女性修煉者が色欲心を取り除いた体験
■ 印刷版
 

文/北京の大法弟子

 【明慧日本2020年12月26日】少し前にある男性同修から「女性修煉者は男性より、色欲の面で過ちを犯しやすいようですね」と聞きました。彼の話によると、ある男性修煉者が病死する前に何か言いたいようでしたが、恥ずかしくて言えない状況だったのを見て、彼を囲む同修たちは「話しづらいなら、書いてください」と言って、男性修煉者は「かつて5人の女性同修と関係を持ったことがあります。今、5人とも刑務所に入っています」と書きました。それを聞いて、私はとてもショックを受けました。

 女性は男性より感情が繊細で情が深くて、困難にぶつかった時に頼りたくなることが多いいようです。迫害が横行している環境下で巨大な圧力を抱えて、特に長年独身でいる女性修煉者は無意識のうちに男性に頼りたい気持ちが生じる時もあります。その気持ちは邪悪に乗じられて迫害を招くことにもなります。

 私自身、色欲において2回重大な過ちを犯したことがあります。1回目は2004年、残虐な迫害を受けて出所したある男性同修に大きな同情と敬意を抱いて、何の警戒心もなく彼を家に泊めてあげたのですが、夜になると彼はなんと......ひどく侮辱されたと感じ、泣きながら彼を責めました。その後、彼はすぐにまた逮捕され、私も逮捕されました。今思えば、当時自分の修煉はまだ未熟なもので、修煉者といえども、誰もが除去していない人心があることについて、私の認識と警戒心が足りなかったのです。その日、彼と同じ部屋にいることを避ければ、色欲心を引き起こす要素を回避できたかもしれません。

 2回目は10年後の2014年、家族のいない見知らぬ都市で未成年の子供と二人きりで生活している私は、重篤な病気に見舞われ、仕方がなくずっと弟のように可愛がっていた男性修煉者Aさんに助けを求めました。死に対する恐怖に駆使されて、私は彼にしがみついて、しかし彼は私の危険な状況を理解しておらず、修煉の視点から私を助けることなく、かえって私に対して色欲心が生じたのです。私は恐怖の中で「師父、師父、助けてください」と叫んで彼を家から追い払いました。私は子供と一緒に『洪吟』の詩を暗唱することだけに頼って、何回暗唱したかも数え切れないほどで、やっと邪悪の手から命を取り戻しました。その事件の後、彼を責める気は全くなくて、夜に男性同修に家に来てもらう自分が悪い、そのせいで相手に色欲心を引き起こさせたのだと自分を責めました。

 Aさんが悪いと思っていないため、ふだん通りにAさんの修煉状態を気にかけて、修煉を怠った彼を引っ張って一緒に「三つのこと」をするようにと女性同修Cさんに頼みました。しかし思いもよらないことに、Aさんは「自分は魅力的な男で、誘わなくても女性同修は自ら寄ってくる」と自惚れていました。もちろん、このような手間のかかるコミュニケーションと協力は長くは続かず、私は頑張って屈辱と傷ついた気持ちを放下して、最後にAさんを助けようとする考え方を諦めました。

 結論から言うと、男性と女性の修煉者、特にかつて色欲心において問題を起こした経験のある修煉者は、できれば単独で接触することを避けるのは重要だと思います。少し油断をすれば大きい妨害を自ら招きかねません。

 一方、女性修煉者が「守ってもらいたい」心を抱きかねなくて、特に病気や困難に遭う時にその心は強くなるので、前述の「女性修煉者は男性より、色欲の面で過ちを犯しやすいようですね」の如きです。

 2回目の事件以降、男性同修を家に入れないことを徹底しました。引っ越した後、男性同修に自宅の住所も知らせず、用事がある場合、Eメールで連絡しています。同修のEメールに情や色欲を感じさせる言葉を使用された場合、その後二度とその同修からのEメールを開封しないようにします。生活或いは「三つのこと」においてどんなに困っても、どんなに病気や心性の難関に遭っても、誰にも頼らずしっかり学法して乗り越えてきました。誰を探しても誰に頼っても無駄であり、それは私を向上させるための試練であるからです。常人の方法を使わず、男性同修にも職場の異性にも助けを求めず、一人で解決してきました。

 現地に離婚した女性同修Dさんがいて、元旦那はすでに再婚しましたが、Dさんは大きかれ小さかれ、困ったことがあればいつも元旦那を呼んできます。だんだんと、元旦那とまた肉体関係を持つようになって、毎回後悔しますが、事後またその「温もり」に溺れてやるべからずことをやってしまいます。Dさんの父親が亡くなった時、家に多くの同修が来ましたが、それでもDさんは元旦那を呼んできました。後日、Dさんが私に元旦那の文句をこぼした時、元旦那に手伝ってもらいたいと期待するのは良くないと私は自分の考えを素直に打ち明けました。Dさんは以前長く服役したことがありますが、今、また刑務所に入っています。

 Eさんは家を持っていなくて住むところが不安定なため、結婚して生活を落ち着かせたい夢をずっと抱いています。そのような求める心があってこそ、生活が苦しいと思って、よく1人で泣いたりします。しかし周囲に結婚したい男性同修がいません。その後、再び長い刑期を宣告され、今も刑務所に入っています。一時的な「温情」を求めてやるべからずことをしてしまったため、旧勢力に隙に乗じられて病気で亡くなった女性同修もいたそうです。

