正念はどこに行ったのか
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文/中国河北省の大法弟子

 【明慧日本201242848中国語の明慧ネットに同修の書いた『他空間で見た邪悪の最後の狂気じみたあがき』という交流文章が発表されました。当日、わが地区の共有パソコンにこの交流文章が貼り付けられ、特別にみなにこの交流文章を読むようにアドバイスしていました。その後、メールボックスでも同じ内容のメールを受信ました。実際、表面空間において、邪悪は別に何を起こしたわけでもなく、ただ私たちが自分たちの足並みを大いに乱してしまい、師父が法を正すことを手伝い、衆生を救うために、主動的に邪悪を取り除いてなかっただけです。私たちは法の中におりますので、天が崩れても修煉者の正念は動じてはいけないと知っているのではないですか。このとき、私たちの正念はどこに行ったでしょうか。

 どんな状況が現れても、それはいずれも私たちの大法修煉者の心性を試しているのではないでしょうか。どんなことが起きても、それは私たちの持っている人心に向かってやってきたのです。

 まず私たちは、私たちにまだ取り除かれてない執着があるかを探し出すべきです。もし私たちに大きな漏れがなければ、邪悪は迫害口実がなくなります。なぜなら、大法の原則が許さないからです。毎回、何かが起きたとき、肝心なのは私たち大法弟子がどのように、この問題を見るかです。この件について、師父は説法の中で、とっくに私たちにどうすべきかを開示してくださいました。肝心なのは大法弟子がいかに問題をみるかということです。もし私たちがみな修煉者らしく、社会と修煉過程で現れるすべてのことを対処でき、自我に執着せず、自ら全体に協力すれば、邪悪には私たちを迫害する口実なくなるのではないでしょうか。私たち大法弟子はみな多くの護法の神に守られており、全体的に師父がすべてを把握しており、しかも師父は私たちに邪悪を取り除く正法口訣を教えてください、私たちに神通を利用して邪悪を取り除くことを教えてくださいました。しかも、私たちはみな師父が法を正すことを手伝う大法徒であり、宇宙の衆生が救われる唯一の希望であると分かっていて、いかなる次元と境界の生命も、この期間中ただ大法と大法弟子を邪魔し迫害すれば、淘汰されてしまうと知っています。今回の邪悪な迫害は法を正すことの中認められておらず、必ず取り除くべきものです。私たち自身がどうして、このような按配を認めるのでしょうか。もし私たちの中、一部の大法弟子(大きな割合を占める場合)がこの件について悟ることができなければ、一部のことには良くない状態が現れるのではないでしょうか。

 一篇の交流文章の前で、私たち修煉者の恐怖心等などが大いに暴露されました。まるで何かが起きようとしていると勘違いしてしまいました。実際、執着心が暴露された、すぐ修めることができれば、それも大丈夫です。しかし修めることができなければ、それは修煉者の行為でしょうか。私たちの正念がもし盤石のようにゆるぎなければ、一念で邪悪を解体することができ、どうしてそれほど大きな邪魔を受けるでしょうか。

 この前、王立軍と薄煕来の事件が起きた時、私たちは人心を動かしたのではないでしょうか。私たちが何をしに来たのかを忘れないでください。人心すべて動かされ、一部の同修はこの世の変化に執着しはじめ、誰かが表に出て私たちのために話をし、それによって私たちの修煉環境が変わることを望んでいます。また2012年に起きている変化に執着していますが、これはいかに強い人心でしょうか。私たちは風雨を伴った十数年を歩んできました。私たちは成熟してきて、私たちこそ未来の希望であり、宇宙とこの世の変化は私たちの修煉にしたがって、変化すると分っていていなければいけまん。どうして常人にこうしてほしい、ああしてほしいと望みますか? もし、私たちが常人に希望を持つなら、邪悪は私たちを迫害する口実を持つようになります。人心があまりにも重ければ、旧勢力による迫害が現れるかもしれません。人心が幽霊を引き付けて来たのです。

 師父が法を正すことを手伝ってきた、十数年間を振り返ると私たちは必ず冷静な認識を持っているはずです。もし私たちが自分たちの正念を堅く信じ、邪悪はこの世においてこれほどはびこってはいけないと認識できれば、衆生が救い済度されるためにもいかなる大きな迫害の現れも許してはいけません。実際王と薄の事件は法を正すことが前へ前進するに従って、この世で悪人が悪の報いを受けただけであり、法を正すことの必要に応じて、現れた現象であります。衆生を救い済度するために、私たちはこの方面の資料をうまく利用すれば、半分の力で倍の結果をもたらすことができます。決して、私たちの心を浮き草のようにさせ、人心を大いに顕わさせるために現れたわけではありません。もし私たちが早めに人心を取り除いていたら、これらのことは更に多く、更に発生しやすくなるかもしれません。ただ私たちの人心があまりにも重く、法を正す進展を妨害していたため、今日に至っても私たちはこれほど人間社会の変化に執着しています。私たちは必ずよく考えてみるべきです。正念を保つようにしましょう。実際、邪悪は何物でもありません。「佛光が普く照らせば、礼儀は円明となる」(『転法輪』)。私たちは神になる道を歩んでいる修煉者であります。私たちの神の一面を復活させましょう。師父が法を正すことを手伝い、衆生を救いましょう。

 私たちにとって、最大の使命は師父が法を正すことを手伝うことであり、法の中で自分が代表する宇宙体系を正すことです。宇宙が更新されているこの肝心な時、私たち一人一人の同修がみな自分の不足を探し出し、本当に恐怖心を取り除き、自我を放下し、三つのことをしっかり行えば、邪悪によるすべての按配を解体することができます。

 以上は個人のわずかな悟りであり、適切でない部分については、同修の慈悲なるご叱正を願います。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/4/23/255996.html)     更新日:2012年4月29日
 
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