文/ハルビン市の大法弟子
【明慧日本2012年8月5日】私は法を得たのは遅いですが、他のすべての大法弟子と同じように、法を正す時期の大法弟子としての基準に達することができるよう、師は私に期待されています。
修煉を始めたばかりの頃、学法を重視する同修と会うように師に按排していただき、毎日、比して学び比して修していました。二年間の着実な学法により、私は法の中で早く昇華できて、今後の事々を法の視点から考え、修煉の道を穏やかに進む基礎を築きました。
二年後、師はまた真相を伝えることが得意な同修を私の周りに按排されました。数年間、この同修と私は、田舎に行って真相ディスクを配ったり、派出所へ行って真相を伝える時にお互い協力し、法を正す時期の大法弟子としての役割を果たすことができました。
ですから、ここで私は、一緒に色々なことを経験して困難を乗り越えた同修と、私を最短期間で法の中で昇華させるため、私の人心と執着を指摘してくれた同修に本当に感謝したいと思います。
しかし最近、私は執着が多くて放下できず、三つのこともできなくなりました。同修は何度も指摘してくれましたが、私は聞く耳を持ちませんでした。協力して真相を伝えに行きましょうと声をかけられても、執着に妨害され、同修の誘いを受け入れませんでした。私の態度がどんなに悪くても、同修は私が法を正す進展に遅れないように、引き続き私を誘ってくれました。
今振り返ってみると、同修の心はどれほど純粋でしょう。しかし同時に、私はすぐに内に向けて探すのではなく、「あなたにも多くの人心があるのに内に向けて探さず、なぜ私を説教するのか」と考えてしまいました。
嫉妬心により生じた人から指摘されたくない心、名誉を求める虚栄心、納得しない心、文句を言い他の人を非難したり軽視したりする心が私にあるから、師は同修の言葉を利用して何度も私に教化してくださいました。昨日、「もし私が何か言い間違えたら指摘をお願いします。協力して一緒に真相を伝えに行こうと誘われたときに、何かの理由をつけて会おうとしないことをやめましょう。何も言わないでください。あなたが怒っても私には分かりませんから」と同修に言われました。この話を聞いて、私はショックで涙がこぼれそうになりました。同修が私のために指摘してくれたと感じ、自分の行為を非常に悔しく思いました。このような境地の高い同修が周りで私を助けてくれているのに大切にせず、嫉妬心によって同修と遠く隔たるなんて、とんでもないことでした。
私は師に「弟子は間違いました。これから必ず嫉妬心を取り除き、同修との縁を大切にしながらしっかり修め、師父について真の家に戻ります」と心から何回も何回も誓いました。