貧しい田舎からの修煉体験
■ 印刷版
 

 1. 大法弘伝して,聞きし者は之を尋ね,得し者は之を喜び,修する者は日をもって衆い,その数計られず。

   私は1996年5月法を得て、法輪功を故郷の同郷人に紹介するため、7月には遠い辺鄙な故郷に戻りました。当時、姪には変な現象があり、彼女は寝るのを恐れており、食欲が驚くほど大きいのです。法輪功を修煉すれば、という私の勧めを聞いて、何篇ものの先生の経文を読みましたが、その日の夜彼女はぐっすりと眠りました。以前風邪を引いたとたん、下肢が半身不随になっていましたが、その日からは発生していません。父親は三回「転法輪」を読んだ後に何十年やめようとしてもやめられないタバコとお酒をやめました。もともと体質が弱く、毎年春と秋には過敏性喘息に悩まされていた父は、修煉した後に食欲が大きくなり、体質も強くなり、顔が赤くつやつやしており、一度に7,8キロ歩いても疲れを感じなくなり、なおかつ季節性喘息もなくなりました。

   同郷人は父親の変化を見て、法輪功を学ぼうとする人々がますます多くなりました。お金がいるかどうかや人を選ぶかどうかなどの質問を抱えていた人が多かったのです。「お金は必要なく、誰でも学べる、学ぶ気さえあれば教えてあげますよ。習いたくなくても強制しない。まったく自らの意志で決めるものだ」という私の説明を聞いたら、同郷の人々は次から次へ大法修煉の道に入ってきました。家族に背負われてきた人がいるかと思えば、親族に車椅子を押されてきた人もいます。その後、隣の村の人々も次から次へと来て法を得ました。これらの善良な純粋な農民たちは「真・善・忍」の原則に従い、日頃の自分に対して厳しく要求し、心身に大きな変化が起きました。皆大法の威力や恩師の慈悲を感じました。

2.「転法輪」は私の命より大事なのに、あなた達に引き渡すことできるのでしょうか

   隣に80歳のお婆さんと三人の息子がおり、皆大法を修煉しています。お婆さんは30年ずっと結核性の腹膜炎と気管支炎喘息を患っており、特に冬になると病状が重くなります。1996年の正月前に病状が再び重くなり、横になっても平らになれず、座ってもまっすぐなれず、口が開いたままで呼吸し、たまらないほど苦痛でした。長期にわたって薬物を投入されていたため、この時、薬物はもう効かなくなっていました。息子たちは葬儀の用意も始めました。この絶望のときにこのお婆さんは法を得ました。お婆さんは毅然として薬をやめ、我々の支えによって座禅しており、我々の読書によって法を勉強しています。だんだん病状が軽くなり、しばらくすると、お婆さんはベッドから離れられ、体の調子がよくなりました。「法輪大法が私を救いました、師父が私を救いました。これから私は修煉に励まなければなりません」と彼女は涙を流しながら言いました。1999年7月20日以降、県の放送局から数人の記者が来て、「あなたは古い党員であり、「転法輪」を出して、それからいくつかの“法輪功に不利な言葉”を言って、我々はビデオを撮ってやる」と彼女を勧誘しました。「法輪功にはよくないところがない、私は法輪功を修煉しないととっくに死んだよ。「転法輪」は私の命より大事なのに、あなた達に引き渡すことできるのでしょうか」とお婆さんは断固として要求を断りました。

   お婆さんの三男は、体が丈夫だったのにもかかわらず、春に井戸を掘った時、井戸の底につくや否や一声叫んで卒倒しました。彼を引き上げてきた時には彼はすでに人事不省になりました。お婆さんと二人の兄は平然としていました。なぜなら彼らは修煉者であるからであり、「この形で昔の借りを返し、師父が守っているから真の危険がない」と信じていました。果たして二十分後三男の目が覚めました。同郷人は大法の威力を自らの目で証明しました。もちろん我々は「これは師父の慈悲だ」とわかっています。

