嫌がらせをする人は、逆に得をした
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2020年11月15日】昨日、同修たちと交流をしました。同修のほとんどは、「大法弟子に嫌がらせをすることは罪を犯すことであり、家に入ることを許してはならない」と言いました。

 法輪功迫害の実態を理解している人もいますが、たとえ、村の書記が嫌がらせに来た人を追い払ったりしていたとしても、「大法弟子のことを妨害しないよう」にと伝えました。しかし、ドアをノックして来た人は大勢いて、多くの大法弟子は迫害に協力しませんでしたが、自宅の中に入らず、二言三言で帰ってしまう人がいたり、3、4分おしゃべりしただけで帰ってしまう人がいたり、また村人や上の人の中には、真剣に取り組まずに適当に形式だけで済ませてしまったり、大法弟子の家に行ってもすぐに帰ってしまう人もいました。

 自惚れている大法弟子がいて、「私はとにかく邪悪な迫害には協力しません」。同修と話しているときは、自分が正しいことをしているように感じているようです。

 同修たちのことを聞いた時は、彼らが何をして、何を言っていたのかを考えると、それに間違いがないとも思いましたが、しかし、寒さと暑さを恐れず、一年中、外に出て法輪功迫害の実態を伝え、縁のある人を探して、共産党組織からの脱退を進めている多くの同修のことを思い出してみると、こんなに広い範囲で「嫌がらせ」が行われています。こんなにも身近な庶民が多いのは、偶然なのでしょうか? 大法弟子への嫌がらせは旧勢力によって按排されましたが、しかし、私たちの偉大な師父は、20年以上も私たちのために法を説いてこられました。大法弟子の慈悲と優しさは、一体どこにあるのでしょうか?

 師父は「それらの逆手を取ってそれらを利用したのです」[1]と説かれました。

  以前、私は明慧ネットのある記事を読んで、とても深く感動したことがあります。「共産党の人員が私に一度でも嫌がらせをしにきたら、彼らが本当に法輪功迫害の実態を理解して、大法弟子の迫害を止めるまで、二度も三度も繰り返し伝えにいきます」と言っていました。今では、どんな言い訳をしてもドアをノックしたり、訪問を繰り返したり、法輪功を学んでいるかどうかの確認をする「嫌がらせ」が非常に多くなっています。大法弟子の神聖な使命とは何でしょうか?  私たちは法を正す師を手伝うことです! そして、三つのことをしっかり行うことです!  誰が来ても、私たち大法弟子は、誠実で親切で慈悲なる心を持って、法輪功に関する真実を語り、彼らを救うべきです。

 師父は、「『修は己にありて、功は師にあり』なのですから、あなたにそういう願望があれば充分です」[2]と説かれました。嫌がらせをする人が来たら、この機会を利用して、彼らが完全に理解できるように、できるだけしっかりと法輪功迫害の実態を伝えてください。一回だけでは十分ではない場合、何度も機会を作り、彼らと接触し、彼らを受け入れ、これらの人々の善い念を呼び戻しましょう。これらの人々は法輪大法を正しく理解し、大法弟子を支援する過程で罪を犯さないようにします。またこの歴史の転換期に、大法弟子を迫害せずに、共産党には協力しない等のことをすれば、彼らの将来のために良い基礎を築くことができるでしょう。

 このことは、玄関先まで送られてきた人(嫌がらせに来た人)を救うチャンスなのですから、私たち大法弟子はそれを利用すべきです。しかし、本人が大法の真相を本当に受け入れなければ、彼らの中にある悪の要素を取り除けば、その人本来の自分にもう一つの選択チャンスを与えるのです。それはあなたの慈悲であり、彼らは逆に得をしたということになります。中国共産党のでっち上げに深く毒され、真実を一度では理解することができない人に、あなたが彼らに機会を与えるたびに彼らを浄化するのに役立ち、彼らはさらに得をすることになります。いつか突然、法輪功迫害の実態が分かるようになるかもしれません。一人でも多くの人を救いたいという願いを込めて、玄関先で嫌がらせをする人たちと接することの出発点は、他人のためであり、私のためではないのです。それはさらに自分の使命を果たすことでもあり、法の要求を満たすために最善を尽くすことになります。

 次元は限られているので、同修の慈悲なる指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇〇三年元宵節での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/10/12/413638.html)
 
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