文/中国の大法弟子 罡正
【明慧日本2024年7月21日】私は法輪大法を学び始める前に、2件の死亡事故を目撃しました。私はどちらの事故現場でも行動を起こすのをためらったため、2人の命を救うための一瞬を逃してしまいました。そのことを思い出すたびに、私は非常に悔しくて悲しくなります。
私は修煉を始めてからも、法輪大法の真相を伝えることもうまくできませんでした。慈悲心や強い意志が足りず、人々に法輪功迫害の事実を理解させることに影響を及ぼしたことに気づきました。以下に2件の事件をお伝えするのは、自分自身と他の修煉者が、人々を救うために迅速に行動してほしいからです。
それは、1989年に私が学校へ向かう途中で起こりました。中年の男性が小さな子供を乗せて自転車に乗っていました。2人はトラックにひかれ、トラックの下敷きになりました。男性がトラックにひかれそうになるのを逃れる間、少女が立ち上がって逃げようともがいていました。少女はもう少しトラックから離れていれば大丈夫だったのかもしれません。しかし、少女は幼かったので、そのような行動に移せなかったのです。その一瞬に、私が彼女をトラックの下から救い出すことができれば、彼女は助かったかもしれないのです。しかし、私はそれをしなかったため悲劇が起こりました。その後、何年もの間、その場面が私の頭の中で再生され、危険なときにはすぐに行動しなければならないことを思い出させます。ためらっている時間はないのです。
1990年、私は川で泳いでいました。岸で休憩していると、ぼんやりと助けを求める声が聞こえてきました。声を追ってみると、30~50メートルほど離れたところで誰かが溺れているようだったのです。遠すぎてはっきりと見えなかったので、本当に溺れているのかを確認してから行動したかったのですが、彼は2度と水から上がることはなかったのです。私は、またもや自分の無策さを後悔しました。
法輪大法を学び始めてから、私は人々を救うことの重要性を理解するようになりました。しかし、肝心な時にいつも身を引いてしまい、後で後悔しました。ある夜、私と親しかった人が亡くなったと聞き、私は彼との関係について考えました。私は何度も彼に法輪功迫害の真実を明らかにする機会がありましたが、何度もその機会を逃し、もっと良い機会があるといつも思っていましたが、もうありません。
私は自分自身を恥じています。大法の真理をもっと多くの人に伝えることができたのに、私の思いやりの欠如が私を妨げました。生死にかかわった肝心な時に、私は不必要なトラブルに巻き込まれたくなかったので、人々に援助の手を差し伸べてこなかったのです。すごく後悔しています。私は、過ちを補うために、残された限られた時間をつかみ、正念を固めて、もっと多くの人を救わなければなりません。