明慧法会|「あなたたちの師父はとてもすごい」(二)
■ 印刷版
 

――行動で法を実証し、衆生を救う

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2012716日】2000年の初め、私は再び北京へ陳情に行きました。私は拘束され、地元の610弁公室派出所によって不当に瀋陽の馬三家労働教養所へ送られました。出所してから、私はまた真相を伝えるため、遠い辺鄙な山地で真相資料を配りましたが、悪人に通報され、強制連行されました。そして、瀋陽の大北刑務所に収容され、そこで4年間、迫害されました。私は出所して家に帰ってからやっと知ったのですが、私が留守の間、舅は濡れ衣を着せられたままの私を思いながら、亡くなっていました。私がまだ家にいた時に経営していた搾油所も駄目になっていました。私は経済的にとても難しい局面にありました。ちょうどその時、ある同修が仕事を紹介してくれました。私たちの地区にある、比較的大きな工場の食堂の炊飯係でした。

 その工場では90人以上が働いており、食堂で食事をする人は30人以上いました。その職場は、私がそこで働くまでに、既に何人もの人が入れ替わっていました。工場長は中共(中国共産党)の党員であるとともに、遼寧省では少し名の知れた企業家でもありました。私が工場に行った時、工場長は外出していたので、奥さんが私を採用しました。工場長が帰ってきて私に会った時、彼の表情は非常に険しく、一言も言いませんでした。それというのも、工場長は私を知っており、私が法輪功を修煉し、中共に刑罰を下されたことも知っていたからでした。彼は私がまともなことをしていないが、解雇もしいため、とりあえず働かせるしかないだろうと思ったようです。

 工場の全労働者が、法輪功を修煉している炊飯係が来たと伝え聞き、私を見つけては私を軽蔑し、嘲笑しているのが分かりました。私が食事をつくった最初の日、2人の若者が難題を吹っかけようと考え、私のあら捜しをしました。私は心の中で発正念し、きれいに片付けました。私はその日、この複雑な環境の中で実際に行動し、法を実証して、衆生を救い済度しようと考えました。

 厨房は周囲の壁が油煙で黒くすすけていました。私は厨房に入ってすぐ、少しずつ清掃し始め、すっかりきれいに拭きました。私は細かいところにも取りかかり、自分に厳しく要求し、真面目にこつこつと仕事をするよう心がけました。労働者の食事の時間をきちんと守り、厨房の物はちょっとした物でも持ち出しませんでした。奥さんは「昼食は1元で、誰でも安く食べられます」と私に言いました。「私はここでは食べません」と言うと、奥さんは理解できなかったようです。「あなたはご存じでしょう? 私は法輪功を修煉しています。私は師父の法の要求に従って行わなければなりません。勝手に他人のうまい汁を吸ったり、他人の物を得たりすることはできません。何かをする時は、人のことを第一に考えます。私の家はここから近いので、家に帰って食べるのも同じです」と話しました。労働者が食事をしている間、私は衛生に気を配り、きれいにし、彼らが食事を終えた後、急いで清潔に片づけ、自転車で家に帰りました。そして、ちょうど正午に発正念します。昼食後、私は同修と自転車で別の田舎町へ行き、真相を伝え、「三退」を勧めます。冬であれ、夏であれ、特殊な事情がないかぎり、毎日このようにしています。午後4時までに食堂に帰って夕食を作り、夜は家に帰って学法します。

 ある日の昼ごろ、饅頭をふかした時、ソーダが多かったため、饅頭がちょっと黄色くなってしまいました。そこで食堂が開いた時、私は「今日の食事代は誰も払わなくて結構です。今日の饅頭はうまくいきませんでした。すみません。私が自分で費用を負担しますから、皆さん、気を使わないでください」と労働者に言いました。私は彼らが積極的に自らお金を払ってくれるとは思っていませんでした。私が何を言っても彼らは私に費用を負担させませんでした。以前は食事の時、奥さんが自分でお金を集めていました。しかし現在は、私にお金の箱を渡し、お金を集めさせ、私に管理させています。「私は安心しています」と奥さんは言っています。

 今年、全工場の労働者が昇給し、月給が100元上がりましたが、工場長は私には知らせていませんでした。ちょうどその頃、労働者がまた増えて、時には40人以上が食事をするようになり、私一人では忙しくて手が回らなくなってきました。奥さんも時々やってきて手伝ってくれるようになりました。ある人はこれを見過ごすことができず、「あなたは工場長と話をして、人手を増やすだけでなく、昇給してもらわなければなりません。あなたは正直すぎます。もし他の人だったら、すぐにやめていますよ」と私に言いました。私は動じませんでした。「もし私のものならば、師父がきっと下さるでしょう。私のものでなければ、私もまた、そのために戦ったりはしません」と私は思いました。月末の給料日、奥さんは、私の月給が100元高くなったことを教えてくれました。

 ある日、工場長と私の夫が一緒に食事をしました。工場長は「以前、私は君の奥さんが法輪功を修煉していることを理解することができませんでした。しかし、私は今、徹底的に分かりました。法輪功修煉者はとてもすごい。私は本当にこんなにすごいとは思わなかった」と心から感心して言いました。

 その後、工場長は肝臓病を患いました。私は工場長に『転法輪』と、師父の説法のDVDをプレゼントしました。工場長はまた『共産党についての九つの論評』も読みました。「あなたたちの師父はとても素晴らしい!」と工場長の奥さんは私に言いました。工場長と奥さんは自発的に中共の組織から脱退しました。家族全員法輪大法の素晴らしさを知っています。今私は工場内で真相を伝えています。工場の雰囲気も穏やかになり、工場長は全く干渉しません。私は真相のパンフレットを工場玄関の文書受付のデスクの上に置いています。労働者が回覧し、現在は多数の労働者が中共から脱退しました。ある人は自ら私のところへ来て、お守りを求めました。

 全体が協力して、同修がお互いに協力して完成させることが必要になれば、私は無条件で円容し、真に成し遂げなければなりません。形式だけではできず、任務を完成させようという心だけでもできません。法の裏付けがあってこそ、人を救う目的を真に達成させることができるのです。

 私は明慧ネットで「みんなに新唐人テレビ受信機を取り付けてもらいましょう」との呼びかけを見ました。しかし、その時、私たちの地区の中共当局はパラボラアンテナの設置を認めず、見つかれば罰金を取られました。その時、私はまだ仕事がなく、またたくさんの借金があり、経済的に本当に困難な時でしたが、「大法弟子が自分のメディアを持ち、家族が真相を視聴することができれば、どんなに素晴らしいだろう」と考えました。私は食費を切り詰め、物を節約して、やっと新唐人テレビの受信機を設置しました。そして、すぐに引き続き、同修も新唐人テレビの受信機を設置しました。お正月に親族が私の家に遊びに来ました。新唐人テレビを見て、親族はとても驚きました。

 私は、師父の要求や他の同修と比べてとても大きな差がありますが、私には信念があります。法があり、師父が私のすぐ傍にいらっしゃいます。私は師父の法を肝に銘じて、さらに精進します。「皆さんとして、大法弟子は最後になればなるほど、自分の道をしっかり歩み、時間を大切にして自分をしっかり修めるべきです」(『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』)

 師父、ありがとうございます! 同修の皆さん、ありがとうございます!

 合掌

 (完)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
 
関連文章