文/中国広東省 浄蓮口述、同修整理
【明慧日本2012年7月26日】
師父の恩に感謝
強制労働教養が終了間近になり、夜寝る時に師父は私の主意識を連れて行かれました。既に無形境界に修め得られていたので、他空間で多くの師父の法身が見えました。大変素晴らしい感銘でした。一人の円満は一大事なので、高い次元の生命が集まって来てくれました。師父は私の修煉過程を衆神に見せて、衆神は大変感動しました。この大法弟子は本当に悟りが良いと言ってくれました。途中でちょっと寄り道をしていたけれども、しかし他人のように滑り落ちる事もなければ、一つの空間に長く留まる事もなく、ずっと一直線に修めてきました。
師父は私を巨大な蓮の花に変化され、自分の腕の中で軽く抱えながら手印を行っていました。私は舞い上がっているかのように踊り出し、非常に居心地が良く、エネルギーが溢れている感じでした。師父は大変慈悲な表情で、ずっと泣いていました。
今度は、私の心はとても穏やかで落ち着いていました。もう師父を見ませんでした。師父が「あなたはまた修め続けなければなりません」と私に囁きました。師父は泣きました。私も泣き出しました。衆神皆が泣きました。師父は私の修煉過程において私の為に流された涙を、私自らが流した涙と一緒にして甘露に変化されました。その甘露は私の世界に持ち帰ることができたので撒きました。そうしたら甘露の落ちた所から異様に美しい花が咲きました。甘露に師父の涙が入っていた為、私の世界でいつでも師父を見ることができます。
他空間の神様と旧勢力はとても不満で嫉妬していました。「宇宙の歴史の中で、一度もこのような事はありませんでした」と更なる高い境界の神様も不満でした。「今まで一度も師父の涙と神様の涙を一緒にした事はありませんでした。どうして××大法弟子には特別なのですか? どうしてそんなにたくさんの良い物を与えるのですか?」と師父に尋ねました(たくさんの神様の次元は私より高い)。「あなた達は私に対して尊敬する気持ちでいますが、しかし××大法弟子のように、一心に私の事を思ってくれている(人間の言葉では表せない)のは一人もいませんでした。××大法弟子が流した涙の数は、私と同じくらいでした。もしあなた達も××大法弟子のようなら、私は同じようにたくさんの物を与えたでしょう」とおっしゃいました。その時、衆神は皆黙りました。
今回、師父は私に「修め続けてください」と要求されました。私は「修」と揺ぎ無く答えました。師父はまた泣きました。こんなに辛くても修煉を続けるという私の固い決意に泣きました。私はまた下に下ろされて、最初から修め始めることになりました。
再び修め直す
今回は最初から修めはじめたので、極めて困難でした。今までで一番辛く感じました。骨と全身はガチガチにこわばって、足をあげたくても上がりませんでした。私は今まで一晩中座禅をしていて、身体が非常に柔らかかったのです。今回は片足の結跏趺坐すらできなくなりました。初めに座禅する時、足が高く上がっていてこのままではいけないと思い、どうしても上まで上げなければならないと思いました。足を押さえても自然に上がってくるので、初めて他人がよく言っているような座禅の辛さが分かりました。私は目をつぶって歯を食いしばり「一、二、三」と掛け声をかけて、意気込みを入れながら、どうしても足を上げてこの関を乗り越えなければならないと思い、足を上げたところ、「パッキ」と骨折しました。私はすぐに師父の説法の中にあったお話(必ず師父のお話を思い出さなければなりません。他のすべては役に立ちません)、申公豹の頭は切り落とされても元通りに戻せるという話を思い出しました。私の場合は頭ではなく、ただの足に過ぎないので、たいしたことではないと思った瞬間、師父は私の足を接続してくださいました。私はまた座禅ができるようになりました。しかも足が平らに落ち着いていました。
高く修めたければ更なる多くの苦に耐えなければなりません。業力がもっとたくさん下へ押されてきます。その時は悟性もよくなければなりません。内に向けて心を修め、師父は「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです。」(『転法輪』)とおっしゃいました。
仮に車がそばを通り過ぎる時に巻き起こした砂埃が目に入ったとしても、それは砂埃ではなく以前私の犯した業力だと思いました。お風呂に入っている時に石鹸が目に入ったとしても、またそれは石鹸ではなく以前私の犯した業力だと悟らなければなりません。内に向けて探しました。車を責められなければ砂埃も責められませんでした。
修煉過程において三回の交通事故に遭いました。毎回法による要求が違ったので、悟ったものも異なりました。初回は躊躇わずに自分の無事を確信していたので、何事もなかったかのように自然に流れて過ぎてゆきました。二回目は走行中の大きなトラックにはねられました。私がトラックの下から這い上がると、運転席にいた香港人の運転手は独り言で「人をはねちゃった! 人をはねちゃった!」と言い、あまりのショックで腰が抜けた様子でした。それを見て、「トン、トン!」と軽く叩きながら「大丈夫ですよ。はねた人は私です。と目を醒まさせました。運転手は信じられない様子で、車体を一周回って入念にチェックした後、やっとほっとしました。二回目の交通事故は、自分の安否よりまず他人を考えていました。三回目、歩行者道を歩いている時でした。車は追いかけてくるかのように猛スピードで突っ込んできました。急用があったので車の事を全く気にせず、用事を済ませるために急いでその場を去ってゆきました(三回も車にはねられて無事でしたが、他空間で師父の法身は確実にはねられたのが見えました。実質上は全て師父が持ちこたえてくださいました)。
私は法を正す時期における大法弟子です。数年来、修め得ることのできた神通力を全面的に活用して、師が法を正すことを手伝っていました。私の交流は以上になります。不適切な箇所がありましたら、慈悲なるご叱正をお願いいたします。合掌!
(完)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/12/1/129788.html)