文/遼寧省の大法弟子
【明慧日本2022年5月27日】私は共産党の教育を受けていたので、神さまの存在を信じない無神論者でした。死んだ人がまた生まれ変わる輪廻転生のことを信じておらず、「人は一度の人生だけで、死んだら何も残らない」と思っていました。共産党の言うことだけを信じていました。
しかし、ある偶然の事故に遭い、私は以前の認識を変えることができ、人生も変わったのです。
1994年1月の初めのある日のことでした。その日、仕事中に事故がありました。それは事故処理の過程で、生産ラインの配管が再び破裂し、高温の苛性ソーダ液が瞬時に噴出し、私の顔や目などに飛び散って来ました。その時、顔に火がついたような感じで、目も開けられず私はすぐに病院に運ばれました。
右目の火傷は誰が見ても怖くなるほど大きな穴になってしまいました。それから、3カ月以上入院して治療を受けました。退院することになったのですが、検査のために眼帯を外すと、右眼球に厚い白い膜があり、眼球を覆っていて、医者や看護師が言うようにまるでカーテンで遮られている感じでした。視力表に1メートルほど近づいて行っても、一番上の大きな文字が上下左右が完全に見えず、光の感覚だけでした。照明がついているか、消えているかだけしかわからず、失明のような状態でした。大きなダメージを受けた左眼も視力が低下し、ものがぼんやり見え、字がはっきり見えない状態でした。目が見えない事実を知った私は、死んだ方がましだと思いました。
帰宅後、私は自暴自棄になり、身の回りのことができなくて、何度も死のうと思いました。「これから、どうやって働くの? 生活はどうなるのか」などと、考えれば考えるほど、不安でたまらず天が落ちてくるような気持ちになりました。妻も仕事に行けず、休暇をとって私の面倒を見てくれましたが、よく泣いていました。
目を治すために、さらにいくつかの大病院に行き検査や治療を行いました。結局、どの病院でも、「視力を回復させるには、角膜移植しないと治らない」という告知でした。普通の家庭に角膜を移植するお金があるわけがありません。その上、いつ角膜を提供してくれるかがわからない状態でした。それ以来、生きることに自信を失い、絶望的になり、自分自身を見捨てて、何もやる気がないまま、日々を送ったのです。仕事もできないし、自分の身の周りのこともできないし、天を呼べども天答えず、地を呼べども地動かず(中国のことわざ、すべてのものから完全に見放された孤立無援)といった状態でした。
1994年10月のある日、私は療養のため自宅にいました。父が私に会いに来て、「家で何もすることがないなら、私から法輪功を習ったらどうだ? 法輪功の本は天書みたいだよ。病気治療に奇跡的な効果がある」などと言いました。
それを聞いて、信じているようで信じていないようで、よくわからなかったのです。 父への思いのために、心の中では「どうせお金がかからないのだから、まずは本を読もう」と思っていました。
『法輪功』を読もうとしました。しかし、文字がはっきり見えず、「どう読んだらいいのか?」と迷いましたが、本に何が書いてあるのか知りたいので、一字一句読むのに必死でした。しかし、読んでいくうちに、本の中の文字がどんどん大きくなり、鮮明になっていきました。私は感動して泣きたくなりました。「師父は偉大な神であり、きっと私の目を治してくれる」と信じることができました。
それ以来、私は大法の本が読みたくなり、父から功法も学びました。数日後には目がすっきりした気がして、目の中の白い膜の厚さも薄くなり始め、その後、膜が消えてきました。薬を飲まず注射をせず、病院に行かず、目はすっかり治りました! 事故の前よりはっきりと見えるようになったのです。本当に奇跡的で素晴らしいことで、現代の科学では説明のつかないことでした。
それで私は言葉にならないほどの衝撃を受け、無神論者から、神の存在を信じるようになりました。心の中で「師父はとても偉大です。法輪大法は素晴らしいです」と叫んでいました。師父に叩頭いたします。私に澄んだ瞳を与えてくださった恩人である師父に心から感謝いたします。
1995年の初め、『轉法輪』を手に入れ、まるで宝物を手に入れたような気分でした。それから、私の人生が変わりました。私は正式に学法、煉功し、煉功点で同修と修煉のことについて、切磋琢磨しました。よく地域や公園、会社の会館、会議室などに行き、同修と一緒に学法や煉功し、交流して、大法を広めることに努めました。毎日、楽しく過ごしていました。私は法輪大法を学んで大きく変化したことで、多くの親戚や友人も大法の修煉を始めたのです。
私は以前、自己中で亭主関白で、常に自分が正しいと思い込んでいました。妻からよく頑固者だと言われました。家にいると、怒りっぽくて、短気で、常に独断専行でした。大法を学んでから、それらの良くない性格も変え、家事を手伝うようになり、子供にも優しく、仲良くやっています。外ではよく人を助け、すべての行動において法輪大法の法理に従って行動しています。近所の人はみんな私のことを「いい人」「温かい人」と褒めてくれます。私の変化を目の当たりにした妻は法輪大法に対する認識を変え、最初は反対したものの、大法の素晴らしさが分かり、最終的に大法の修煉に入りました。私たち夫婦はともに修煉し、精進し、衆生を救う道を歩んでいるのです。
一番幸せなことは大法を得たことです。大法のおかげで、私は人生に対する疑問がすべて解け、数十年にわたって形成した観念が変わりました。私は自らの奇跡的な体験を通じて、「頭上三尺に神あり」、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」、「大法は全知全能である」と、証明できました。