文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年12月16日】師父の教えから、大法弟子の心が周囲の変化に影響し、社会の変化さえもたらすことを誰もが知っています。現在のアメリカの選挙の混乱や社会の様々な人心の現れは、私たちの心にも直接関係しているのでしょうか? 大法弟子の主体である中国本土の大法弟子にとっては、自分たちの手の届かないところだと感じているのでしょうか? それとも、アメリカの大法弟子にとって特別な機会なのでしょうか?
中国共産党が大法を迫害してから21年が経ち、私たちはあまりにも多くの後悔を残しチャンスを逃しました。私たちは、大法のために天安門広場に行った大法弟子があまりにも少ないことを嘆き、なぜ江沢民を訴えるのは21万人しかいないのかなどと疑問に思ったことがあります。当然、道を聞くのに先と後との違いがあり、みんな大法から自分なりの理解に従って、それぞれの道を辿って、今日に至るまで歩んできたのです。その過程で良くできている人もいれば、非常に曲がりくねった道を歩んでいる人もいるかもしれませんが、法を正すことが終わっていない限り、再び良く行うチャンスがあります。ただ、この機会は時間が経つにつれて少なくなってきています。
また、私たちは大法修煉に近道はないことも知っています。勤勉で修煉に熱心な上士になれず、何かあった時に自分を修める中士のようで、多くの修煉者はこのような状態になっています。
ある物語が頭をよぎります。2001年に刑務所の中で出会った同修は、当時、海外で江沢民を訴えていることを聞いて、すぐに「正念を発します」と言いました。他の修煉者がまだ「遠くから正念を発する場合の効果は限られているのではないだろうか」と考えていた時、彼は「蒼窮は無限に遠く 念を移せば眼前に到る 乾坤は無限に大く 法輪は天地に旋る」[1]という師父の詩を淡々と唱えただけでした。大法に対して心から信じて疑わない同修の正念に、今でも感銘を受けています。
師父は「強い正念であればあるほど、大きな威力があるのです」[2]と説かれました。師父は「大法弟子は一つの全体として、法を実証する中で協調することができれば、法力が非常に大きくなります」[3]と説かれました。
そこで、2020年の米国選挙、善と悪の戦い、神と悪魔の戦いに直面して、私たちは再び法を正す重要な関門に立たされていますが、大法弟子は何をすべきなのでしょうか? 誰もが自分の考えを持つことができますが、大切なのは悟ったら実行することです。そして。何よりも積極的に修めることです。
ここで、再び師父のいくつかの説法を復習しましょう。
弟子:大法弟子は一つの全体として、最も根本的に改善する必要のあるところと欠点はどこにあるのでしょうか?
師:大法弟子は一つの全体として、法を実証する中で協調することができれば、法力が非常に大きくなります。皆さんが集団で何かをするにしても、自分一人で何かをするにしても、皆さんは同じことを行っています。これが一つの全体ということです。皆真相を伝えており、正念を発し、法を勉強しているため、具体的な仕事が違っても、担当は秩序良く分担されています。集まれば形になりますが、散ってしまえば粒になります。皆さんは全体の形式において何かの問題が現れたら、師父は必ず表に出てそれについて説きますが、目立った問題がなければ、師父は何も言いません。全体の形勢に影響していなければ、師父は何も言いません。[3]
弟子:法を正すことが進むにつれ、一つの全体になることはとても重要であり、すべての大法弟子は全体に溶け込む責任がありますが、一部の人はこれを悟ることができません。
師父:修煉に関して師父は従来からこのようにあのようにと画一的な方式で対処したくはありません。修煉は皆、自分の次元、認識と修煉状態によって左右されます。協調が必要なことなら、心がその次元に達したら参加していいのですが、心がその次元に達していなければ参加しても協調が取れません。人心がある人でも、良く修煉できていることもあるので、この人が良くないとは言えません。ある仕事は成功しましたが、ほかの仕事が失敗するのなら、それでもいけません。[4]
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「洪」
[2] 李洪志师師父の経文:『精進要旨二』「同じく二言三言」
[3] 李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節での説法』
[4] 李洪志師父の経文:『世界法輪大法デーの説法』