることができなくなります。
個人的な悟りであり、ご慈悲に指摘してください。
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2012/3/4/131886.html) 更新日:2012年3月6日