「自分は偉い」という心があってはならない
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 【明慧日本2012年1月20日】師父は説法の中で「もし大法を二の次にして、自分の神通力を最重要視し、あるいは悟りを開いた人は自分の認識こそ正しいと思い、極端な場合は、うぬぼれて自分が大法を超えているとさえ思ったりしたら、その時点で、あなたはすでに堕ち始め、危うくなり、だんだん駄目になっていきます。そうなった時は、修煉が無駄になるので、本当に厄介なことになります」(『転法輪』)とおっしゃいました。最近、私は自分がよくできているとか、よく悟っているという心を持っていることに気づきました。周りの同修を見ても、同じような現れがあり、法理に対して理解が深いとか、邪悪に対して保証書を書いたことがないとか、たくさんの人に脱党を薦めたとか、若いから年配の同修よりよくできているとか、師父は大法弟子がすばらしいとおっしゃったから、大法弟子である自分もすごいなどなど。いずれにせよ、驕り(おごり)であり、他人を見下す傾向があります。冷静になって分析してみれば、以下の点において認識がよくできていないためだと思われます。

 一、法理から分かったように、私たちによくできているところがあれば、法が異なる次元の要求に符合したことになります。異なる次元には異なる法があるため、自分にいる次元では正しい思っていても、さらに高い次元から見れば正しいとは限りません。悟りを開いた人であってもその次元の認識でしかなく、最高次元になりません。ですから、自分の認識を絶対視しなければ、自分がよくできていると驕らなくてすみます。

 一つの例を挙げましょう。最近、同修と交流することがありますが、最初は良いと感じましたが、頻繁すぎる交流も時間の無駄だと気づきました。しかも交流する内容としても、明慧の文章を中心にしたり、悟り方が偏っている同修との交流回数を減らしました。自分の学法を優先すれば、さらに向上が早くなるとも感じました。

 二、もう一つの良くないところは、自分の長所をもって他人の短所と比較し、自分がよくできていると勘違いするところです。たとえば同修Eさんが同修Fさんに「私は1万人以上を救ったぞ。あなたは何人救ったんだ?」と聞き、Fさんは自分が救った人が多くないのを知っているので、表面的には何いませんでしたが、内心では「この間、弟とけんかしたことを忘れたのか? あなたの修煉は大してよくできていない」と考えていました。他人の短所と自分の長所を比較して、自分の方が良いという心が生じるのです。

 私も似たようなくせがあります。何かを悟ったらいたるところでそれを言いふらし、まるで誰も私に及ばないかのようです。特に、普段からあまりしゃべらない同修がいますが、自分はこの人たちよりよくできていると感じていました。しかしある活動の中で、私が見下していた同修が真相を伝えるときの話し方などが自分よりずっとよくできていることに気づきました。同修たちがよくできているところは、現れるものではありません。現れたのはいずれもよくできていないところばかりです。他の同修の実際の修煉状態が見えないので、自分が他人よりよくできていると考えるべきではありません。

 もう一つは外見で人を判断する教訓です。私はずっと、肌が良い修煉者はよく修煉していると思いました。あるとき顔中にしわだらけの年配の同修と一緒に発正念するとき、「この同修はたぶん良く修煉できていないでしょう」と思っていましたが、天目で見るとこの同修は非常に若くて美しい大菩薩でした。同修の本当の状況は誰にも分かりません。私たちはただ自分が法の中で絶えず精進し、同修と比べるべきではありません。

 三、もう一つは嫉妬心の表れですが、自分がすごいと思い、人を見下すのは、自分の問題を直視できず、人からの意見を聞き入れないからであり、ひいては同修の長所に対しても不服を感じてなりません。同修の長所を見て心から喜んであげるべきです。私自身もこのようなところがあります。たとえばAさんが警官に迫害を受ける中で正念が強かったのですが、それを知ったBさんは「たいしたことないよ。本当に正念が強かったらなぜ迫害を受けるの?」と考えたそうです。しかも、Bさんは自分の考えが正しいと思っているようです。もちろん迫害されないのはベストですが、Bさんの考え方には嫉妬心が見られます。自分こそが最も正念が強く、迫害されていないのだという同修への不服があります。

 四、中国共産党による絶対的な平均主義の教育の影響のため、自分よりできる人を許せず、なのに自分が人よりできるようになりたいと思います。たとえば同じく大学を卒業したのに、Aさんは良い仕事が見つかったが、Bさんは良い仕事が見つかりません。そうするとBさんはAさんを嫉妬するようになります。周りにもこのような同修がいますが、Cさんは文章力が良いと聞いたDさんは嫉妬し始めました。「私の息子はCさんより学歴が高いのに、息子ですら書けないのにCさんに書けるわけがないでしょう」と。皆、修煉者とはいえ、根基と能力は全て違うのでこのように考えるべきではありません。

 以上は個人の認識に過ぎず、間違いがあればご指摘お願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/1/18/251957.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2012/1/30/131046.html)
 
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