【慶祝5.13】利己心のない修煉
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文/中国の若い大法弟子

 【明慧日本2024年7月18日】私は1999年、幼稚園の年少の時に両親と一緒に法輪大法の修煉を始めました。修煉の重要性と意義を理解するには幼すぎたので、両親と一緒に法の勉強と煉功をしていました。

 1999年7月20日に法輪大法の迫害が始まった後、両親は意に反して修煉をやめるよう圧力をかけられました。私も修煉をやめました。それでも、大法の素晴らしさは私の幼い心に根付いていました。

 小学生のころ、インフルエンザの予防接種を受けた後、高熱が出て一週間以上続きました。入院しましたが、医師たちはどうしたらよいか分からなかったので、私は家に帰されました。普段連絡を取っていない親戚が、水をたくさん飲むように勧めてくれました。驚いたことに、翌日には熱が下がりました。師父がこの親戚を按排して私を助けてくださったのです。

 両親は、「師父はずっと私たちのことを気にかけてくださっていた」と分かったので、このことを通じて、私たちは再び大法を修煉することになりました。

 私は毎朝母と一緒に法を学びました。それは私にとって本当に幸せな時間でした。

 しかし、後になって自分が大法を修煉していたのは、利己的な理由からだったことに気づきました。それは、師父に智慧を授けていただくため、良い成績を取るため、健康になるためでした。

 私は表面上、利己的なことに無関心に見えましたが、心の底では大法から利益を得たいと思っていました。それは利己的な利益追求の心理でした。

 私は家では従順な子供で、成績も良く、性格も優しく、周りの人から羨ましがられていました。私は両親の跡を継いで修煉しましたが、その意義を認識しておらず、大切にしませんでした。その代わりに、無意識のうちに大法を盾とみなし、真に自分を修煉せず、利己心を育てていたのです。

 私は中学、高校の寄宿学校に通っていたとき、私は修煉環境を失っており、普通の人のように暮らしました。学法と煉功を怠けていると、旧勢力はこの抜け穴を利用し、私を迫害しました。圧力の下で、私は大法を誹謗する紙に署名したほどでした。

 その後、空が灰色になり、脳が鎖でつながれたように感じました。

 大学では、ルームメイトと一緒になって不適切な動画を見たり、ゲームをしたりしました。理想の大学に入れなかったため、途方に暮れ、次第に諦めてしまいました。

 映画『再び神になる』(英題:Once We Were Divine)を観て、私の悪い行いのせいで、私の天国とそこの神々が災難に遭ったに違いないと悟りました。

 働き始めてからも、動画を見たり、オンラインゲームをしたりすることに夢中でした。悪いことだとわかっていても、その習慣を断つことができませんでした。私は時折法を学び、明慧のウェブサイトを見ていましたが、好奇心を満たすためにニュースに多くの時間を費やしていました。

 しかし、師父は私を見捨てらませんでした。私は健康に恵まれ、20年以上薬を一錠も飲んでいませんでした。

 その後、仕事で別の支部に異動する機会を得ましたが、人事部は書類手続きを済ませることができなかったようです。この間、私の脳が鎖でつながれている感覚は、鎖が脳を切り裂くかのように、より顕著になりました。ある日、私は明慧のウェブサイトで厳粛な声明に関する記事を読みました。それには、修煉者がこの汚点を拭き取ることができなければ、再び修煉することができないと書いてありました。

 私はその日のうちに厳粛な宣言を提出しました。私の脳はすぐに自由になり、鎖が一瞬で溶けたかのように感じました。

 私は、師父の慈悲で修煉に戻る機会を与えてくださったことを嘆願しました。私が異動しようとしていた支部は、以前は名門大学出身者のみを雇用していましたが、この新入社員にはその制限を緩めたばかりでした。私は厳粛な宣言を提出した後、翌日に採用通知を受け取りました。すべては師父の按排によるものです。師父は、『各地での説法四』「二〇〇四年シカゴ法会での説法」の中で、「やはりいつもの話ですが、私は誰一人として取り残したくはありません」と説かれています。

 その後、私は毎日法を学び、明慧のウェブサイトを見ています。私は1人で修煉していますが、明慧のウェブサイトは私に同修とのつながりを感じさせてくれます。朝起きて煉功できなかった日は、後で補います。私は安逸への執着を捨て、毎朝煉功するよう努めています。私はもはや私利私欲の追求で修煉するのではなく、無条件に真・善・忍の原理に同化し、利己心をなくしています。法に浸ることで、私は心の平穏を保ち、心からの笑顔を保つことができます。

 私が借りていた家には余分の部屋があり、邪魔されないように空室のままでいてほしいと思っていました。しかしある日、自分のわがままと、それが大家に与えた経済的損失に気づきました。この利己心を見つけた後、その部屋は即日貸し出されました。私は前向きな考えの力を知りました。

 新しいルームメイトが最初の夜、物音で私を起こしましたがイライラしませんでした。その夜、私は夢を見ました。夢の中の私は白いローブと羽を身に着けた天使で、隣にはペガサスに乗ったたくさんの天使がいました。しばらく待っていると私のペガサスもやって来ましたが、他のペガサスより背が高かったです。私は自分の心性を保ち、正しいことをやっていましたから、夢の中で師父が私を啓発してくださったことを知っています。誰に出会っても、何が起こっても、それは偶然ではないことも分かっています。私は自分自身を磨き続けていきます。

 師父はこう説かれました。「今後、何かをするときには、まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです」(『精進要旨』「佛性に漏れなし」)

 新しいルームメイトは、まだ私を邪魔するでしょうが、これは私ができるだけ早くエゴを取り除き、自分自身を向上させるための師父の按排だと思いました。私はルームメイトの生活騒音で目を覚ますたびに、心の底から幸せさえ感じるようになりました。なぜなら、私の心が動じないということは、これこそ向上していることになると思うからです。

 私は多くの時間を無駄にしてきました。人々を救うためにほとんど何もしませんでした。師父が『なぜ人類が存在するのか』を発表されたあと、私は法を正す過程は後期に達しており、時間が迫っていることに気づきました。

 私は自分をしっかり修め、恐怖への執着を打破し、大法の真相を人々に伝えて救う勇気を持たなければならず、本当に真・善・忍に同化しなければなりません。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/5/30/478178.html)
 
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