師父とともに過ごした懐かしい日々(ニ)
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文/中国・大連の大法弟子

 【明慧日本2016年3月9日】(前文に続く)

 二、錦州への旅

 1994年4月4日、私たちは車で師父を錦州までお送りしました。ちょうど清明節で(訳注:二十四節気の一つで、 4月4、5日あるいは6日、このころにお墓参りをして墓を掃除し、ご先祖を祭る習慣が広く行なわれる行事)、出発してから曇り始め小雨が降ってきました。私が「師父、雨が降ってきました」と言うと、師父は「雨が降ることはよくないと思いますか?」と尋ねられたので、「雨が降ると運転しにくいのです」と答えると、師父は笑いながら「清明節は雨が降る季節です。ではその雨を私たちの後ろに降らせましょう」とおっしゃいました。これを聞いて私は空を詳細に観察しました。最初は空の雲が厚くなりもっと暗くなりました。まるで黒い幕が天地を覆い隠すようでした。師父はお話が終わった後、手を回すような仕草をされました。師父が法輪を回しておられるとわかりました。私は師父と運転手の間の隙間から車の窓の向こう側を見つめていると、数秒後、その黒い幕が破られたように大きな雨雲が、一瞬にして薄くなりすぐに消えてしまい、薄い灰色の空に青空が見えてきました。雨もやみ、その光景はまるで映画を見ているようでした。後ろを振り向いてみると、空は暗いままでした。私と運転手は非常に驚いて、もし自分の目で見ていなければ、とても信じられない光景でした。

 運転手の天目は私より良く開いていて、高速道路の両側に時々背の低い人達が現れるのを見て、師父に「あの者は、いったい誰ですか?」とお尋ねすると、師父は各地の地蔵で、最も次元の低い神々であり、数も最も多いとおっしゃいました。大きい山には大きい地蔵がいて、小さい山にも小さい地蔵がいて、皆それぞれ自分が管理する土地があり、その土地の管轄内に着くと、そこの地蔵が出迎えに来ています。師父がどこかの土地にいらっしゃると、その土地の地蔵が皆出迎えに来ました。また師父が大連に行かれた時から、2頭の龍がずっと後をついてきて、師父に付き添いお守りしていました。

 午前10時近くになって、私たちは盤錦に着き、車を停めて近くの飲食店に入りました。店に入った途端、雨がまた降り始めました。私は師父にまた雨が降って来たことをお伝えすると、師父は笑いながら窓辺に立たれて、法輪を回されました。前回の経験があるので、私は入り口に立って時計を見ました。10秒も経たないうちに雨がまたやみました。

 錦州市に着いて、気功協会を訪ねようとしましたが、運転手は道がわからず、師父にお尋ねしました。師父も錦州市に来たのは初めてだと言われました。運転手は車から降りて道を尋ねに行きました。師父は虚空の上で線を一本一本、手で地図を書かれました。師父は「前へ進み、それから右に曲がって150メートルで着きます」と言われました。その時、運転手も戻ってきました。運転手はずっと前に進めば着くと教えてもらったと言いました。私は心のなかで師父は右に曲がるとおっしゃったのに、と思いました。ちょうど交差点に着いたところ、師父は右に曲がるよう指示されました。車が150メートルほど進んでから、運転手は車を停めました。2人で車を降りて探しに行きました。気功協会は道路に面しているのではなく、建物の裏側にありました。

 先に到着した学習者に電話をしたかったのですが、師父に何回聞いてもご返答を頂けなかったので、黙って車を進めました。突然「師父」という声が聞こえました。その学習者が走って来て、窓ガラスを隔ててずっとこの車を見ていて、なぜか10分前に停まったみたいだと話しました。私は車を降りて朝食を食べたと答えました。その学習者は確かに車が止まった後に、また出発したのが見えました。自分たちは受講証を作っているところで、師父がいらっしゃったのを見て、作業を止めてドアを出た途端、師父が目の前に見えました。この話を聞いた後、私は非常に驚き、なるほど、だから師父は返事をなさらなかったのですね。あなた達はこのように連絡を取り合っているのですねと話したら、師父は私たちの話を聞いて、お笑いになりました。

 昼間に講義が無かったので、私たちは車で市内観光をしました。筆架山は錦州市の有名な観光名所です。公園の入口に井戸があり、師父と学習者はしばらく井戸を見ていました。私も近づいて見ましたが、何も見えませんでした。師父は他の学習者に「彼女に見えたものを教えてあげて。それからこの海と筆架山を繋ぐこの道は龍の体で、その井戸は龍の目です」と教えて下さいました。その学習者は師父の言葉を聞いて、詳しく教えてくれました。師父は前を歩いて行かれました。その学習者は「見て見て。龍の子供が人間の姿になって、ピンク色の服をまとい、師父の服の裾を引っ張りながら、遊んでいますよ」と教えてくれましたが、私には、師父がお一人で歩いておられるようにしか見えませんでした。

