文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年6月30日】私は1997年、小学校5年生の時に法輪大法の修煉を始めました。1999年に迫害が始まった後、私は修煉をやめました。2022年、私は再び大法修煉に戻り、23年の間、私は誰かが法輪功を学んでいれば、その人について学びますが、私一人のときは、学びたくないという状態でした。意気地のない私でも、師父は私を見捨てられませんでした。以下は私の話です、同修と交流したいと思います。
1997年、私たちの村に法輪大法の学法チームがあり、私と数人の同級生はそこで法輪大法を学びました。私は師父が『轉法輪』第九講に説かれた法に刺激を受けました。 「修煉して成就すれば、来世ということがなくなるのです」。私は毎週日曜日に集団煉功と学法に行きました。
中学校に入学すると修煉を怠たり、1999年に迫害が始まってから法輪大法の修煉をやめました。
試験に落ちたため、中学校3年生をやり直すために郡庁所在地の学校に転校しました。家族の監視も受けず、タバコを吸い、学校を休み、喧嘩をしました。結局、刑事事件に巻き込まれ、13年間投獄されました。
拘置所に入るとすぐに、師父は私の独房に修煉者を同室させてくださいました。その修煉者は私に中国国内外の大法の状況を話し、良い人になり、修煉をやめないように励ましてくれました。
刑期の最後の2年間、私は村の学法チームの協調人に会いました。彼は法輪大法への信仰を堅持するため10年間不当拘禁されていました。彼は私に師父の新しい経文を渡し、正念を発する方法を教えてくれました。師父はいつも私の面倒を見てくださいました。
私は13年間投獄された後、釈放されました。社会に復帰し、日常社会に浸り始めた当初は、かなり混乱していました。2012年に山東省で真相を伝えている年配の学習者と出会いました。私は共産党の組織から脱退しました。彼女は私に法輪大法の主要テキストである『轉法輪』を渡してくれましたが、私は日常の世界に迷い込んでしまい、読みませんでした。
それでも師父は私を見捨てられませんでした。2022年に、私はインターネット封鎖を突破する方法を知りました。中国国外で初めてメディアを閲覧したとき、私は常人の動画を見ました。ある日、明慧ネットを思い出しました。簡単に開くと、見慣れた法輪、右側の師父の写真、そして多くの新しい経文が見えました。
私はとても興奮しました! 師父の元に戻ったような気がしました。その後、インターネットのファイアウォールを回避するために修煉者が開発したソフトウェアをダウンロードしました。
私は今、やっと一人で修煉できるようになりました。しかし、明慧ネットで修煉者の交流に関する記事を読むたびに、一緒に法を学び、交流できる同修が羨ましく、たまに寂しい気持ちになります。実を言えば、私は群れを失った雁のようなもので、地元の同修たちを探しています。
慈悲深い大師父は、私に新しい機会を与えるなど、多くのことを按排してくださいました。世界法輪大法デーに、師父の慈悲に感謝したいと思います!
合掌!