青年男女の交際について
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文/青年大法弟子  

 【明慧日本2020年10月31日】私は結婚したばかりの青年弟子です。最近、気付いたことを書き出して、ここで同修と交流したいと思います。

 師父の説法から、私たちが仕事、生活、勉強で遭遇するすべての問題は、個人の修煉の向上に関連していると知っています。青年男女が交際する中で「情」という問題が非常に突出していると気づきました、普段はこの問題を認識して自制しているのですが、2人が一緒にいると自分の感情を把握できず、非常に仲睦まじい言葉や口調などが溢れ、男女の情を生じるようになってしまうのです。

 実際には、それは真我の現れではありません。交際する過程で、私はこの問題を明確に真剣に理解していなかったので、三つのことをサボってしまい、その後、絶えずトラブルが起こりました。ある週末に彼女をドライブに連れ出し、目的地に着いたら車が故障してしまいました、正念を発し終えたら、車は正常になりました。しかし、夜になると携帯電話から明慧のホームページにアクセスできず、数カ月後には体に異常が出てきましたが、数日間の法の勉強と煉功で回復しました。数カ月後、車はまたもや大きな故障を起こし、廃車に追い込まれるというトラブルが続出しました。その間、私は疑問に思い続けました。私が彼女と一緒にいてはいけないのではないか? と考えました。でも、最近あることを聞くまで答えが出てこなかったのです。

 あるプロジェクトで重要な役割を担っていた青年同修がいましたが、結婚するからと、そのプロジェクトを辞めてしまいました。 しかし、結婚式のわずか数日前に、2人は同時に重度の体調不良を起こし、同時に入院して1人は昏睡状態に陥ってしまったそうです。

 この件を他の同修が私と交流したあと、私は今の次元で私と彼女についての問題の答えを悟りました。実はその時、彼女と一緒にいるべきではないと悟ったのは彼女と一緒に精進し、情の乱れを抑えて排除し、しっかりと三つのことを行ない、緩めてはならず、お互いに支え合うべきで、それはすべて修煉者の慈悲で、情ではないという啓発だと思います。

 情を排除していく過程では、本当に100パーセントの決意を持って、しっかり内に向かって探さなければなりません。常人の中で修煉していると、なかなか自分を把握できず、油断していると情に流されてしまうことがあります。私たちは自分自身を向上させなければなりません。120パーセント、150パーセント、200パーセント(それしか言いようがありません)の信念をもって、自分自身を思い起こさせ、言葉と行動上でしっかり把握し、三つのことをしっかりと行ない、師父の慈悲と苦しみに顔向けでき、すべての衆生の期待に顔向けできるようにしなければなりません。

 師父は「私は彼女と共に精進し、共に努力しよう」[1]、「衆生が救われるために 彼は創世主への承諾を果たすため、人を救うことを怠ってはならない」[2]と説かれました。今では、私はさらにこの面での修煉に注意を払い、細かいところや考え方にまで気を配り、内に向かって探しています。自分の修煉は少しずつ向上し、慈悲心がだんだん増していることに気がつきました。

 もちろん、付き合う過程では、男女の情の干渉や試練だけでなく、求めることの焦りもあります。その執着心を取り除くための執着、焦り、憤り、和やかではない闘争心、無意識的に自己顕示をする、自分はよく修めていると相手に伝えたい(実際には逆効果)、または仕事がうまくできているなど、それは本当に慎重に察しないとに見つけることができないのです。嫉妬心もあります、他の人がよくやっているのをみると、心のバランスが崩れやすくなります。2人で修煉しても、よく修めていけば、2人は成就できます。逆の場合は、2人共危ない状態に陥ります。病業を乗り越えられない若者2人のことを思うと、本当に残念に思います。誓約を守らず旧勢力に隙に乗じられたから、直接命を取りに来たと今の次元で私は気付いたのです。とても心が痛みます。

 大法を修煉することは、私たちの生命の根本です。修煉で次元を向上することの素晴らしさは言葉で表現できません。師父の慈悲は、命をかけても実現できるものではありません。同修達よ、修煉はくれぐれも緩めてはいけません、精進していきましょう!

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟四』「私の願いを持っていって」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟五』「慈悲は愛を超える」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/10/26/414194.html)
 
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