ニューヨークの西洋人大法弟子:精進に精進を重ねる
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文/ニューヨークの大法弟子

 明慧日本201287日】慈悲で偉大なる師父、こんにちは! 世界中の大法弟子、こんにちは!

 私はすでに法輪大法9年修煉しました。時間はあっという間に過ぎ去りました。長年の修煉を通して、確かにまだうまく対処できていない部分や高めなければならない部分がたくさん残っていますが、大法の中で私はすでに成長し、成熟したと思います。最初に修煉を始めたときは、私はまだ落ち着かないただの22歳の青年でしたが、今はもう31歳になりました。どうすればもっとうまく修煉できるかをずっと探していました。確かにどんなときでも、どのようなことに対しても完璧に対処することは難しいです。長年修煉しても、まだ多くの執着心が残っています。しかし、私は精進をやめなかったし、常にさらに精進することを心掛けています。できているかどうかは別として、頭の中では精進を緩めませんでした。

 私はニューヨークに何年間も住んでいました。去年台湾中国語を勉強に行く機会を偶然に得ました。台湾に到着した後、すぐに煉功点と学法グループの場所を探し、現地の大法弟子に会いに行きました。週1回の英語学法グループにも参加しました。このグループに台湾の親戚を訪れている人や、中国語を勉強する西洋人の大法弟子英語を勉強する台湾の大法弟子がいます。フィリピン人の新しい学習者も一人います。その人の雇い主が大法弟子なので、大法を得ました。インターネットで一緒に学法するほかの西洋人の大法弟子もいます。みんなと一緒に学法できて本当によかったです。

 中国語の学法グループにも参加しました。これもまたとても素晴らしい経験でした。当時、中国語がまだ下手でしたが、しかし集中さえすれば、交流中にほかの同修の発言がなぜか理解できました。中国語で学法しているときに理解できる部分が出てきたら、なぜか英語版の語句を思い出しました。そのおかげで中国語で学法してもまったく支障がありませんでした。これはきっと師父がずっと見守って下さっているからだと思います。学法グループで中国語で学法しても理解できたのは師父のご加護によるものです。

 台湾にいたときに私は同修の家に泊まりました。同修達は私を無条件に信用してくれました。私を家族として扱ってくれました。まるで家にいるような感じでした。

 台湾には中国からの観光客がたくさんいます。これは台湾の大法弟子が真相を伝える絶好のチャンスです。不思議なことに、多く時間を使って中国の観光客に真相を伝えようと決めた時、なぜか中国語の会話力と読解力が一気に上がりました。

 天国楽団に参加

 私にとって天国楽団は特別な項目であり、素晴らしい項目です。世界的な舞台に立って演奏するのはめったにない機会です。大切にしなければなりません。観衆に素晴らしい演奏を披露しなければなりません。私達の影響力は音楽が届く全範囲に及ぶので、責任を持って人々に素晴らしい演奏を届けるべきです。

 私は天国楽団に参加している時間を衆生を救う時間だと考えています。ですから演奏しているときも、練習しているときも、たとえパレードが始まる前隊列を組む時でも衆生を救う時間だと考えています。正念を保つことを習慣化するのはとても大事です。衆生を救うことが目的であり、この目的を最も効率よく達成させるために、自分の精神を目的に集中させなければなりません。それができなければ、些細な事に左右されやすくなります。

 昔、私は天国楽団を通して自分の技術を磨くことにこだわっていました。自分の才能は師父が授けてくださったものだと思って、どこまで高められる知りたかったのです。もちろん、天国楽団自分のやりたい項目でもあります。しかし、こういった項目の目的は衆生を救うことであり、私達の個人的な考えや目標を達成させるものではないのです。最初の時に、私は天国楽団を趣味として扱っていました。衆生を救うことではなく、自分の音楽家としての才能しか考えていませんでした。

 もちろん師父から授かった才能に必ず理由があります。楽器を弾くのは他人のためであり、自分のためではありません。天国楽団で自分の技術を磨くことが衆生を救うことに繋がっています。ですから、純粋な心を用いて参加しなければなりません。天国楽団一つの地域の衆生と大法弟子との架け橋を提供してくれます。天国楽団があるから、大法と大法弟子は、各地域の人々に大法の素晴らしさをポジティブかつ心に残るイメージで伝えることができます。

 台湾にいる三カ月間、私はほとんどの時間を台湾の天国楽団のリハーサルに費やしました。これもまた忘れられない経験です。台湾の天国楽団は規模がとても大きいのです。しかも、長時間演奏できます。パレードで他の楽団が演奏を中止しても、台湾の同修達まだ演奏を続けています。一つの街の端から端まで演奏続けられ通行人の目を強く引き付けています。休憩のときに、同修達は完璧に演奏できるように楽譜を復習します。彼らは自分がやるべきことを真剣にやっています。

 新唐人の仕事

 私は9修煉し新唐人に8参加しました。新唐人に参加したのは修煉を始める1年前でした。最初に新唐人に参加した頃、私は創作・音声・ビデオの編集について基礎的な技能しか持っていませんでした。しかし、新唐人の仕事をこなすためには、もっと高いレベルの技能を修得する必要がありました。不思議なことに、仕事に必要な新しい技能であれば、なぜかすぐ習得できました。シナリオ創作・ナレーション・撮影・編集・インターネット技術、必要になったときにすぐ習得できました。師父が技能を授けてくださったので、私達仕事をうまくこなすことができました。

