二言三言「なぜ、初志貫徹できないのか」
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年3月22日】最近、師父の経文『精進要旨』「法を正す時期の大法弟子」を読んだとき、どうして自分の修煉が初志貫徹するという状態に達することができないかが分かりました。それは、自分の潜在意識の中に「保険をかけている思い」があるからです。

 数年の間、自分はどんな試練も乗り越えたと思い込み、自分は大法弟子だと気取っていました。たとえば、長い間煉功をしなくても、せめて安逸心が強いと人に言われているだけで、大法弟子ではないとは言えないでしょう。師父は「皆さんは圓満成就の基準に達した、というわたしの話をちょっと聞くと、すぐ重荷を下ろしたかのようになって」[1]とおっしゃいました。どうして自分を厳しく律することができないのでしょうか? 関をなかなか乗り越えられない時、師父の法を知っていながらわざと過ちを犯します。実はすべて同じ心理状態であり、どうせ私は大法弟子ではないとは言われないでしょう。

 確かに、明慧編集部からの通知『出発点』で言われた「精錬の炎を通ったものの全てが黄金とは言えません」の通りです。

 結局のところ、やはり私心です。まるで修煉は円満成就のためであり、この心が深く隠されています。どうせ最終的に自分が円満成就することができると思い、だんだん緩んでしまいました。法を正す時期の大法弟子の責任を根本から認識できませんでした。

 一応、衆生を救い済度する努力をしているように見えますが、実は法に基づいていません。師父は「もし、皆さんがいまだに法を正す弟子とはどのようなものか、はっきり認識できないとすれば、今の魔難の中から抜け出せず、この世で安逸をむさぼる心に動かされ、邪な悟りに陥ってしまいます」[1]とおっしゃいました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「法を正す時期の大法弟子」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/3/8/305911.html)
 
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