3.大法を修煉しないと、私は苦痛の中で死ぬまで苦しめられる。

   ある50代のおばさんが数年前出産した時、出血が多かったため、体は虚弱で浮腫んでおり、顔が白紙のようでした。薬物や栄養食品を買えないため、この何年間ずっと苦痛の中を苦しめられていました。最初に功法を習ったときは娘に身体を支えられて来ました。当時、彼女の顔色は怖いほど悪かったです。一週間も経たないうちに顔色がよくなり、なおかつ自ら煉功場所に行けるようになりました。知人や友人たちは彼女の赤くてつやつやしている顔を見ると、「あなたはまったく別人だ」と皆言いました。彼女は「これこそ私の真の姿だ」と笑顔で言いました。

4.大法は邪なものを抑えられる

   ある50代のおじさんは脳血栓になって以来、よく頭痛、不眠に悩まされていました。好奇心の下に我家に煉功を見に来ました。我家に入ったとたん病状が軽減したようでした。翌日功法を学びました。ある日皆で煉功している時、彼は賑わいを見るため、巫子の実演のところに行きました。結局巫子らは手足が効かなくなり、実演できなくなりました。「お願いですから、早くここから離れてください。あなたがいると、我々が実演できなくなるよ」と巫子の哀願を聞いて叔父さんは大法が邪なものを抑えられると感じました。このことにより、ある巫子も大法は唯一の正法だと認識し、大法修煉に入ってきました。

5.罪がないのに迫害され、世人に善悪を見分けさせる

   大法を修煉した後、農民らは体が健康になり、気持ちが楽になり、道徳も向上しました。大法を修煉する農民は率先して各種の費用を積極的に納め、無報酬で壊れた道路を整え、ますます重くなってくる負担をも心配せず、もう高価な医療費を支払えないため病痛の中で苦しめられることはありません。彼らは内心から師父に感謝し、大法を堅信し、雨天であろうが雪天であろうが皆私の父の家に集まって、煉功や学法をします。このような人々は社会の最も堅固な安定的な要素ではないでしょうか。

   私の父は皆に煉功場所を提供しただけで、随時に江沢民の支配下の“人民の公僕”と“人民の警察”に不法尋問され、拷問され、自白を強いられます。1999年4月25日以来、父親の家での煉功は執拗な妨害を受け、父の人身自由も制約されています。2000年の4月25日前、当地の警察署の人は連続3日間私の家の周りを不法監視し、また北京に上申しに行くのを恐れているという理由で父を収容所に2日間拘置しました大法の書籍やその他の資料を引き渡すよう脅迫しました。2000年の7月19日夜10時頃、何人か突然に私の家に飛び込んで、何の証拠も理由もなく、寝ていた父を連行しました。同郷の人達は「これのどこが警察だ?強盗と一緒ではないか?」と言いました。その後公安局は「社会秩序の妨害」で15日非法拘留しました。法律を守る老人が夜家で寝るのはどうして社会秩序を妨害したのか全くわかりません。不法拘置の間に3000元を強請られ、保証書にサインするよう強制されました。お金を渡さないと労働強制所に入れられます。家族は代わりに保証書にサインし1500元払い、16日目にやっと解放されました。家に戻ってまもなく、村や郷の幹部さんが脅かしたりすかしたりして父を学習班に入れ、その間、不法洗脳を実施され、再び嘘つきや保証書にサインするよう強いられました。

   “強制しても人の心は変えられない”。邪悪が大法弟子に対する2年近くの迫害は大法弟子の大法に対する堅固な信念を揺るがすことできないだけでなく、かえって、より多くの人々に江沢民のごろつきの政治集団の邪悪な本質を見分けさせました。同時に、大法及び大法弟子の偉大さがますますわかるようになります。人心が善に向かうのは誰にも変えられない歴史の潮流です。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2001/7/4/12810.html)     更新日付:2011年10月5日
 
関連文章