 ただ技術力が上がると、気をつけなければ執着心が起きやすいのです。自分の技術力にこだわると、他人との連携が円滑に進められなくなり、闘争心が起きる可能性があります。

 ある時期、私は人から私の得意な分野の仕事を頼まれると満足感を感じました。私以外の人頼まれると、落ち込みました。ところが、新唐人は自分の才能を見せる場ではありません。もちろん、私達の誰もが高い才能を持っています。しかし、新唐人の存在目的最も大事です。新唐人のために、自分の才能を強調する考えを手放し、チームワークを大事にしなければなりません。

 チームワークこそ、現在私達に最も必要な能力だと思います。編集、ナレーション、撮影、司会、シナリオ創作などの作業や技術力に気を取られたとき、チームワークがおろそかになりがちです。

 最近、同修とのチームワークについてよい経験があります。ある同修にテレビ局の項目を手伝ってほしいと頼まれました。彼女は映画の項目を担当しているのですが、ほかの同修とのチームワークがうまく行かず、項目が滞っているので、手伝ってくれる人がほしいと言いました。私はその問題を解決するために、彼女から詳しい話を聞きました。

 話を聞き終わってからまず、私は彼女のことを尊重・信頼する決めました。私に間違いがあればいつでも指摘し、私の進捗を随時評価するように頼みました。こうして彼女に自信を与えるようにしました。そうしたら、彼女はだんだん自分の考えが言えるようになりました。そのおかげで、私は彼女を最大限にサポートすることができました。私達のチームワークが円滑に進んだので、この項目の出来栄えが非常によかったです。もし、私が自分のやり方にこだわり、彼女の意見に反対し、自分の才能を生かすような考えでもあれば、おそらく結果は違っていただろうと思います。私は同修に、同修の考えが述べられる環境と私の成果が評価できる環境を最初から提供しました。彼女に自分のアイデアで真相を伝えて成果を挙げてほしいと思ったのです。

 嫉妬心・闘争心・恨心を放棄する

 昔私は嫉妬心のせいで、たまに不満を感じたり人と争ったりしました。最近やっとわかりました。不満を感じたり人と争ったりするのは、嫉妬心を手放す来たからです。

 振り返ってみると、これまで嫉妬心を手放すチャンスたくさんありました。最近私は結構良い会社で働いていました。しかし、なぜかその会社の社員がなかなか私を認めてくれませんでした。そのため、私は自分が重視されていないと思って落ち込みました。もしかすると、私はこの仕事に合わないだろうと思いました。それを認めてまた新しい仕事を探せば済むのだと思っていました。

 ある日、オフィスに入ったときに、同僚から私が社長に解雇されるかもしれないと告げられました。本来ならば私はこのことを素直に受け入れるべきでした。もともとこの仕事が私と合わないから、解雇されても仕方ないので、素直に受け入れて会社を去るべきでした。しかし、私は自分の執着心のせいでそれができませんでした。しかも同僚から自分についてのうわさを聞かされて憤りました。不満が一気に沸いてきて、思わず同僚と争いました。そうしたら、同僚にさらに他のうわさを聞かされました。中に同僚が作ったものもあれば、同僚が広めたものもありました。私は裏切られたと感じたので、同僚を信じることができなくなりました。

 しかし、私は自分の価値を証明したかったです。ですから、自分の価値を証明するまで会社を辞めないことにしました。自分の価値を証明した後、自分から会社を辞めることにしました。しかしこれは間違いでした。私は自分に適さない仕事をしたとしても、面子を保ちたかったです。そのせいで仕事をすればするほど、上司も私もどんどん不満が溜まってきました。結局私は会社を去りました。

 その後学法グループで交流し、この執着心の原因が嫉妬心だということに気付きました。私は社長、上司、同僚の間の良い人間関係に嫉妬しました。そのせいで自分が彼らに重視されていないと感じました。

 あのとき、私は学法と煉功をおろそかにしていました。勤務時間が長かったせいで、私はずっと落ち着かず、調子が良くなかったです。幸い、嫉妬心に気付くことができました。

 今、私の考え方変わりました。他人が私より能力が高くても、会社から重視されても、豊かな生活を送っても、素直に受け入れられます。私達に徳と業力があります。人生の道のりすでに定められています。私はずっと嫉妬心を抱えていました。自分の経歴と家庭に対して不満を持っていました。世界は不公平だと思っていました。人の考えに影響されていました。

 師父は『精進要旨』「時間との対話」でこうおっしゃいました。「そうした人は古くからの弟子の中にもいます。しかも、最もよく見られることは、彼らはいつも人間と比べ、彼ら自身の過去と比べていますが、各次元での法の要求に基づいて自らを量ることができていないのです。」

 私は自分の心を修め、自分の道を歩み、法で物事を量るべきです。自分の使命を全うしなければなりません。

 私はすでに大法を得ました。これまで私は自分が失ったものと傷ついた部分ばかりに気を取られていました。そのせいで他人に嫉妬しました。今ようやくわかりました。正法時期の大法弟子にとって嫉妬心はまったく不要なものだとわかりました。

 『精進要旨』「境界」に嫉妬心について書かれています。

 「悪者は嫉妬心によって、私のため、怒りのために、自分が不公平だと言います。善人は慈悲心が常にあり、憎むことなく、恨むことなく、苦をもって楽とするのです。覚者は執着心がまったくなく、幻のために迷っている世人を静かに観ています。」

 師父に約束いたします。私は嫉妬心や恨む心、自我を手放します。師父から授かった正法時期の大法弟子という偉大な責任と称号を大切にさせていただきます。この偉大な栄誉に応えられるよう精進いたします。

 以上は私の修煉に対する理解と体験です。間違った部分があればご指摘願います。よろしくお願い致します。

 (2012年アメリカワシントンD.C.法会の発言原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/7/17/260329.html)
 
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