同修たちよ、後悔してあとの祭りにならないように
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文/署名無し  

 【明慧日本2020年10月23日】週末、母と食事をしているときに、母に「このあと何をするつもりなの?」と聞かれた。私は冗談半分に「遊びに行く」と言うと、母は「何を楽しんでいるの、時間を無駄にしないで、食べてから一緒に法を学ぼう」と言いました。母の話を聞いていると心が温かくなります。周りの人たちはみんな私を常人の方に引っ張り、毎日飽きずに法を学んでいるのか聞いてくるのは母しかいないのです。

 この世界では、師父の他に、母が二番目に私の修煉に関心を持っています。静かに大法を勉強できないことが多かったにもかかわらず、母から「一緒に法を勉強しよう」と言われると、とても嬉しかったのです。本当は法をしっかり勉強したかったのですが、決して積極的ではありませんでした。

 私達は『二〇一八年ワシントンDC説法』を一緒に勉強して、大法の威力で絶えず心が浄化されました。法を学ぶことがどれだけ素晴らしいことか、昔、法を学んでいた頃は、まるで自分の頭に注がれるように、知恵がどんどん増えました。今、どうして自分の意思で法を学ばないのでしょうか?

 法を学んだ後、私は母に「今、法が人間を正すと思うだけで、心の中に恐怖感があり、もし大法弟子が位に帰ったら、今の自分は、その扉に入ることすらできないでしょう、師父は合格できない弟子を望みませんとおっしゃったことがあります」と言いました。

 目に涙が溢れ、自分の間違いを痛感し、自分の修煉状態を気にしていました。少し前、二つの夢を続けて見たからです。

 一つの夢は、師父が意気地のない私を見ておられ、「あなたは修められる次元まで修煉すればいいのです」と伝えてくださいました。私の気持ちは言葉で表現できないほど、切なくなりました。その時、母が邪悪と魔物に向かって火の玉を投げつけているのを、師父は母の後ろで見守り、母の正念を加持してくださっていました。それらの神通力は師父からどんどん流れて来ていたことが分かりました。今までは、正念の威力を感じられなかったのですが、実は、自分の正念の威力は、師父と大法を信じる度合いに左右されていたのです。

 第二の夢は、母と私が手をつないで地上に降りるとき、師父はずっと私たちを見守ってくださいました。師父が母を本当の家に連れて帰られた時、私には何も言わず、連れて行ってもくださらず、私はその場に立ったまま、ただただ悲痛な絶望だけを感じていました。

 師父はこの方法を使って、私を棒喝してくださっているのかもしれません、急がないと手遅れになってしまいます。私と同じように修煉を怠ってきた同修に、忠告します。無駄にした時間は二度と戻ってこないのです。

 私たちの誓約を思い出してください、私たちはどのくらい誓約を果たしているか、師父の慈悲なる救い済度に値するものかどうかを考えてください。法を得るために苦難を乗り越えて下界に降りてきた真我に申し訳が立つでしょうか? 昔、私の修煉は、時には精進し、時にはだらだらしていて、しばらくの間、つまずいたり、苦しみを味わったりしたあと、再び精進しました。今もそのような繰り返しです。師父は『機縁は一度しかなく、放下できない夢幻が過ぎ去ってから、初めて何を失ったかを知るのです』[1]と説かれました。しかし、私達が理解するまでに、一体どんな痛みを経験しなければならないのでしょうか?  同修たちよ、早く遺憾な点を補い、しっかり三つのことを行ないましょう、師父は私達を待っておられます。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「退職した後に修煉する」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/10/17/413881.html)
 
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