 その学習者は、海の両側におびただしい数の大きな神々が恭しく立たれており、その神々が近づかないように緑の大きな法輪が、隔てを作っていると教えてくれました。私は海を眺めていましたが、何も見えませんでした。学習者がこんなに丁寧に教えてくれていても、何も見えない自分を口惜しく思いました。

 この学習者は、また教えようとしましたが、「私には何も見えませんから、もういいです。焦るばかりであなたも大変でしょう?」と断りました。その時ふと向かい側の筆架山を眺めたところ、山から光が放たれており、何層もの光の輪に囲まれているのが見えました。師父は「この道は本来、人々が海を渡るために用意されたものだが、今は真ん中から切断されてしまい、船に乗るしか向こうに行く方法がありません。これは全て人間によって破壊されたものです」とおっしゃいました。

 私たちは山に行くために船に乗りました。船に乗った後、海の波が荒くなってきたので、運転手は「私は泳げるので、師父は船の真ん中に立って下さい」と言いました。船があまりにも激しく揺れたため、師父をお守りするために言ったのだと思います。師父は嬉しそうに海面に向かって、手を振っておられました。同行していた学習者は「こんなにも大勢のものが、出てきましたね」と話しました。私はそれを聞いて、師父に「どういうことですか?」と視線で問いかけました。師父は「海から沢山の生命が、私に挨拶をしに出てきてくれました。皆喜んで小躍りしたので、波が荒くなりました」とおっしゃいました。運転手も何かを見たようですが、私だけ何も見えませんでした。

 運転手は「この船は水の中を走っているのではなく、私たちが船に乗った後、海が2つに分かれ、両側に高い塀のようなものができ、私たちの船は、その真中の平坦な一本の大きな道を進んでいるのが見えました」 さらに、皆に信じてもらえないと思い、運転手は「100%真実で、絶対に嘘をついておらず、師父の前ではなおさら嘘をつけません」と一言付け加えました。私は運転手の話は真実だと思いました。

 船をおりてから私たちは、比架山に建てられたお寺に入りました。同行の古い学習者は「壁を押し倒すように、それらを全部押し出しました」と自分が見えた光景を師父にお話しました。師父は戸惑っている私の表情をご覧になって、「彼女のやった事がわからなかったでしょう。彼女は私の法身がお寺にいるそれらのめちゃくちゃなものを全部きれいに整理しているのです。私が一つの場所を訪れるたびに、私の法身は先にそこに行き、あらかじめそこをきれいに整理してから、私はそこに行きます。今至る所どこも乱れていますから」と教えて下さいました。

 その古い学習者は「それらはもともとそこにあるものではなく、新しくつくられたもので、古いものは文化大革命の時に壊されてしまいました」と教えてくれました。私はやっと話の内容がわかり、お寺の人に尋ねてみると、その古い学習者の言うとおり、確かに一部の仏像は後からつくられたものでした。

 比架山の頂上に海の龍王を祀るお寺があり、師父は龍王の彫像の前にお立たちになり、しばらくご覧になってから、「この海の龍王の彫像は本物とそっくりですよ。作者はきっと海底で生活した経験があり、龍王の姿、衣装、飾りなどもいきいきと表現されています。このような彫像は、今世界中で唯一無二であるとまで言わなくても、極めてすくなく、大変貴重なものです。しかし、人間はどうしても人間の感覚で神を考えるものです。このような赤いマントを神の彫像に被せました。実は神は自分の立派な服を持ち、それはとても豪華なものです。このような人間が作ったものは、真っ黒で汚れていて、全て名利を求める心がもたらしたもので、神から見ればとても汚れています。・・・」とおっしゃりました。

 翌日講習会の時、私と古い学習者は一番後ろの列に座っていました。突然酔っぱらいの中年男性が押し入り、大きな声で叫んでいました、師父はステージ上で手を振られ、「その人を外へ出してください」とおっしゃいました。1人の警察官の制服を着ている背の高い学習者が、すぐにその人を会場の外へ出しました。夜宿泊所に戻る時、師父は「今日の気が狂った酔っぱらいの道士は、私が法を伝えることを破壊しに来た、極悪非道な者です」古い学習者は「師父が手を振られた瞬間、雷を使ってその酔っぱらいを十数丈も離れた遠いところに、飛ばされました」と話してくれました。(訳注:丈は長さの単位。1丈は10尺。約3.03メートル)

 2日後、大連に処理しなければならないことがある為、私たちは先に帰ることになりました。師父のそばから離れるので、皆、心寂しくなりました。師父は私たちを見送ってくださった際に、繰り返し、繰り返し、しっかりと学法煉功して、必ずや円満成就するように修煉に励んで欲しいとおっしゃいました。

 (続)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/3/318461.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/11/21/153764.html)
 
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