 困った時にパニックになって人に頼りたくなる気持ちは、女性である私にはよく分かり、私も過去にそのような状態になることが多かったのです。しかし修煉者として生活の中の困難に対し忍耐が必要で、定力を持つべきで、パニック、無力感、慌てる、誰かに頼りたくなるなどというものを取り除き、自分を落ち着かせなければなりません。少しずつ落ち着いて、どんなことにも動じない状態になるのです。一時的な慰めを求めたくて、伴侶が欲しくて、寄りかかる肩が欲しいこと自体が執着心なので、除去するべきです。

 1999年迫害が始まって以降、私は子供を連れてあちこち部屋を借りて、冷たく当てられたことを多く経験して、生活の困難は数え切れないほどありました。落胆した時もありますが、修煉を続けている中、私の生活能力は少しずつ強くなりました。頼れる人がいればつい頼ってしまって、自分も怠けて頭と体力を使わなくなります。もし外部の人間が私のためにすべての困難を解決してくれたら、私は何を以て修煉するのですか。困難、孤独、無力の中で多くの執着心を除去することができ、心性も着実に向上してきました。

 私は文学を専攻していたので、多くの小説を読んだことがあり、繊細な感情を持っています。おまけに今の社会、男女関係がとても乱れています。職場の同僚はよく「〇〇さんは独身だけど、私生活の面での噂は全くありませんね」と私を褒めます。私は「これは法輪大法のおかげで、もし修煉して心性を向上していなかったら、私も多くの人と同じように堕落していたかもしれません」と言いました。生活の中に多くの困難があって、多くの誘惑も存在して、無形の中、悪魔の手が人を下へ引っ張っていこうとしています。

 私は師父と大法に対する感謝の気持ちを抱いて、よく子供を「今の社会はあまりにも乱れています。誘惑に負けたら、一時の満足を得ることはできますが、心身両面の傷と引き換えにしなければなりません」と指導しています。子供はいつも厳粛にうなずき、師父にお線香をあげます。

 家の中で私が一番苦手なのはどこかを修理することです。しかしそのまま放置しても、どれほど不便でも、騙されて無駄な修理代を払っても、決して男性同修や職場の男性同僚に頼ったりしません。私の対策は待って、待って、いつか時間がある時にネットで修理屋さんを探します。金を騙し取られただけで、壊れたところがまったく直されていない場合もあります。それにしても毎回資料を準備して、来た修理屋さんに真相を伝えて「三退」を勧めて、修理代金を真相紙幣で払います。師父のご加護の下で一度も不祥事が起きたことなく、順調で平穏に運んでいます。

 部品交換や材料や、これは私にとって最も困難なことです。ある日、住んでいる賃貸住宅の寝室の電灯が壊れました。修理方法が分からないまま、私と子供が寝る前はずっとリビングにいて、私は学法し真相材料を制作して、子供は宿題をします。数カ月経って、やっと修理できました。それだけでなく浴室のドアノブが壊れたり、換気扇が壊れたりして、夜中の停電など、どれもこれも私はパニックになりますが、しかし絶対異性に助けを求めたりしません。たとえその異性はふだんどんなに良い人に見えても、決して家に呼んだりしません。修煉者として、相手のために考えなければならず、異性に妄想や欲情を引き起こす機会を作ったり、与えてはいけません。その一つの思いが、何年も私をしっかりと支えてくれました。

 数年前に家を購入して、幸い内装工事に詳しいある女性同修の助けを得ることが出できました。内装材料の購入、工事屋さんを探して予約するなど、すべて過去のやり方を踏襲してネットと電話を通じて解決したのです。毎回どれだけ忙しくても、事前に真相資料を準備して、会ってから「三退」を勧めます。

 今日に至っても、家の中の修理ごとは私にとって最も苦手なことです。故障があっても相談相手すらいませんが、それで修理屋さんと縁を結んで真相を伝える機会になることだけが分かっています。

 離婚後、元夫から私はほとんど一文ももらえませんでした。子供は元夫のところで暮らした時、成績はクラスの下位だったのに、私のところに戻った1カ月後、成績がクラスのトップになり、それから全学年のトップになり、それ以来ずっとトップをキープしていました。元夫は一度も保護者会に参加したことがなく、子供の勉強にも無関心で、一度も我々の生活を助けたことがありません。しかし私と子供は大法に溶け込んで、シンプルな生活を送って苦を以て楽とし、着実に精進しています。

 我々に業力が存在している限り、こんなことに現れたり、あんなことに現れたりして、生活の困難に現れる場合もあります。一時の「温もり」を追求することは、苦しみを嘗めて業力を消去することから逃避することに等しいのではありませんか。苦しいと感じた時は、ちょうど執着心を除去するための機会でもあります。実は、人と人との間の温情は、長く続けるものなのでしょうか。因縁関係が存在しているので、束の間の幸せの後、やはり因果応報から逃げられなくて、どこに「幸せ」があるのでしょうか。執着心を漏れなく全部除去して、圓満成就することこそ本当の幸せです。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/11/20/415298.html)
 
関連文章