文/ドイツの大法弟子・Samet Mehmed
【明慧日本2012年5月19日】私はブルガリアからドイツに来ました。2009年、私がまだブルガリアにいるとき、法輪大法のことを知りました。私は以前から、東方の文化に興味を持ち、高校生のときから武術を練習し始め、東方文化に関する本をたくさん読みました。私は普通の仕事をやりながら、ずっと精神面を支えてくれるものを探していました。
私は中医学(中国伝統医学)に触れて「東方文化は、疾病に対して、薬と医療設備に頼るだけでなく、人の精神面の治療も重要だ」とわかりました。それから、私は神秘や精神に関する本に興味を持ち、これらの本をたくさん読みましたが、人生の答えを捜し出すことができず、かえって、本からの悪い情報が私をむしばんでしまい、うつ病になってしまいました。
ある日の夜、私は自宅のポストに法輪大法のチラシを見つけ、捨てようとしたとき、ある不思議な力が私の行動を止めました。私はそのチラシを読んで、インターネットで法輪大法に関連するものを探し出し、数時間読み続け、心をひかれました。それからインターネットで、初心者のための『法輪功』をダウンロードして読みました。それは、私にまったく新しい世界を開かせ、私は一生探していたものを見つけました。
考えてみると、その法輪大法のチラシが、どうして私の家のポストに入っていたのか、とても不思議でした。私が当時住んでいたブルガリアの都市には、法輪大法の弟子が1人もいませんでした。いまの私でしたら「きっと、師父が按排してくださったのだ」とわかります。
『法輪功』を読んでから、私のうつ病の症状は完全になくなったのです。ちょうどその時期、私は日本医学の勉強をすませて、ドイツのドルトムントに行きました。ドルトムントで私は、法輪大法の関連書籍を買いました。ドルトムントに来る前、私は『法輪功』しか読んだことがありませんでした。その後、私は『転法輪』を現在まで20回ほど読みました。
ドルトムントに来たばかりのとき、同修と連絡できなかったので、1人で近くの公園で煉功しました。その数カ月後の2010年8月、ドルトムントの煉功点がわかりました。煉功点の同修たちは、みんな優しく接してくれました。それから、私の生活は有意義で規律あるものになりました。以前の私の人生は、梯子をよじ登っているかのようでしたが、最終的に法輪大法に出会うことができました。以前の私はたくさんの執着心があり、「情」が多かったのです。現在の私は宇宙の大法を見つけ、宇宙中で最も幸せな生命の一人で、大法の教えに基づいて精進している修煉者です。
2010年春、私は「法輪大法の修煉者としては、自分の体を正さないといけないので、飲酒と大麻の吸入の習慣をやめるべきだ」と決心しました。私は「自分が法輪大法修煉者だということを明確に認識して、心から、今までの悪い習慣や執着を放棄したい」と思ってやってみると、悪い習慣や執着を放棄することは全然難しくなかったのでした。
常人社会では、他人との摩擦が避けられませんが、私は自分が法輪大法の修煉者だということを忘れず、その複雑な環境を利用して、心性を向上させました。そして、私の体は病気がなくなり、軽くなりました。その後、「人々は法輪大法の真相を知るべきだ」と考え、法輪大法の真相を伝えるいろいろな活動に参加しました。
ここで、私が交通事故にあったことを話したいと思います。2011年12月末の夜、横断歩道を渡ろうとした時、1台の車がすごいスピードで走ってきました。その途端、突然ある力が私を半メートルほど後に引っ張り、その車はすぐブレーキを踏みましたが、車が私のひざのあたりにぶつかりました。
私はびっくりして何が起こったかわかりましたが、怖がらず、怒らずにいることができました。周りの人は足を止めて、私のほうを見ました。車を運転していた女性は蒼白になり、怖くて車から降りる力さえありませんでした。彼女は車に乗ったままで、ただ「申し訳ありません、申し訳ありません」と繰り返しました。私は彼女に微笑んで、「私は大丈夫よ。これからは気をつけてくださいね」と伝えました。それから、私はそのまま道を歩いて行きました。
家に帰って、ひざを見ると、傷も痣もなく、痛みもなかったのです。しかし、この交通事故で父は多くの知人に「娘の交通事故は、その女性に千ユーロを請求できたのに・・・」と言っていました。
私は自分の修煉体験をたくさん書きたいのです。私は多くの人が法輪大法に出会い、本当の法輪大法修煉者になってほしいと願っています。私は心から李洪志師父と法輪大法に感謝します。