正法修煉の中、旧勢力の按排を否定する(二)
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文/黒竜江省の大法弟子

 【明慧日本2012314日】

 法を正すことに必要であれば、すぐ行なう

 2007、たくさんの同修が連行されて家宅捜査を受け、金を強請られ、労働教養、懲役などを宣告されました。その時、一部の同修は迫害を暴露するために文章を書きました。年配の同修は書くのが遅いため、私が代筆しました。師父が知恵を授けてくださったので、私は文章をたくさん発表し、現地の邪悪に大きな打撃を与えました。これは法を正すことに必要なことで、邪悪を解体し衆生を済度するのに良いことだと悟りました。以前体の調子が悪かった私は、それから元気になりました。

 ある同修は学法を怠り、煉功もだらだらしていました。同修は私に自分が迫害された経歴を代筆してほしいといってきました。それから本人は生まれ変わったように入念に学法をして、煉功もしっかりするようになりました。

 同修とともに向上し、隔てをなくす

 私は1人で生活しているため、迫害されて流浪生活を強いられている同修をよく受け入れました。同修には個人差があり、心性も高くないためトラブルがしょっちゅう発生します。当時の私は内に向かって探す事ができず、いつも同修を離れさせたり、自分が逃げたりしていましたが、学法と交流を通じ次第に自分の執着心を探して問題を解決しようと思いましたが、それも上手くいかず、自分のことを探す時いつも同修の不足を気にして、純粋な状態ではありませんでした。

 あるよそから来た同修私と一緒に数カ月生活しました。最初はまあまあでしたが、徐々に対立が生じました。その後、同修はちょっとしたこと出て行きました。私はとても気の毒に思いました。大法のために、どれだけ自分が不本意だとしても外に追い払おうとは思っていません。私は夜になってから出て行った同修に電話をして謝りました。数日後、同修は戻り、同時に鍋や茶碗も一緒に持ってきました。別々に生活するつもりだと私は解釈しました。明らかに互いの誤解を解消していませんでした。学法グループで私は自分の考えを話して、一緒に交流しましょうと勧めました。それから、私は自分の良くないことを言い出して、相手も私の態度を見て自分自身の執着を言い始めました。数カ月の対立は解消しましたが、実は本当の執着の根本がまだまだわかっていませんでした。それから、ほかの同修も私の所に来て一緒に生活することがあり、私は不平や不便などの思いがやはり湧いてきました。そこで私は徹底的に根を掘るように、自分の執着の根本を探しました。やっと、私の根源は嫉妬と利益への執着だとわかりました。はっきりわかったら、それが現れる度に私はすぐそれを滅して、自分から積極的に嫉妬心をなくしました。

 それから、嫉妬心の根源は私我の存在だと分かりました。トラブルが発生するたびに、執着心が現れるのです。今の私は、同修と一緒にいることを非常に大事にして、純粋な心で人のために考え、理性的に慈悲に同修と接することができます。修煉の中に偶然はなく、自分が向上するだけではなく、同修といっしょに全体で向上することがもっとも重要です。これはきわめて難しいのですが、私は最大限に努力をしようと思いました。

 法を正す時期の修煉と個人修煉の関係を認識し、魔難を乗り越える

 大法を修煉して、私は大法への信念が誰よりも固いと思っていました。自分は法を学習し、正念を発しているし、真相を伝えることもやってますので、精進していると思い込んでいました。しかし、長い間私は病気の幻像に陥って、三つのことにも影響を与えていました。その表れは、首の中に硬い組織が出来て、頭が花崗岩のようにかちかちになっているのです。ひどいときに私は主意識を失い、意識不明になりました。毎日長時間正念を発しても、同修と交流しても好転が見えません。とくに、一部の同修三つのことをしっかりしていたのに、旧勢力の按排に左右されて、病気の状態のまま亡くなったのを見て、何が原因だったのかとずっと探し続けて、それは私我ではないかと思いました。しかし、これに気づいても自分が向上したとは感じませんでした。

 ある日、同修が100部あまりの病気に関する同修の交流文を持ってきました。中、ある文章に共感を持ちました。「観念を変え基点を正す―”病業と自我について」という文章の中に、私と全く同じ状況の同修がいました。十数年来、私がずっと魔難の中に陥った原因は法を正す修煉と個人修煉の関係が分からなかったのだと悟りました。長い間、個人修煉をしてきて、私(し)と自我が強いのです。「私は学法し、私は正念を発し、私は三つのことをしなければならないので、私の精進の向上に影響を与える妨害は許さない」という心理が大変強かったのです。表面上では法を実証していて、三つのこともしているのですが、本当はすべての基点と目的は、私と自我が貫いていました。すべては、自分が取り残されないように、師父について帰るためにやっていたのです。

 しかし、今の法を正す時期の修煉は、師父がやって欲しいことを圓容し、大穹の衆生救い済度するためなのです。すべては人のため、衆生のため、宇宙の未来のためで、私(し)のためではありません。ここまでわかってから、体中に電流が流れたように、良くない物質がぱらぱら落ちて、十数年来の魔難の根源が豁然(かつぜん)と分かりました。「ですから、この宇宙がどれほど大きいのかを皆さん考えてみてください。これほど大きい法が人類社会で伝えられ、一人の人間を容れようと思えばいとも簡単なことです。最も簡単な例を挙げて説明しますが、溶鋼に木屑が落ちたら、瞬時にその姿が見えなくなります。これほど大きな法をもって、あなたという一人の人間を容れ、あなたの体にある業力を滅し、良くない考えを消してあげるなどなどは、いとも簡単なことです」(『北米第一回法会での説法』)という師父の説法の意味を私はついに理解しました。

 私は、法を正す修煉と個人修煉の基点の違いが理解できなかったのです。個人修煉の基点に立つと旧勢力が按排した道を歩んでしまうのです。いかなる努力をしても、魔難の中であがくだけで、一定の次元に達してからまた問題に遭うので新宇宙に行くことができません。法を正す中で修煉すると、道は行けば行くほど広くなり、心も広くなり、背負う責任も大きいのです。本当に私たちを成就させるのは大法しかないのです。他に同じく魔難に陥っている多くの同修は、正法修煉と個人修煉との関係を正せていないのではないかと思います。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/3/2/253721.html)     更新日:2012年3月15日
 
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