大法は私の心のしこりを解きほぐしてくださった
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文/中国の大法弟子

明慧日本2015年8月14日】私は2005年から法輪功を修煉し始めた農村の大法弟子です。

 修煉するまで私は、なぜこんなに苦しいのだろうと思い、畑の仕事をしながら涙をこぼしたこともよくありました。そのため、ずっと修煉したい、苦しみから脱出したいと思っていました。

 それから2005年にやっと私は法輪功と出会いました。修煉をはじめてから、以前から悩まされていた腰痛やリューマチなど数種類の病気は一気になくなりました。

 夫は「本当に不思議だ!」と言った

 夫は修煉しませんが、私の修煉を支持してくれています。数日前、夫はオートバイに乗っていて転んでしまいました。翌朝になると肩が痛くなり、頭や腕も動かなくなりました。私は夫に「『法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい』を念じてください」と言い、真相の冊子を何冊か渡し読んでもらいました。

 夫は2時間ぐらい「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と念じたり、冊子を見たりしてから寝ました。そして目を覚まし起きあがった夫は何事もなかったようにトイレへ行きました。体が自由に動かすことができるようになった夫を見て、私は「どうやら治ったようですね」と言いました。夫はびっくりして、「本当だ、私は治った! 私は治ったんだ!」と言って、腕を動かしてみていました。そして「本当に不思議だ! 本当に不思議です。冊子を見て寝るだけで治るなんて」と嬉しそうに言いました。私はレントゲンを取って確認してみましょうかと聞くと、夫は「病院なんか行かなくていい、治っている、治っている。師父と法輪大法に感謝しなければなりません」と言って、合掌して感謝していました。

 大法は姑への恨みを晴らしてくださった

 私はとても早く結婚して、姑の家で苦労をたくさんしました。夫は長男で、5人の兄弟がいます。結婚してから、姑は自分で家事するのをやめて、家族の世話を全部私にさせました。私は8人分の季節ごとの洋服と靴を作ったり、洗濯したり、ひいては自分で布を染めたりすることさえしなければなりませんでした。しかもミシンも洗濯機もなく、全部自分の手でやらなければなりません。三度の食事の準備も手伝ってくれる人は一人もおらず、食事を一人で作ってもお腹いっぱい食べれることはありませんでした。夫の実家で暮らした数年間は毎日お腹が空いたままで深夜12時まで家事をやっていました。

 文化大革命で恐怖を経験した人には分かると思いますが、夫の実家で生活した時頃の私は、まさにそのような恐怖の中で日々を送っていました。姑も舅もとても厳しく、いつもそばで私を見張っていて、気に入られなければすぐに怒鳴りだし、時にテーブルを叩く時もありました。自分がやったことがうまくできても、褒められたことはありません。姑と舅は二人がかりで私をいじめ、まるで文化大革命の中で批判される人のように、私は毎日不安の中で過ごしました。例え同じ間違いをしても夫の兄弟たちは怒られませんが、自分だと絶対許してもらえませんでした。家に冠婚葬祭や、家の増築、修理などがあり、沢山のお客さんが家に来た時のお客さんの接待するのは、すべて私に任せられました。

 その後、私たちは夫の実家から出て、自分たちの家を持つようになりましたが、3年前から、姑の身体が不自由になり、私は夫の実家に通って、姑の面倒を見に行くことになったのですが、不平不満に思うことを押さえられませんでした。40年あまりの間、その家でいくら彼らを尊敬し、いくら頑張っても、私は乞食にも及ばない扱いを受け、苦しみに耐えてきました。どうして姑の世話をしに行けるでしょうか?

 姑の面倒を見に行くことを考えるだけで、私は大声で泣かずにいられませんでした。しかし、泣き止んで、よく考えてみると、これは正しい行いではない、師父は「修煉する人 自らの過ちを探し 各種の人心取り去ること多し 大なる関小なる関、落さんと想ふべからず 正しきは彼 過ちは私 何を争ふものか」[1]、「圓満となって佛果を得る 苦を嘗めるをもって楽とす 身を労するを苦と算せず 心を修するは最も過ぎ難し 関という関は全て闖えるべし いたる 処すべて是魔 百の苦一斉に降る 其の如何に活くかを看る 世上の苦に堪え得れば 世 を出ずれば是仏陀」[2]と説かれています。私は「自分は姑が多くの難関を与えてくれたおかげで、苦も嘗め、心も修める機会をもらうことができました。姑は私を修煉させてくれたのではないでしょうか? 恨むところか逆に姑に感謝すべきです! 」と思うと、怨んでいた心がなくなり、私は姑の世話をしに行きました。私は姑に下の世話をしてあげたり、ご飯を食べさせたり、薬を飲ませたり、冬はオンドルを温めてあげるなどしましたが、姑は相変わらず私をいじめました。師父が説かれた通りでした。「 修煉するにあたって、具体的なトラブルに対処する時、誰かに辛く当たられたりした場合は、たいてい次の二つの状況が考えられます。一つはおそらく前世にその人に対して何か悪いことをしたのかも知れません。あなたは、『どうしてわたしにこんなひどいことをするのだろう?』と言って心のバランスをくずすかも知れませんが、しかし、あなたはなぜ前世でその人にあんなことをしたのですか? 『あの時のことは知らない。現世は前世と関係ない』とあなたは言うかも知れませんが、そういうわけにはいきません」[3]

 少し前にその姑は亡くなりました。葬式を行った際、私と夫は他の兄弟より数千元多く支払いました。以前から私たちは姑の家に何かあればいつも一番多くの精力とお金を費やしました。姑の財産も一円ももらいませんでした。私は師父のご要求に従って行い、やり遂げたことを誇りに思いました。

 法輪功を修煉してから、姑につらく当たられたのは、自分が今生で、前世に姑に作った借りを返しているということが分かり、心のバランスを取ることができ、姑の事で悩むことがなくなりました。師父と大法のおかげで、私は一生に溜まった心のしこりを解きほぐすことができて、心身とも軽やかになりました。

 この法が世間を正すまで最後の時間で、私は三つの事をしっかり行い、速く多く人を救い済度し、円満成就して師父と戻れるよう頑張っていきたいと思います。

 注:
 [1]李洪志師父の詩:『洪吟 三』「誰是誰非」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「苦其心志」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/8/7/313731.html)
 
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