「善意に指摘する」について
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文/米国の大法弟子

 【明慧日本2020年10月18日】私は数年前から海外でメディアのプロジェクトに携わっています。同修の間で対立や意見の相違があったときの対処方法としては、一、同修の問題を指摘すると相手が怒るのが怖くて面と向かって何も言わないのですが、相手の問題によって自分に迷惑や損害を蒙るので、どうしても他の人に文句を言ってしまい、結果的に距離ができて物事が複雑になります。二、同修の問題に面と向かって指摘するが、善意ではなく、非難や憤りを感じてしまう、という現象があることに気付きました。

 それに、面と向かって指摘して他人を傷つけることへの恐怖は、自分を守りたいという思いからの私心であり、非難や恨みを込めて指摘することも、自分の名利情を傷つけられたときの恨みと同じように私心であるように感じました。

 師父は『シンガポール法会での説法』の中で、「私はいつも言いますが、人が如何なる自分の観念も持たず、個人の利益を起点とせず、真心から相手のために不足を指摘し、或いは相手に何が正しいかを教えるならば、相手はきっと感動し涙を流します」と説かれました。

 私は、皆が協調できるように、まず自分自身を修めること、そして自分に迷惑や損害を与えた人を恨まないこと、自分が傷つくことを恐れて、同修の執着を「容認」してはいけないこと、これが問題を解決する方法なのだと気づきました。誰かの問題を見たら、相手のために善意に基づき、その時の同修の態度に関係なく、同修の欠点を指摘してください。そうすることにより、誠実さとお互いの信頼関係が築ける環境ができれば、大法に関するプロジェクトがスムーズにいくはずです。

 師父は『ロサンゼルス法会での説法』で、「すべての人がこのようにすることができれば、これに越したことはありませんが、認識できなかった問題をほかの人が指摘するのは、もちろん間違いではありません。しかし、指摘するとき、必ず善意に基づかなければなりません。あなたも慈悲を修めているので、善意であるべきです」と説かれました。

 他にも、修煉者の誤解から生じる問題もあり、直接指摘すれば解決のチャンスがありますが、裏で話しても争いを複雑にし、心の中にわだかまりを作るだけです。直接指摘するときは、師父がおっしゃった、「指摘するとき、必ず善意に基づかなければなりません」という法を忘れてはいけません。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/3/18/306378.html)
 
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